第43話:二六〇二年の総火演
1942年の陸軍記念日に行われた総合火力演習、いわゆる総火演は総じて大盛況のままに幕を閉じた。詳細を述べることは当局の機密に触れかねないためあえて避けるが、以後好評だったこともあって何かしら記念的な年月には行われることが確約された。恐らく、次回は万国博覧会の行われる三年後であろうと推察される。
まあ、それはそれとして、登場した兵器について記しておこうと思う。まずは、まだ九七式中戦車や一式戦闘機の方が数が多いとはいえ、二個前に書いた「百式中戦車」や、後代「三式戦闘機」として語られることが多い、今はまだ試作機扱いであろう航空機が概ねこの時期の総火演でデビュー戦を果たし……、まあ、概ね実戦には投入されずにいた。
その中でも一番滑稽だったのはあろうことかT-34が何らかの魔改造を施されて大日本帝国の戦列を歩いていたり、陸軍の将卒が担いでいる小銃がカラシニコフ謹製の、といっても帝国軍の小銃開発に数枚かんだだけではあるが、突撃銃であったりすることだろうか。まあ尤も、それよりも着目すべきものが存在した。
「馬匹脱却計画」と総称される諸自動車兵器群である。いまだ
まあ、言ってしまえば重機の類いであるのだが、その、おそらくは戦車の履帯を流用したであろう諸重機は、観戦武官達を大いに唸らせた。
とはいえ、ブルドーザーにせよクレーン車にせよ、或いはギャングの代わりになるであろうそれらしき牽引車も、制式としてこの時期に登録された諸重機は多かったとはいえ、そこまでの数を用意できなかったのは、笑えない財産事情であったわけだが。
だが、この時期に帝国軍が重機を開発したことは、これまでアメリカ合衆国一辺倒だった重機をはじめとした基礎技術力が必要な部分の産業相場を大きく動かすことになる。特に、アメリカ合衆国の製作したそれとは違い、小回りが利き小型であったがために、後に注文が殺到することになる。
結果、戦車の数を逆に揃えることが出来なかったのは、皮肉と言えば皮肉、かもしれなかった。
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