動物園
江呂川蘭子
動物園
通天閣って知ってるかい?
大阪の人間なら、新世界の観光名所の一つとして、ほとんどの人間が知っているが、以外と通天閣に昇ったヤツは少なかったりする。
海外からの旅行者の観光地になってからは新世界も、随分と子綺麗になって、すっかり観光地化してしまった様だ。あの当時に外国人で溢れかえる大阪は想像できなかった。
昔は、浮浪者だか、なんだか判らない小汚い連中が、ブルーシートにゴミみたいな物を並べて売ってた。
ボロボロの靴が片方だけ売ってたり、どこで拾ってきたか傷だらけのサングラスなんかも、並べてあったりしてた。俺は、そういう街だと思っていた。
まあ、しょっちゅう行ってたわけじゃないんで、詳しい事は知らないけれど。
通天閣からちょっと歩いて、新世界を抜けたところに天王寺動物園って、ちょっとした動物園がある。大阪中の小学生が遠足で来たり、日曜日に親子連れが来たり、若者のデートコースになったりしていた。今もそうなのだろうか?
俺が子供の頃は、休日に家族連れが遊びに行く、ちょっとしたなテーマパークみたいな物だった。
俺も幼い頃は、両親や爺さんに連れ来てもらって喜んだものだった。
でも、俺には子供の頃に来た遊園地より、二十代の頃、夜中に園内に忍び込んだ記憶の方が鮮明にある。
とはいっても、その頃は、いつだってひどく酔っぱらってたわけで、細かくは覚えてはいないのだが。
そう、あれはもう三十五年以上前のはなしになってしまった。
そのころは、今とは違って動物園を囲むフェンスや塀のうえに有刺鉄線なんか巻かれていなかった。
そう、ちょっとよじ登れば簡単に園内に忍び込むことができた。今考えると世の中が、のんびりしていたのだろうか?
当時は色々なことに社会全体の警戒心が薄かった。
それもあって何かと馬鹿な事をやらかしていた。飲酒運転だって、罰金も少なく、周りも、そんなにはうるさくも言われなかった。それが、良いか悪いかは別の話だ。
そんな頃の俺とタカとの昔話を書き直してみた。
その頃、俺は同棲していた五つ年下の女の子にフラレて、ちょいとへこんでいた。その娘が十七歳から五年近くいっしょに住んでた。あれ?十六歳だったかも知れない?まあ、どっちでもいい。
その娘も大人になって物事がわかりはじめると、俺みたいな人間と暮らすのは、自分にとってマイナスだと悟ったようで、ある日荷物をまとめて出て行ってしまった。
別に居なくなくなったって、困らんだろうと思っていたのだが、それは大間違いで、同居していた数年の間に、俺は、その娘にすっかり依存する様になっていたようで、彼女が居なくなった俺は、生活全てが何をどうしていいのかがわからなくなってしまっていた。
今は、はっきりと言い切れる。あれは、愛なんかじゃなかったと。
俺はあの娘に寄生していた哀れなパラサイトだった。その娘が、俺に切りをつけて出て行った事は大正解だと思える。
もし出会える事があったとしても、お互いが誰なのか判らないだろう。
時間とはそう言うものだ。
当時の俺は、いつも酔いつぶれてたわけだが、最低限の家賃と食費には困らない程度に仕事はしていた。
なんの仕事をどこでしていたかは忘れてしまったが、誰にでも出来るような体を使う仕事でフラフラと生きていた様に思う。
その日は、なんとなく、タカという少し年下の大学に通っている友人の、ワンルームマンションに居座って飲んでいた。
あいつはどうだったか覚えてはいないが、俺は、いつものように飲み過ぎて、いい気分ですっかり出来あがって、ご機嫌になっていた。
最終電車も逃し飲み続ける俺を当時のタカがどう思っていたかは判らない。
いつもの事で、酔いの回った俺は気になる事を思い出した。
それは、当時働いていた会社の上司が、どうしてかは知らないが子供の頃にペンギンを飼ってたって話をしてたのを突然思い出した。(今思えば、眉に唾がつきそうな話で、その話が、本当なのか嘘なのかは知らなかった、少なくともそのころの俺は本当だと信じていた。)夜も大分と過ぎて、少し酒が抜けて調子が良くなった俺が、
「動物園行こう!」と突然、言い出したような気がする。
タカは、当時カワサキのエリミネーターに乗っていたのを俺は移動手段として、あてにして言ったのだと思う。
その当時俺には二本の足以外に足がなかったからだ。
アイツは気軽にバイクを駐輪場から引っ張り出してきて、住吉東から出発して夜中の天王寺バイパスをエリミネーターで走ってくれた。
俺はバイクで、人の後ろに乗るのに馴れていないもんで、後ろの座席で固まってたら。
「リョウちゃん!曲がるときはバイクと同じに身体倒してくれんと曲がれんよ!」とちょっとした不平を言ったぐらいで、真夜中の天王寺動物園に連れて行ってくれた。
「よしペンギン盗みに行くぞ!」と動物園を囲うフェンスをよじ上っていたら、タカも夜中の動物園に一緒について来てくれた。今から思うと二十五歳にもなって何をやっているんだか。
なんか俺の馬鹿な思いつきに付き合ってくれるタカの気持ちが嬉しかったなあ。
単にあいつも馬鹿なだけだったのかもしれないが、あの頃は俺がバカすぎて時々タカに叱られていた記憶もあるのだが、今となっては確かな記憶ではない。
もう深夜の動物園に遊びに入った。その時点で、ペンギンを盗み出すとか、どうでもよくなって来たんだが、一応俺が言い出したからには、やらなければならないのではないだろうかとアルコールで浮かれた脳みそで思い、夜中の動物園でペンギンを求めて散歩した。
誰もいない夜中の動物園は新鮮だった。夜には奥に入って出て来ない動物達もいたが、無料貸し切り動物園なんて中々経験出来るものではない。
真夜中に小一時間は居たのだが、警備員に捕まることもなく、誰にも見つからなかったのは当時とは言え、今思うと不思議で仕方がない。
散歩しているうちになんだか、目的が変わってしまった気がしたが、ようやくとペンギンを見つけた。
当時のペンギンのコーナーは、簡単に乗り越えられる背の低い柵だけだった。
ペンギン達は群れにになっていたので、俺は柵を飛び越えてペンギンをつかむ手前まで行ったが、ペンギン達は驚いて水の中へ飛び込んで逃げて行った。さすがに水の中までは飛び込む気もなかったので、
「もうええわ!」と俺はタカに言った気がする。あの時あいつはどう思ってたんだろうなあ。
それで、また男二人で夜中の動物園をブラブラしてると公衆電話を見つけた。
でなぜか?そのころタカが在籍していたアップダウントリップスというバンドで、ドラムを叩いているアサという女の子に電話を架けて、今から天王寺動物園に遊びに来ないかと誘った気がする。電話がつながったが、酔っ払いの戯言なのでくるわけもなく彼女が、この出来事を覚えているかも判らない。
それから、また二人でウロウロしてたら、象の檻を見つけた。
タカも象は見たかったらしく、柵を越えて、いっしょに近くまで行った。近付くと見慣れぬ妖し気な二人組に、驚いたのか象がパオーンと大きな声を出して鼻を振り回しはじめた。まあ、もうひとつ奥の頑丈な檻に入れられているので、あまり心配でもなかったのだが、象の鼻を振り回す姿に、俺はちょっと怖くなってきて、
「なんか、ヤバいんちゃうん。イタズラして象に踏みつぶされたヤツとか居るみたいやしな。」と俺が言ったら、タカの反応が可笑しかったのを覚えている。
「リョウちゃん。象さんは、そんなことせんよ!」と珍しくムキになって言ってきた。
「象さんは優しいんじゃ」と彼がいうので、しばらくのあいだ象を見ていた。
象の檻さえ当時は簡単に侵入できるような場所だった。
その後、夜の動物園にも飽きたので、またフェンスを乗り越えて新世界に戻った。
それから、どうしたのかは覚えていない。
そんな馬鹿な野郎がいるので、今は動物園の周りのフェンスや塀には有刺鉄線が取り付けられ、象の柵の後ろには深い彫りが作られ、ペンギンの檻にも侵入出来なくなっている。
今となっては、随分とバカなことをしたと思っているが彼との良い思い出になっている。
平成にはなっていたが昭和が色濃く残っていた頃の景色を今も時々思い出す。
あの頃は、俺が先に死ぬんだろうと思っていたが、俺はまだまだ生きなければならないようだ。
俺も、もうすぐ還暦を迎える歳になった。
もう、あんなバカな事をする事もないだろうし、する気もない。
バカな事を懐かしんでいる年寄りにも、若い頃があった。
ただ、それだけの事。
動物園 江呂川蘭子 @rankoerogawa69
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