第二話 不穏

 ――人の声がする。


 長らく母親以外の声を聞いていなかったせいか、その響きがやけに新鮮に思えた。

ぼんやりと霞む頭と重い体をなんとか動かし、俺はゆっくりと上体を起こす。


「勇者様!」


 突然、耳元で大声を張り上げられ、思わず体がビクッと跳ねた。

慌てて目を見開くと、そこはもう自分の部屋ではなかった。


「ここは……どこだ?思った通り異世界に来たのか……?」


 見渡した先に広がっていたのは、だだっ広い石造りの大広間。

床と壁を覆い尽くすように描かれた複雑な魔法陣が淡く光を放ち、周囲には剣を佩いた騎士や、杖を構えた魔術師らしき人物たちが取り囲んでいた。


 慌てて自分の体を確かめる。

服装はそのまま、握りしめていたスマホまで手元に残っている。

どうやら部屋にいた時の姿のまま、ここに召喚されたらしい。


「……そうか。体が作り変わったとかそういうわけじゃないのか」


徐々に霞がかった思考が回転を始めた、その時だった。


「そろそろ宜しいですかな、勇者様?」


 低い声と共に、黒いローブを纏った男が歩み寄ってくる。

周囲の連中とは格の違う豪奢な文様がローブに施されており、一目で高位の人物と分かった。


「……えっと、何でしょうか?」


 恐る恐る問い返すと、男は恭しく頭を垂れて答える。


「召喚されたばかりで申し訳ありません。まずは王女様へご挨拶をお願いしたく存じます。……それと、貴方にお会いしたいと望む“他の勇者様方”が控えておられまして」


「……え?」


 思わず声が漏れる。

他の勇者? まさか、俺だけじゃなかったのか。


 驚きと同時に、妙な胸騒ぎが走った。

だが今はそれを打ち消し、ひとまず王女とやらに会うことを優先するしかない。

……しかし普通なら王様じゃないのか?いきなり王女?本当に大丈夫なのか……?。


 そんなことを考えながら立ち上がった瞬間、ふらりと視界が揺れる。

貧血か? ……貧血?いや、そもそも、どうして俺はこの世界に?

 

そうだ。確か――家族に殺されて……。


『――不要な情報を検知。記憶を消去します』


 不意に、機械のような無機質な声が頭の奥に響いた。

次の瞬間、何かの記憶がごっそりと抜け落ちる。

大切なものだったはずなのに、それが何だったのかすら分からない。



◆◇◆◇◆◇◆◇



今、俺は先程の魔術師と共に宮殿の廊下を歩いていた。

 レスターと名乗ったその男は、やはり只者ではなかった。宮廷魔道士団の副団長――いかにも「裏事情を知ってますよ」という肩書きだ。


「それで……王女様ってどんな方なんですか?」


 軽い気持ちで尋ねたつもりだった。

だが、レスターさんは一瞬言葉を詰まらせ、廊下の先を睨むようにしてしばし黙り込む。

 張りつめた空気に、俺の背筋が無意識に冷たくなる。


 やがて、彼は低い声で告げた。


「……王女、エレナ・ファンネリア・バルグミュア様は、極めて――危険なお方です」

「……え?」


 思わず足を止めてしまった俺を尻目に、レスターは振り返らず、淡々と歩を進めながら言葉を続けた。


「まず、あの方の生まれについてお話しましょう。エレナ様は王の側室から生まれた第4王女でしてな。他の正妃から生まれた王女たちから、日々陰湿な嫌がらせを受けておられました……それが、あの方を狂わせてしまったのでしょう」


「狂わせた……? それって、どんな風に……」

俺の問いに、レスターの横顔は険しさを増す。


「……妹君であらせられる第5王女を。その後に、二人の姉君を。……すべて殺害されました」


 思わず息を呑む俺をよそに、レスターは淡々と語り続ける。

その声音には恐怖と諦念が滲んでいた。


「さらに、王と王妃をも毒殺し、王権を力ずくで簒奪なさいました。今の地位は……血の上に築かれたものなのです」

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