第2話 家を知っている
「ふむ」
俺の思っていることが口に出てしまっていたか、
「一九九九年の七月二十日生まれ、と記憶しているぞ!」「せ、正解です」
なんで俺の生年月日まで把握しているわけ?
「我は近い将来にタクミの伴侶となるのだからな。知っていて当然だぞ!」
ふんふん、と鼻を鳴らして得意げだ。
弐瓶准教授は、クローン技術の研究で一躍有名となった
好物はドーナツ。特に糖衣で包まれたふわふわのアメリカンなものを週に一度は必ず食べている。弐瓶准教授にとってのドーナツは車でいうところの〝ガソリン〟のような役割を果たしているのだと、インタビューで語っていた。――なんでこんなに詳しいかって、高校で進学先を決めるときにいろいろ調べていて、大学のサイトに載っている研究室のメンバーの写真を見て、その、いちばん可愛かったっていうか。
特にこれといって大学で学びたいものはなかった。でも、父親は「大学に行け」ってうるさかったからさ。自分が高卒で苦労してきたから、俺にはことあるごとに「大学を卒業して〝いいところ〟に就職してくれ」と語っていた。そうやって理想を押し付けるなら、その〝いいところ〟に就職するまでは何がなんでも生きていてほしかったけど。
「で、ハンリョって何?」
弐瓶准教授の姿をした自称アンゴルモアさんの発言の、気になる単語に突っ込む。彼女は目線を足下に落として左右の人差し指をくっつけたり離したりしつつ「およめさん……」と頬を赤らめた。ああ、伴侶ね。突然求婚してくるじゃん。漢字が出てこなかった。
「詳しい話はタクミの家でしよう」「俺の家ですか?」「うむ。我の地球侵略史を語る場所として、ここは不適切だぞ」
また聞き慣れないワードが飛び出してきた。まあ、確かに、人通りも多いし? ここで侵略がどうのなんて声高に話していたら、あらぬ誤解を招きかねない。それに、今の状況を知り合いに見られたらだいぶ気まずい。なんてったって相手は弐瓶准教授のお顔をしている。近所の人が通りかからないとも言い切れないし。
「家、祖母がいるからな……」
タイミングよく買い物に出かけていてくれたらいいな。祖父は祝日の今日も働いていて、平日と同じなら帰りは八時ぐらいになる。
俺の家っていうか、四方谷家は厳密には俺の家じゃあないし。あんまり好き勝手するのはよくない。父親の再婚相手の真尋さんのご実家だし。俺は書類上だと孫にあたるけど、俺は真尋さんから産まれたわけじゃあないからさ。なんとなく気を遣っちゃうよ。
「タクミのおばあさまにも話をしたいぞ!」「なんで?」
思いもよらぬ返しに敬語ではなくなってしまった。なんだこの……弐瓶准教授にそっくりの電波女……。
「これから我はタクミの家で暮らすことになるのだからな」
ひとつ屋根の下で?
「我との結婚は、タクミにとっても幸せなことだぞ」「は?」
俺の幸せを勝手に決めつけないでほしいよ。俺はお前のことは何も知らないし。弐瓶准教授のことはある程度知ってたけど。いま、好感度がどんどん下がってるからさ。結婚を前提に同居生活、の前に、段階を踏んでだな。
「だから! タクミの家で我の話をするぞ!」「う、うん?」
アンゴルモアさんは俺の左手を引いて大股で歩き始めた。意外と力が強い。方角は合っている。合っているけど、なんで知ってんの?
「我はこの星の、病院にワープしてきた。――これが一度目の『1999年7の月』の侵略。それからは、我の母星から偵察隊を送り込み、タクミを見守っている」
なるほどわからん。なんで病院なんだろ。んまあ、俺を見守っている、から俺の現住所も掴んでいる、って話でよろしい、っぽいな。あと、話してくれんのはいいけど家ついてから話すんじゃあなかったのか。 一切道に迷うことなく、するすると住宅地を進んでいく。
「地球を侵略しに来たのに、偵察隊を送り込んで、見守っている?」
ひとつひとつのフレーズがつながっていない。侵略っていうからには、もっとほら、武力で圧倒するとか、国の中枢部を攻略するとかさ。
「二度目の『2012年12月21日』では、地球へ送り込まれていたアッティラが目を覚まして人類を滅亡させる予定だったのだが、エラーが発生して蘇らなかったぞ」
俺が三歳のときにそんなことが起こっていたのか。知らなかった。ほんとか? ……と疑って、横顔を見やる。嘘をついたり、冗談を言っているような表情ではなく、真剣そのものだった。
「三度目の今回は、侵略を諦めたぞ!」
かと思えばあっけらかんと笑って『諦めた』ときた。三度目の正直って言葉もあるよ。いや、違うよ? 俺は、この目の前の弐瓶准教授に瓜二つの存在が世界をメチャクチャにするほどの力を秘めているのだとしても、人類を滅ぼしてほしくはないよ。できれば本物の弐瓶准教授とお近づきになってからがいいな。
「諦めて、タクミとともに幸せになる道を選ぶ」
四方谷家の前にたどり着いた。インターホンを押そうとするので、俺が財布から鍵を取り出す。
「なんで俺なの?」
一度目の侵略の話に戻るけど。他にも男はたくさんいるしさ。
「それは、まあ……」
視線を逸らし、バツの悪そうな顔で、左右の人差し指をくっつけたり離したりしている。言いにくいことがある時のクセっぽい。
「他をあたらない?」
なんだかよくわからないけど、とんでもなくスケールがでかい出来事に巻き込まれてしまっていることはわかる。俺よりも適任な人、探せば見つかるよ。
「……我は、そのぉ、病院でぇ、生まれたばかりのタクミに、一目惚れしてしまってぇ」
消え入りそうな声で、恥ずかしがりながら言ってくれた。生まれたばかり、ねぇ。生まれたばかりの人間って、そう見た目は変わんなくないか。そんなまじまじと見たことないけどさ。
「なるほどね」
とりあえず、俺にご執心の理由がわかったので、家の扉を開ける。 俺の帰宅に気がついた祖母は「あら、早いわね」と言ってきた。
そういや「大学の図書館に行ってきます」と言って出かけたんだっけか。いつもなら夕方に帰ってくるから、この時間に帰ってくるのは早い。紅茶の香りがする。
「お邪魔するぞ!」
大声を出すな。さっきと全然テンション違うじゃん。 瞬間的に耳を塞ぐと「やあやあ我こそは、本日からこの家でお世話になるアンゴルモアだぞ!」と戦国武将の名乗りのごとき挨拶をした。
お邪魔すると言ってからの、お世話になる、というのは日本語的にどうなんだ。お邪魔するっていうのは一時的に滞在する場合なんじゃあないか。しかも『本日から』お世話になるって言ってるし。まったく、日本語は難しいなあ。ここに住み着く気満々じゃん。
「アンゴルモアさん?」
日本人の名前としては特殊な響きをしているからか、祖母が聞き返す。見た目は弐瓶准教授だし。アンゴルモアさんは「気軽に『モア』と呼んでほしいぞ!」と付け加えた。お言葉に甘えて、俺もモアと呼ぶことにしよう。
「話を聞こうかしらね。そちらに座って」
門前払いとはいかなかった。祖母は俺に目配せする。彼女を連れ込んできた、と思われてんだろうか。
「モアさんは紅茶好き? コーヒーのほうがよければ」「好き好き! 好きだぞ! ダージリン、アッサム、コロンビア!」
祖母の質問に勢いよく返事をするモア。 コロンビアは違うんじゃあないかな。
でも、祖母は「ふふふ、元気でいいわね」と笑ってくれているからいいか。
「タクミくんは?」「同じのでいいです」
……やっぱり、なんか苦手だ。俺は祖父母との距離感を掴めていない。
一般的なおじいちゃんおばあちゃんと孫の関係性なら、甘えていいんだろうけど。なんだろう。向こうは優しくしてくれてるんだから、勝手に壁を作ってしまっているのはこっちのほうで、俺が悪い。
「ふんふん」
靴を脱ぎ、二人でダイニングまで歩いていく。
モアは二人三脚でもやっているかのように離れない。機嫌よく鼻を鳴らしている。悪い気はしないからいいけど。
俺が手前の席に座って、その隣にモアが座った。それぞれの前にカップを置いてから俺の向かい側に祖母が座る。テーブルの真ん中にはおそらく祖母が一人で食べる予定だったのであろうクッキーが置かれていた。
「いただきます!」
モアは景気良く手を合わせてから紅茶を飲もうとして「あチッ!」と唇を離す。そりゃそうだよ。そういうのは冷ましてからじゃあないと。
「モアさんは、タクミくんの彼女?」
早速、ど直球の質問が飛んできた。彼女かって言われると、……彼女?
「こんなにかわいい彼女がいるのなら、早く教えてくれたらよかったのに」
さっきできたんです。 ――いや、できてないできてない!
危ない危ない。気を確かに持てよ俺。まだだよ。まだ。この流れに流されたら俺とモアとが彼氏彼女っていうのが既成事実となってしまう。強めに否定しておかないと。
「彼女じゃあないです」
俺がこうやってハッキリと違うと言ったのに、その隣のモアは「結婚を前提にお付き合いしていて、今日からこの家で同棲しようと思う! おばあさま! ビシバシ鍛えてください!」と言い放って、額をテーブルに叩きつけそうな勢いで頭を下げた。マジかよこいつ……。
ま、まあ、こんな剣幕で言われたら祖母はドン引きするだろ。
「あら……お部屋はどうしようかしら」
おばあさまァ!? どっちかというと肯定寄りの返答、何?
「我はリビングで寝袋でも」
身体がバキバキになりそうな選択肢を提示してくる。 母星ではそういう文化だったのかな。
「そうはいかないわ。そうね……真尋の部屋でもいいかしら」
真尋さん。
「あの子が出て行ってから掃除していないから、あとで掃除するわね」
いいのか? 俺が口出ししていいのかわからなくて、視線を逸らして紅茶を啜る。
「そんな、いきなり押しかけてきたのにいいんですか?」
モアにも思うところがあるらしい。厚顔無恥かと思えば絶妙に常識的なところを見せていく。敬語になってるし。
「いいのいいの。……なんだか、娘が帰ってきたみたいだから」
俺は余計に何も言えなくなる。
娘かあ。真尋さんと、弐瓶准教授。背格好は近いか。顔の雰囲気は違うけど。真尋さんは、おっとりとホワホワしている感じ。弐瓶准教授は顔の各パーツの主張が強い。それでいてバランスが取れていて美人。
「我は真尋さんの代わりになれるかはわからないぞ。宇宙人だから」
祖母に対しては何も言えないけどもお前には言うからな。宇宙人ってなんだよ。侵略がどうのとか母星がどうのとか言ってたけどさ。
「あら! そうなの!?」
あれ? なんかノリおかしくない? 急にテンション上がったけども?
「……そーっと」
祖母はモアに対して人差し指を近づけていく。 その意図を瞬時に把握した
「おばさんね、生きているうちに宇宙人に会うのが夢だったの!」
初耳だな……。 そういえば、この家には本棚にDVDやブルーレイディスクのパッケージが並べられているもんな。最初に来たときにまじまじと見てしまった。サブスクリプションじゃなくて円盤を買う人なんだな。俺は授業で観させられた映画ぐらいしか知らないけど。E.T.もそれで観たし。
リビングのテレビがやたらでかいのは、映画用か。
「モアさんの星はどのぐらい遠いの? 移動手段は? 地球に来た目的は?」
矢継ぎはやに質問を投げかけていく。
モアは「ものすごく遠い! 個人所持の、地球風にいうと『未確認飛行物体』! タクミとの結婚!」と端的に答えていった。
「へえー?」
おばあさまに含み笑いを向けられる。 ……なんでございましょうか?
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