我が愛しの侵略者
秋乃光
第1話 振り返ればそこにいる
祝日の
まあ、俺だっていまだに信じられないのだけど。
どれほど信じられないことでも、俺の父親と、父親の再婚相手の
「俺はいま、
俺の名前は
小学校の頃に「自分の名前の由来を親に聞いてみよう」という宿題が出たことがある。父親に聞くと、父親はむすっとしてスマホを取り出した。ぽちぽちと操作して、誰かにメッセージを送ったようだ。なんだろうか。画面をのぞき込もうとした視線に勘づかれて睨みつけられた。俺はそっとその場を離れる。
夕食の時になってようやく「さっきの質問だが、お前にはお前と母親の違う兄と姉がいて、おれにとっては三番目の子どもだからだ」としたり顔で答えてくれた。とはいえ、提出する時には「ありのままを書いてしまうと担任からあまりよく思われないのではないか」と、当時の俺なりに危惧して「画数が良かった」という嘘の理由をでっちあげておく。……顔を知らない兄と姉が、この世のどこかにいるのだと思うと、なんだか心強いような気がした。
その腹違いの兄の
俺が東京の上野にある四方谷家に身を預けて、なおかつ、当初の予定通り神佑大学へ入学することとなったのは、英伍さんが祖父と話をつけてくれたからだ。普段は関西のほうの製薬会社で働いており、いますぐに仕事を辞めて東京に住むわけにもいかない。俺は神佑大学に通いたいから東京を離れたくない。父方の祖父母はすでに他界している。親戚はいない。高校を卒業したばかりで、一人で生きていけるほどの生活力もない俺が放り出されずに済んだのは、不幸中の幸いだった。
姉とはまだ会ったことはないけど、英伍さんから写真を送りつけられた。
今度また東京に出張で来るというので、その時に会う約束になっている。
俺の実の母親――俺の父親にとっての二人目の妻。一人目は英伍さん兄妹の母親――は俺を産んでから間もなく行方をくらませてしまったらしい。らしい、というのは俺が直接この目で見たわけじゃあないからってのと、この蒸発を父親からではなく母親を担当していた医者から聞いたからだ。父親が写真やら映像記録やらを全て捨ててしまっていて、俺の母親は俺の想像上にしかいない。一切のデータを残していないんだから相当だよ。
橙色の瞳は母親譲りらしい。それは父親からも幾度となく言われた。が、逆を言えば、それぐらいしか母親に関する手がかりはない。探そうにもヒントがなさすぎるので、半ば諦めている。会いたくないのかと問われれば、違う。会いたい。なぜ俺を見捨てたのかと問い質したい。きっと父親の側に理由があるんじゃあないかと睨んでいるけど、死ぬ前に心当たりはないかだけでも聞いときゃよかったな。
ごくありきたりな、幸せそうな家族連れを見るたびに、どうして俺がああはならなかったのかを考えてしまう。父親が再婚して、真尋さんと一二三ちゃんと、四人家族になって、ようやく〝普通〟の家族らしくなった。俺がこの十八年間望んでいたもの。手に入ったのに、事故のせいで、失われてしまった。どれだけ悔やんでも、失ったものは取り返せない。ゲームじゃあないから死者蘇生はできない。この世界に魔法はない。
二〇一八年三月九日の金曜日。その日、俺は高校の卒業式だった。高校の卒業式ともなると、保護者が来ていないやつも多い。だから、俺の家族が来ていなくともおかしくはなかった。父親が再婚したのは三月四日。真尋さんからしたら、再婚相手の息子の高校の卒業式なんて興味ないよ。父親と真尋さんより、俺と真尋さんのほうが年齢が近いぐらいだし。……いま考えると、土下座してでも来てもらったほうがよかったんじゃあないかと思う。後悔しても遅い。
事故が起こった。この不忍池にタコの怪物が現れて、父親と真尋さんと一二三ちゃんをその触手で池に引きずり込んだ。目撃証言によれば、触手に捕まった俺の父親は「フランソワ、助けてくれ!」と叫んでいたというが、その〝フランソワ〟が何を指しているのかはわからない。助けを求めているのだから人名の可能性は高いけど、父親の知り合いにそんな洒落た名前の人、いたか?
ともかく、体長五メートルほどで、吸盤の並び方が均一なことからメスと推定されるタコの怪物は三人を襲った。他の人間には危害は加えず、そのままぶくぶくと池の中に沈んでいく。
その後の捜査で三人の遺体は発見された。しかし、父親のスマホと、そのタコの怪物は見つかっていない。この事故はニュース番組やワイドショーで話題にされ、ネット上で目撃者が撮影した動画や写真が拡散されて、しばらくはこの辺も立ち入り禁止にはなっていたけど、今はもう――
「そんなに我のことを想ってくれているなんて嬉しいぞ!」「!?」
振り向く。そこには満面の笑みを浮かべた女性が立っていた。俺が四月から通うこととなる神佑大学の、言わずと知れた有名人、
「うむ。我はいま、ユニの姿をしておる。ブイブイ!」
胸を見ていたら、屈んで俺と目を合わせ、両手でブイサインを作ってきた。上は白いカッターシャツに、下は水色のマーメイドスカート。セリフに引っかかるところが数点ある。それに、准教授が面識のない入学前の学生に声をかけるか?
「初めまして、ですよね? 弐瓶准教授」「いいや、我はアンゴルモアだぞ!」
今なんて?
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