第4話 義理の兄に紹介する

 英伍さんはギャグマンガのように口に含んだコップの水を吹き出してから「はよ言えや!」とツッコんできた。そんなに驚かれるとは思ってなかったよ。


「大したことじゃあないですし……」「何言うとんねん! 大事おおごとやないか!」


 驚いて布巾片手に駆けつけた店員さんに「おあいそで」と伝票を渡そうとして、店員さんからは「ぁ、会計はレジでお願いします」と返される。せやろな。 英伍さんが注文したプリンパフェ、まだ来てないんだけど。


「さよか」


 英伍さんは荷物をまとめて立ち上がる。荷物といっても、英伍さん自身の荷物は肩掛けのショルダーバッグぐらいで、手荷物は俺へのお土産として買ってきてくれた『りくろーおじさんのチーズケーキ』なので、俺が持つべきかもしれない。持つか。 昨日、義理の兄である英伍さんが来ることをモアに伝えたら、モアから「食べてみたいぞ!」とインスタグラムを見せつけられた。この宇宙人、流行りものであるだとか、特に美味しい食べ物に関する情報へ飛びついて『やりたいことリスト』に保存しているっぽい。 この『りくろーおじさんのチーズケーキ』については、関東にはなく、というか大阪にしか店舗がないのだと力説された。俺より詳しい。ちょうど英伍さんから『お土産、何がいい?』と聞かれていたので、リクエストした結果、こうして無事、東京の上野まで運ばれてきた――というわけだ。


「俺の分は払いますよ」


 俺はアイスコーヒーしか頼んでないから、別にそこまで痛い出費でもないが「ええってええって」と英伍さんはカードで支払ってしまう。


 生前の父親に「おれが死んだらお前の弟の拓三を頼む」と頼まれていた、って話はまあ、英伍さんから聞いている。でも、なんていうか、……嫌じゃあないのかな。俺は得してる側だから、ああだこうだ言うのも違うんじゃあないかと思わなくはないけど、あの事故がなければ、いや、事故がなくたって、父親が命を落とすようなことさえなかったら――まあ、人間いずれ死ぬものではある、にしてもだ――俺は『どうやら母の違う兄と姉がいるらしい』というおぼろげな情報だけを持っていて、英伍さんは俺っていう義理の弟の面倒を見なくとも済んだんじゃあないか。身勝手すぎないかって話。


 上野駅で待ち合わせて、丸井のカフェに入った。葬式で連絡先を交換してから、毎日のようにメッセージのやりとりはしていたけど、文面でのやりとりと実際に会って話すのとでは温度感が違う。


 句読点のように絵文字を使ってくる英伍さんと、ですます調で敬語の俺。同性で年上の、遠くに住んでいる友人、みたいな感覚で俺は送ってたけど、見ようによっては無機質で、機械的な返事のように見えるかもしれない。でも、絵文字を乱発するのっておじさんっぽくてよくないと思う。言わないけどさ。


 直接会話していると、英伍さんが俺を『弟』として可愛がろうとしていて、迷惑だとはこれっぽっちも思っていなさそうだと思えてくる。実際のところはどうかわからない。俺がそう思いたいだけかもしれないからさ。口ではなんとでも言えるし。だからといって、心が読めるわけでもない。


 疑ってもキリがないから疑わず、本心から俺を守ってくれるのなら、甘えたほうがいい。


 俺が「弐瓶准教授によく似た女の子が四方谷よもや家の居候になった」と話した直後に、英伍さんは水を吹き出した。アンゴルモアだとか、地球の侵略がどうのとか、そういう、何の事情も知らない人の耳に入ったら俺が頭おかしいやつみたいに聞こえてしまうような話は外ではしたくないので〝よく似た女の子〟としたのに。ちなみに、弐瓶准教授の容姿やらインタビューやらは二人で探し回って読んだ。女の趣味は近いっぽくて『めちゃくちゃ可愛い』と意見が一致していた。……メッセージのやりとり、基本的にはその日起こったことを話しているけど、そういうアホっぽいこともしている。


「予定変更や。おばさんに行く」


 英伍さんはおばあさまのことを〝おばさん〟と呼ぶ。蔑称としてではなく、親戚のおばさんぐらいのニュアンス。英伍さんにとってもおばあさまは祖母にあたる関係性ではあるけど、俺よりもややこしいからおばあさまとは呼びにくいんだろう。俺は父親の再婚相手の真尋さん(=おばあさまの娘)と一時的に暮らしていたけど、英伍さんはそうじゃあないし。


「いまクッキー焼いてると思うんで、返事来ないかもです」


 英伍さんは夜に会食に行かねばならないからってんで俺との約束は夕方までとなっていた。四方谷家までは行かず、俺がお土産を受け取って帰る、ってのが本来の予定。急遽変更になったことをおばあさまに伝えないといけないな。


「おばさん家ってたこ焼き器ある?」「え?」「こっちでは一家に一台、いや、一人一台あるんやけど」「たぶん……ない、と思います……」「そかそか。買っていこ」


 ふらりとドン・キホーテに吸い込まれていく英伍さん。ついていく俺。


「買っていこ、って、なんでですか?」


 俺は至極真っ当なツッコミをしたはずが、真顔で「なんでって、本場のたこ焼きを食わせたいからに決まっとるやないけ」と言われてしまった。なんでやねん。


「会食の予定じゃあなかったんですか」「間に合うように出る」


 というか、まだ家と連絡が、と、続けようとしたタイミングで通知音が鳴る。おばあさまはウェルカムだ。まあ、突然の来客を断るようなタイプじゃあないよな。モアが四方谷家に上陸した際の対応を思い出す。


「心配せんでええって。なんとかなるなる」


 本人からそう言われてしまったら、俺が言うことはない。レジでお会計して、また英伍さんの手荷物が増える。俺、どれか持ったほうがいい?


「タコか……」


 トラウマになっちゃっている、ってほど重篤じゃあないけど、タコか。と、つい口に出してしまう。タコの怪物に襲われて家族を失った身として、それとなく避けていた食材。


「ええやん。親の仇を食うの」


 英伍さんにとっても、そうだ。英伍さんと俺と、おんなじ父親なんだし。似てないけど。


「……そうですね」「どうしても気になるんならソーセージでもうまいし、チーズ入れてもうまいで」「いいですねそれ! 美味しそう」


 さっきは遠慮してコーヒーしか頼めなかったが、おなかは空いている。……でもなあ、焼いたそばからモアが全部食べそうだよな。モア、大食いなんだよ。大食いであり早食いでもあるから、取り分ける大皿料理じゃあなくてそれぞれに小分けにされるようになった。出されたもの全て自分が食べていいと思ってる。俺やおばあさまがひとつも食べられないまま生地がなくなるかもしれない。と考えつつ、業務スーパーで食材を選んだ。これも英伍さんが支払う。


 さすがにもう持てないのでこのぶんは俺が持って、四方谷家まで帰った。


「ただいま」「お邪魔しまーす」


 玄関までクッキーの甘い香りがする。


「おかえりなさい」「おばさん、お久しぶりです。これ、つま」「わあ! 感謝するぞ!」


 つまらないものですが、と『りくろーおじさんのチーズケーキ』を渡そうとしたところで横からぶんどっていくモア。いつになく目がキラッキラしている。よっぽど気になってたんだな。


「この子が例の?」


 その様子に目を奪われつつも俺に聞いてくる英伍さん。そうです。例の居候です。今日はオレンジ色のニットにショートパンツの弐瓶准教授の姿


「アンゴルモアだぞ! モアと呼んでくれ!」「あっ」


 しまった……言っておくべきだった……。 まあ、家の中でならいいか。外まで聞こえ、ないよな。


「アンゴルモア?」


 なんだか英伍さんの表情が険しくなる。俺よりは詳しいか。俺の生まれた年と、2012年、その両方とも、そこそこ騒ぎになってたっぽいし。


「宇宙の果てより、タクミの嫁となるために来た侵略者だぞ!」


 ふんふん、と得意げなモア。対して、元々線っぽい目が今度は点になっている英伍さん。俺の話ばかりするんじゃあなくてモアの話をしておくべきだったか?


「……拓三ぃ」「なんでしょう?」「まあ、男同士の話はスマホでしような」


 なんだろう。 ここでは言えない話?


「そんで、おばさん、これから自分がたこ焼き作るんで」「たこ焼き!?」


 おばさんことおばあさまではなく、モアが飛び上がった。喜んでいるのではない。なぜか、怖がっているような。


「たこ焼きって、その」「なんや知らんの?」「知らないのではなく……その……」


 左右の人差し指をくっつけたり離したりしている。こちらも言いにくい話があるっぽい。モアにも苦手な食べ物ってあるんだな。


「あれやな。わかるで。まずいの食べてこの食いもんはまずいって思い込んじゃうやつやろ。うまいもん食わせたるからな」


 おばあさまが「あら! 作ってくださるの?」と乗っかってきて、モアがぐぐっと何かを堪えるようなそぶりを見せた。

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