打ち上げられなかった恋

灰谷 漸

あと一言

勇気を出して、君を夏祭りに誘った。

それは、心臓が壊れそうなほどの決断だった。

吐き気がするくらい緊張して、LINEの送信ボタンを何度も押せずに指が震えた。

けれど、君の返事はあっけないほど軽やかだった。


「いいよ!楽しみだね」


その言葉を見た瞬間、頭が真っ白になった。

夜になって布団の中で、一人で何度も小さく叫んだ。

あの「いいよ」に、どれだけの意味が込められていたのか、今でもわからない。

でも、ひとつ確かなのは——

君は、僕の気持ちの1%も知らなかったと思う。

いや、知られてたら困る。

でも、知られなさすぎても、やっぱり寂しかった。


祭り当日、僕は朝から鏡の前で髪型をセットして、

服も、仲の良い女友達に「女子受けがいいやつ」を選んでもらって、

準備は完璧だった。

あとは、この鳴り止まない心臓の音さえ、どうにかなればよかった。


約束の時間より30分も早く駅前に着いてしまった僕は、

「緊張して早く来るなんて、ドラマの中だけだと思ってた」

なんて思いながら、軽く息を吐いた。


……だけど、そこにいたんだ。

先に君が、浴衣姿で。

涼しげな笑顔で、髪をアップにして、待っていた。


「どうしたの? まだ30分もあるよ」


「緊張して……早く着いちゃった」


その瞬間、息が止まるかと思った。

浴衣姿の君は、あまりに綺麗で、まるで別の世界から来た人みたいだった。


それからの時間は、夢の中にいるようだった。

君と並んで歩いて、金魚すくいやかき氷、屋台の灯りに照らされた君の横顔を、

僕は何度も心に焼き付けた。


そして、花火が夜空に上がった。

広場から少し離れた芝生の丘に登り、ふたり並んで空を見上げた。


花火の音が大きくなるたびに、心臓も暴れていた。

そして僕は、そっと手を伸ばして、後ろから君の肩に腕を回した。


「……ちょっとだけ、こうしてたい」


君は驚いた顔で振り返ろうとしたけれど、やがて何も言わず、

そっと僕の腕の中に身体を預けてくれた。


その温もりが、あまりにも優しくて、

「好きだよ」って言葉が喉まで来て、でも、出なかった。


ただ黙って、そのまま夜空を見つめた。

君の髪に、金の花火の光が反射して、まるで時間が止まったみたいだった。


「来年も、一緒に見たいな」


君はそう言って、微笑んだ。


でも僕は、その未来を手繰り寄せるための勇気を、持っていなかった。


あれから、いくつもの夏が過ぎた。

僕たちは高校を卒業して、別々の道を歩いた。

連絡は徐々に減って、やがて完全になくなった。

君が今、どこで何をしているのか、僕はもう知らない。


でも、夏が来るたびに思い出す。

あの夜の花火と、君の背中と、僕の腕の中にあった温もり。

そして——あのとき、ほんの少しだけでも勇気を出せていれば、と。


「好きだ」

そのたった一言を言えなかった自分が、今でも許せない。


ある夏の夕暮れ。

仕事帰り、駅のホームで「夏祭り開催!」というポスターが目に入った。

浴衣のカップル。大輪の花火。

胸が苦しくなった。


思わず、スマホの写真フォルダを開く。

ずっと消せずに残していた、一枚の写真。

僕と君が並んで、花火を背に、笑っている。

あの時の僕らは、何もかもがうまくいくような気がしていた。


……結局、あれが最初で最後だったんだな。


駅を降りて、祭りの会場近くまで歩いてみた。

賑わう人混みの中に、浴衣姿の女の子が何人もいたけれど、

あの夏の君はいなかった。


ポケットの中で、スマホを強く握りしめた。

そして、小さく呟いた。


「……好きだったよ。君のことが、ずっと……」


その瞬間、遠くで花火の音が響いた。

あの日と同じように、胸に染みる音だった。


夜空を見上げると、大輪の光が弾けていた。

まるで、あの日の続きが、少しだけ許されたような気がして——

僕は、ほんの少しだけ、泣いた。


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打ち上げられなかった恋 灰谷 漸 @hi-kunmath

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