三
ニヵ月前の入学したての自分へ、どんなに嫌でも委員会には入っておくように。でないと面倒なことになります。
放課後、夕陽の差し込む教室でそんなことを考えながら、姫乃はため息を吐いた。
「お~い、宇津木聞いてる? 体育祭の応援席なんだけどさ」
目の前には観察対象であった由利川灯火がいる。
関わることは無い、そう思った。だが、どうやらそれは間違いだったようだ。
なにがどうなったのか、姫乃は体育祭実行委員会になってしまったのだ。他にもたくさんやりたがった人はいた。いたのだが、融通の効かない担任のせいで、委員会に入っていない人の中からくじ引きで決まってしまった。
別にそこまではいい。良くはないが。組んだ相手がよりにもよって由利川灯火だったのが良くない。
あの時のクラスの女子からの視線と言ったらない。視線に質量があったのなら血だらけになっていただろう。
ああ、嫌なことを思い出してしまった。
「宇津木ってば!」
あの時に思いを馳せていたら、急に目の前に整った顔が現れた。
「ぅえっ?」
「うえっ、はひでえって宇津木」
整った顔もとい由利川灯火は眉尻を下げながら笑う。凄く驚いたからとはいえ、確かに『うえっ』は酷い。
「ごめんなさい。急に綺麗な顔が現れたから」
「それはそう。そりゃ俺も悪かったわ」
「自分で認めるの?」
「まあねぇ。素直さが俺の売りですから」
「確かにそう。由利川の凄くいいところだと思う」
話を聞いていなかった姫乃の方に非があるのにきちんと謝ってくれるあたり、やっぱり素直な人だ。
話合いを再開し、名簿や資料を照らし合わせ紙に書き込んでいく。
必要なこと以外の会話はなかったが、存外沈黙が悪くなく、心地の良い時間が流れていく。ふと、由利川灯火が口を開いた。
「宇津木ってさ、めっちゃ素直だな」
「急になに?」
急に何を言い出すのだろう。ついつい変な顔をしてしまったではないか。
「別に素直なんかじゃないけど」
「さっきさ、すぐに謝ってくれたじゃん? あと、綺麗な顔とか良い所とか、普通そういった人を褒めるのってさ
「はばかられ……って?」
「ああ、
「……褒めてる?」
「褒めてるって。宇津木の言葉を借りるなら、スゲー良いとこ! って感じだな」
にぱっと音が出そうな笑顔に何も言えなくなる。人の機敏を読むことに優れているからか、由利川灯火の言葉は柔らかい。
きっと彼は人を怒らせることがあまりないのだろう。そんなところを見習いたいと思った。
「うん。やっぱり、宇津木って見た目以上に素直だ」
由利川灯火の言葉に手を止める。前言を撤回しよう。由利川灯火は人の地雷を踏むのが上手いようだ。
「悪かったわね、ガラが悪くて。ヒ……私だって、好き好んで金髪だったわけじゃないから」
(今は好きになろうと染めてないだけだもん。金色になんて染めてないんだから!)
姫乃は髪の毛を手で隠す。長髪ゆえか、仕舞いきれなかった金髪が指の隙間から零れ落ちた。
「あ、そういった意味でいったんじゃなくて。宇津木って触れたら切るぜ系の雰囲気だろ? クラスで男子が話かけてもツンツンしてるから、言葉も冷たいのかなって思ってただけで。そんな風に思って言った訳じゃないから!」
由利川灯火は慌てて弁明した。一歩間違えたら嫌味と感じるような言葉選びだが、あまりの必死加減からそうではないことがわかる。
姫乃もそこまで子供ではない。しぶしぶ話を聞く態度に戻った。
「由利川、その弁明でもちょいちょい失礼」
「え?! ごめん。そんなつもりはないから、ほんとごめん」
「いいわよ。なんとなくわかるから」
「ならさ、お詫びにこれ。貰ってよ」
由利川灯火はそう言って、姫乃に何かを渡してきた。
お菓子だろうか。透明な包み紙が夕陽を反射してキラキラと光っている。
「綺麗ね。これ、ラムネ?」
「そう。俺のオススメのやつ。めっちゃうまいから食べてみて」
「ありがとう。別にいいのに」
「いやいや、俺が悪いのに誠意を見せないのは駄目だろ? 物で釣ってるって言われたらそれまでだけどさ」
目を伏せながら笑う由利川灯火に、なんとなく良心が痛む。包み紙を破いて、ラムネを口に入れた。
「あ、おいしい。なんか、飲み物のラムネ、みたい?」
「そうそう! 俺ラムネ好きなんだよね。あ、飲み物の方。だからこれがお気に入り」
「ふ~ん。……いいの? 私に好きなもの教えちゃって。由利川は女子苦手でしょう?」
姫乃の言葉に由利川灯火が固まる。
姫乃も言うつもりは一切なかったから、思わず口を手で塞ぐ。シュワリとラムネが口に溶けた。
しばらく二人の間に静寂が訪れる。気まずくなり姫乃は視線を下におろした。
大方、何故気が付かれたのか考えているのだろう。姫乃だって、由利川灯火が女子が苦手だと気が付いたのは偶々なのだ。
「いつから気づいてた?」
「気づいた訳じゃないわ。本当に偶々よ。由利川が告白されている所に出くわした時にね」
由利川灯火の絞り出したような声にバツが悪くなり、つっけんどんに返した。
──入学して二週間程の時だろうか。姫乃が図書室で探し物をしている時、由利川灯火が告白されている所を目撃してしまったことがあった。
弁明をすると、覗き見をしたかった訳ではない。だが、中庭での揉める声が図書室にまで聞こえてきていたのだ。
あんなにも騒々しければ、どんな鈍感だろうと気が付く。不可抗力というやつだ。
よくよく聞いてみると、二つの声の男の方に聞き覚えがあった。
窓の方へ視線を向けてみると、振られたのであろう女子生徒が、由利川灯火に掴みかかっているところだった。
その姿に眉をしかめ離れようとしたが、由利川灯火の表情がいつもと違うように思え、足を止めた。
なんとなく、中学時代の姫乃の顔に似ていたのだ。恐怖に耐えるようなそんな表情に、姫乃が助けたいと思ったのは仕方がないことだろう。
図書室を見渡すが、先生はおろか生徒の人影もない。
姫乃は音を立てないように図書室を出て、わざと音を立てて図書室に入った。人の気配に驚き逃げる女子生徒の後ろ姿を見届け、姫乃は探し物に戻った、という出来事があった。
その時の由利川灯火の様子か気になったから。由利川灯火の観察を始め、そして女性恐怖症のようなものを持っているのだと知った。
友人に対し壁を作っているのもその延長線なのだろう。
とは言っても、このことは本人に伝えなくていい。クラスメイトの──見ているだけとはいえ──ストーカーと言われればそれまでなので。それに、友人に壁を作っているのは、多分本人も気がついていないから。
由利川灯火に経緯を掻い摘んで説明すると、思い当たる節があったのだろう。納得されてしまった。
「あれ、宇津木だったのか」
「まあ、うん。……そうね」
「まっじで助かった! なかなか振りほどけなくてさ、困ってた所にだったからさ。タイミングが神懸かってたから凄い感謝してる。ありがとう」
手を合わせ、姫乃を拝むようにする由利川灯火にこそばゆくなる。
ちゃんと助けた訳ではないから、そんなに言われ、お尻のあたりがむず痒くなった。
「べ、べつに由利川のためじゃないから」
「……宇津木ってツンデレ美少女だったんだ。今時珍しい」
「ツンデレってなによ。私はツンデレなんかじゃないから。あの時は騒がしいと探し物が出来なくなるからで」
─何を探してたんだ
─植物図鑑
なんて話ながら由利川灯火を見る。ノリは最初よりも良くなった。
だが、ラムネを渡してくれた時よりも、どことなく距離を感じる。視線に気がついたのか、目が合った。
「警戒しなくても無理矢理聞き出すとか、趣味の悪いことするわけないでしょ」
「これもバレてた?」
「由利川って隠し事が上手なイメージがあったけれど、気の所為だったかしら」
姫乃がそう言うと、由利川灯火はムッと顔を膨らませた。
男子高校生がやるには幼すぎるその仕草も、由利川灯火という人物にはなかなかどうして様になっていた。
「俺も、宇津木にはクール系美少女ってイメージがあったけど気の所為だったみたいだね」
「あら、美少女って思っていてくれたの? ありがとう」
数秒の沈黙の後、二人は顔を見合わせ囁くように笑い合った。
そんなに面白いやり取りをした訳ではなかったが、何かが琴線に触れたのだろう。数分程の間、二人きりの教室には笑い声が響いていた。
ようやく笑いが落ち着いた頃、姫乃から口を開いた。
「久々にこんなに笑った。……私にだって聞かれたくないことがあるから。なんだったか、撃っていいのは撃たれる覚悟がある人だけって言うでしょ? だから由利川にも聞かない」
「名前に恥じない高潔さ、恐れ入ります姫」
「ふざけないの。まあ、どうしても聞いてほしくなったら聞いて上げる。自己中で悪いわね」
「いいえ、ありがたき幸せです。姫様」
今までの姫乃だったら絶対に言わないだろう言葉。
関わってもいいと思ったのは、由利川灯火といるのが心地良かったからだけではないだろう。
「体育祭、俺らで成功させような」
「ええ、そうね」
「宇津木」
「なに」
「宇津木の金髪めっちゃ綺麗で似合ってるよ」
「……ほんと、人誑しって困るわね」
姫乃は、スカートの中の紙切れを握り潰しながら呟いた。
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