ドンッ、と校舎裏に鈍い音が響く。

 音の出処である姫乃は顔を顰め、目の前に立つ女子生徒に対し静かに抗議した。


「なんであんたみたいなヤツがハルヒくんに近づいてんのよ! 離れろ!」

「なんでって、実行委員だからだけど」


 体育祭まで残り数日となった日。姫乃は校舎裏に呼び出されていた。

 実行委員に選ばれて以来、地味な嫌がらせが始まっていたが、とうとう実力行使に出られてしまった。

 嫌がらせといっても、物を隠されたりプリントが回ってこなかったり。姫乃にとっては優しいものばかりだけれど。

 ……いや、誰かさんが手を回していてくれたお陰でここまで被害が小さかったのだろう。


(校舎裏の呼び出しとか久しぶりね。それにしても、相手は一人なの?)

 姫乃の経験上、こういった呼び出しは複数人で行われるものだったのだが。目の前のクラスメイトの女子──たしか中野ここあだったか──は捨て駒ということだろうか。苦い気持ちが心に広がる。


「何度も何度も忠告してあげたのに無視しやがって! 皆に頼んであんたに立場を理解させてあげたのに」


 可愛らしくメイクされた顔を酷く歪ませ、中野ここあは叫ぶ。何を気にしているのか。この人は加害者だ。元凶じゃないか。

 同情なんてしなくていい。姫乃は反論するために口を開いた。


「あの脅迫状もどき、あなたなのね。いい加減うざったいからやめてくれない?」


 フラストレーションがたまっていたのか、一度口を開くと止まらない。良くないことだとは頭で理解していても、口は正直者だ。


「っていうか、あなたもしかして由利川に振られてた人? 振られたくせに由利川に暴行まがいのことまでして」

「な、んであんたが知ってんのよ」


 中野ここあは顔面蒼白になり、後ずさった。見られていたとは思っていなかったのだろう。

 あの時だって人の気配を感じ取ったら逃げていたし、良くないことだと理解しているだろうに。

 それでも、姫乃に対して似たようなことを行っているあたり救えない。


「そんな風に暴力的で自分を制御することができない人間は振られるに決まっているでしょうに。そんな簡単なこともわからないの? あんたみたいな人間に好かれるなんて、由利川に同情するわ」


 姫乃がその場から立ち去ろうとすると、手首を掴まれた。ちゃんと助言してあげたというのに繰り返すとは。

 姫乃が中野ここあを睨むと、中野ここあはメイクをドロドロにしながら泣いていた。

 

「なんで、なんでなんでなんでなんで! なんであんたみたいな性悪女が実行委員に選ばれんのよっ!

たまたま見ていただけのくせに知ったかぶるんじゃねぇよ! ストーカーかよ! きしょいんだよ!」


 髪の毛を振り乱しながら言い募る中野ココアは、昔教科書でみた般若の面にそっくりだった。


「見ていただけ、はそうかもしれないけどさ。実行委員の件は担任に言ってくんない? ヒ……私は何も関与してないから」

「うそだ!!! あんたがその顔を使ってセンセーにいったんだろ?! チャラチャラしてさ、この淫ば」


 ガシャ、カララン。中野ここあの言葉を遮るようにして大きな音が校舎裏に響いた。手首越しに緊張が伝わってくる。どんどんと近づいてくる足音が聞こえた。


「何の音だ? ……っておい、お前ら! なにやってる!」


 校舎裏を覗き込むように教師がやってきた。


「お前ら、一年か? なんで手首を掴んでいる。暴行は見逃せないぞ」


 大股で近づいてくる教師。中野ここあは勢いよく姫乃の手首から手を離すと、教師とは反対方向に走り出した。


「あ、おい! 待たないか!」


 教師は中野ここあを追いかけようとしたが、姫乃の方が優先だったのか、Uターンして姫乃の方へ戻ってきた。

 首に下げている名札には、二年体育担当と書かれている。通りであまり見覚えがないわけだ。


「大丈夫か? 何があったか話せるか?」

「大丈夫です」


 何故教師がここにやってきたのだろうか。今は(由利川灯火に教えてもらった)情報によると職員会議中のはずだ。

 姫乃達を見かけた誰かが呼びに行かない限り、教師は絶対に来ない。

 中野ここあだって、それを知っていたから姫乃を呼び出したのだ。

 それに、人通りの少なくなる──しかも体育祭準備期間でより──放課後に近くを誰かが通るはずもない。姫乃の頭には疑問符ばかりが浮かんできた。


 そのことを知ってか知らずか、教師が口を開く。


「……お前、たしか一年の体育祭実行委員の宇津木か」

「そうですけど」

「俺を呼びに来たのが、一年実行委員の由利川でな。なかなか宇津木が戻ってこないから探していたら、怒鳴り声が聞こえたと」


 合点がいった。そして、先程の音の正体も同時に理解した。


「俺に伝えるだけ伝えて、またお前を探しに行ったからな。会ったら無事をちゃんと伝えるんだぞ?」

「はい。……あ、先生」

「なんだ」

「このことは気にしないでください」

「しかしなぁ」

「せめて、体育祭が終わるまではこのことを問題にしないでくれませんか。ここで何かあったって分かったら、クラスの団結力にも関わります」


 姫乃の態度に、教師は顔には出さないものの安堵した雰囲気を醸し出した。

 それもそうだろう。たった一人の生徒が起こした問題だけで体育祭に何かあったらたまったもんではない。姫乃もそれを理解しているからこその言葉だった。

 とは言え、体育祭が終わった後に関しては知ったことではないけれども。


「そうだなぁ。わかった。他でもない宇津木が言うならそうしよう」

「ありがとうございます」


 姫乃は教師に頭を下げ、踵を返した。由利川灯火を探そう。今はどこらへんにいるだろうか。

 教室に向かっていると、スマホが震えた。見てみると、由利川灯火からだった。そういえば、実行委員同士ということでアドレスを交換していたっけ。


『先生に言ったことは嘘だから、俺を探さなくていいよ。直接助けられなくてごめん、気を付けて帰って』


「やっぱり」


 お礼を返し、スマホの電源を落とす。ため息をつきながらスカートのポケットに戻した。……直接お礼を言わせてくれてもいいのに。

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