第1話:異世界シーカー、渋谷に立つ

──もう、どうでもいい。


会社を辞めてから、かれこれ三週間。朝は起きてもやることがない。夜は眠くなるまでダラダラと動画を観て、気がつけば空が白んでいる。そんな日々が続いていた。


「お客様、セルフレジは右手奥でーす」


駅ナカのコンビニで、バイトの店員がマニュアル通りの声をかけてくる。坂上圭(さかがみ けい)は手に取った半額のカツ丼と缶ビールを無言でセルフレジに通し、現金を投入する。


ピピッ。


ディスプレイには「現金のご利用ありがとうございます」と表示された。時代は変わっても、こうした味気ない文面は変わらない。


改札を出ると、ドローン型の広告板が空を漂っていた。


『ダンジョン関連株、急騰中!魔石買取は正規業者へ』


圭は思わず鼻で笑う。魔石──それは今や最重要エネルギー資源。異界に存在する原生生物を倒すことで得られる、いわば“燃える鉱石”のような代物。


昔はガソリンだ、リチウムだと騒がれていたが、今では魔石精製が国力そのものになっている。


その回収を担うのがシーカー。幕府正規のダンジョン管理局とは別に、個人が免許制で活動する探索者だ。


「……やることもないし、試してみるか」


そう思ったのは、数日前。ネット経由で講習を申し込み、会場に足を運んだ。


内容は思いのほか簡単で、2日間の座学と模擬演習、そして筆記試験のみ。


圭は無事に資格証を手に入れた。これで晴れて“フリーシーカー”だ。


今日はその初日。いよいよダンジョンへと足を踏み入れる。


渋谷駅前はすっかり様変わりしていた。ターミナルの先にあるのは、灰白色の高い壁。それが『渋谷ダンジョン』の外郭だった。


SS級ダンジョンの一つであり、初心者向けの特別解放区域を備えていることで有名だ。都市中心部に異界が侵食した典型的な例でもある。


ダンジョン入り口の周辺には、テントが立ち並び、屋台やレンタル業者、幕府の買取所などが軒を連ねていた。まるで縁日のような活気だ。


「初心者? 剣ならこれ、バランスいいよ」


武器レンタルの若い兄ちゃんに勧められるまま、圭は安価な片手剣を借りた。地球製の簡素な合金製で、装飾は皆無だったが、握ってみると意外にもしっくりきた。


「一日千円、壊したら実費。使用後は洗って返してくれな」

「わかりました」


そのまま、幕府軍の管理ゲートへ。首から提げた認定証を提示すると、警備兵が形式的な説明を始めた。


「内部では通信機器、電子機器の使用は保証されません。異界干渉により、地球製品は無力化される傾向にあります。入退場は自己責任にて」

「はい」


無表情な案内を受けた後、ゲートが開いた。


霧のような膜をくぐった瞬間、空気が変わったのがわかった。


目の前には、まったく異なる風景が広がっていた。


ビルの骨組みにツタが絡まり、舗道の隙間からは草が生え、路面は湿った苔に覆われている。都市の残骸と自然の侵食が混じり合い、不気味な静けさが辺りを支配していた。


そしてその先には、信じられないほど広大な草原が広がっていた。


「これが……渋谷、だった場所か」


地図上ではそうだが、実際には異界そのものだ。


このダンジョンでは、原生生物──いわゆる“モンスター”が徘徊している。彼らは倒されると、内部に蓄えたエネルギー結晶──魔石を残して消滅する。


まれに外殻や体組織が残り、それらは「ドロップアイテム」として取引される。医療、軍事、工業など多分野に応用される重要素材だ。


つまり、倒せば金になる。


「最初の一匹……だな」


剣を構えながら、圭は歩を進める。


自らの人生の延長線上に、こんな場所があるとは、数週間前には想像もしなかった。


だが、何もかもを投げ出したその先に、こんな“冒険”が待っていたのだ。


薄暗い霧が陽光を遮り、異界の風が草を揺らす。遠くから、微かに唸るような声が聞こえた。


モンスターがいる。


圭は、深く息を吐き、剣を握り直した。


「やってやるよ──」



最初の相手は、小柄なウサギ型の原生生物だった。


霧がかった視界の中、影はぴょんと跳ね、獣じみた鳴き声をあげながら突進してきた。圭は反射的に左足を振り抜き、高く放り投げると、着地前に素早く抜いた剣を頭上から突き刺した。


「……そ、そんなに難しくないかも」


生き物はチリチリと粒子に分解し、淡い光を帯びた魔石を一つ残して消えた。初めての魔石は、掌にずしりと重かった。


圭は勢いづいて、倒木の影や草むらから現れるウサギ影を次々と狩った。蹴りと串刺しを組み合わせる連携は気持ちいいほど冴えわたっていた。


駆け出しの初心者シーカー同士が入り口付近で談笑する中、圭はふと視線を奥へと向けた。そこには、まるで地獄の巡礼者のような集団がゆっくりと進んで来る。


最前列には、全身に包帯を巻かれ、血の跡が染み込む者。その腕は義手に替えられ、わずかな皮膚が千切れかけたままぶら下がっている。背後には、肩の先が切断されたまま布にくるまれた人影が担がれ、呻き声も立てずにただ重苦しい視線を前方へ投げていた。


さらに後方には、全身に焼け焦げの跡がある者が、歩くたびに焦げた皮膚の匂いを漂わせる。衣服はところどころ炭化し、焦げた布片が肩から垂れていた。足元には、下半身を失い、上半身だけが鎖で引きずられたシーカーがいて、薄れゆく意識の中で必死に足を動かしている。


圭は血の気を失い、ただ茫然と立ち尽くした。生気を奪われた瞳、血と焼け焦げの匂い、無言のまま続く死の行進。そこに漂うのは、死にかけの者たちの絶望と執念だった。


「……これが、ダンジョンか」


震える身体を必死で支えながら、圭は入り口のゲートに目を戻す。ここは遊び場ではない。命を削ってこそ手に入る魔石──その重みを、目の当たりにした。





ポケットに十個の魔石が溜まったころ、圭はだいぶ奥深くまで来たことに気づいた。遠くに見えるダンジョン入り口のゲートが、かすかに揺れて見える。周囲には同じような初心者シーカーが群れ、同じウサギ型原生生物を狩っている。いつまでも繰り返しても仕方がない──圭は切りよく魔石十個を携えて、帰還を決めた。


しかし、その刹那、ざわりと後頭部を撫でるような風を感じ、思わず身震いが走る。


振り返ると、そこには先ほどまで見覚えのなかった、巨大な一本の樹が立っていた。


「待てよ、今なかったよな……?」


悪寒が背筋を走る。それでも、なぜかその樹は圭を引き寄せるように佇んでいた。


一歩、また一歩と近づく。枯れた枝先に手を伸ばし、指先が樹皮に触れた瞬間──世界は断末魔のうめき声をあげるように歪んだ。






第十九番星侵兵器――『虚空天蓋』の顕現。






初めは微かな振動だった。地表の砂粒が、まるで生き物の鼓動のように連動して脈打ち、空気が低く唸り声をあげる。


次の瞬間、黒曜石のように漆黒の球体が樹の中心で砕け散り、無数の亀裂が周囲の大気に走った。裂け目は渦を伴って空間を抉り取り、見えない力場が歪曲した景色を引き伸ばしていく。


「ぐ……!」


圭の周囲にあった全ての音が掻き消され、重力が乱れ、時が一瞬止まったかのように静寂が訪れる。目まいがするほどの引力に引き摺られながらも、圭は足元を踏みしめ、恐怖と好奇心にざわめく心臓の鼓動を感じた。


やがて、漆黒の渦は天へと伸び、空一面が虚空の闇に飲み込まれたように変貌する。地平線は螺旋状に抉られ、壮絶な断層となって幾重にも折り重なり、銀白の雷光が暗黒の中で稲妻のごとく走り抜けた。


そこから漏れた光は、まるで星屑の雨のように周囲に降り注ぐ。ひとつ、またひとつと、触れたものの実体を粉砕し、情報としても記録されない白銀の虚無へと還していく。


瓦礫も、モンスターも、苦闘したシーカーたちも──全てが存在の痕跡を奪われ、無音の虚空に溶け消えた。


そして最後に、一瞬だけ、圭の瞳に映ったのは──歪んだ世界の果てに浮かぶ、無数の天蓋状の球体が重なり合う光景だった。


気がつくと、圭はただ一人、静寂そのものと化した虚空に立ち尽くしていた。

圭を中心に半径数キロの円状のすべてが消失。


──世界は、この瞬間、壮大な虚空の饗宴へと書き換えられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る