2-5


「……っ!」


 飛び起きたルーファスが枕元の置き時計を見ると、深夜二時。全身にじっとりと嫌な汗をかいていた。


(……あんな夢を見るなんて)


 舌打ちをしてしまう。

 昔のことを思い出すなんて、ここ何年もなかったのに。

 初めての友人を失った。

 ルーファスにとっては思い出したくもないことだ。

 あんな目に遭うのならば、ジェレミーと知り合わなければ良かったとどれほどこうかいしたか分からない。


(これもジェレミーのせいだ。昔に渡した取るに足らない物を、今でも大切そうに取っておくなんて……)


 ルーファスからもらったものなんだと言ったあの笑顔を思い出すと、胸の奥がめつけられ、苦しくなる。


(忘れろ。全ては終わったことだ。今の私に必要なのは、クリスだけだ)


 目を閉じて眠り直そうとするが、なかなかつけない。

 誕生会になんて行かなければ良かった。

 クリスのことを考えようとすればするほど、なぜかジェレミーが思い浮かんでしまう。

 正装姿の大人びたジェレミーに思わず見とれたせいで、クリスがいたことにも気付けなかったなんて。

 まんじりともせず、てんじょうをいつまでも見つめた。



*****



(三時限目は授業は入れてないし、図書館で時間でも潰そうかな)


 ジェレミーが廊下を歩いていると、外からかんせいが聞こえた。

 どうやら競技場で馬上やり試合が行われているようだ。

 戦っているのは、ラインハルト。原作でもたびたび登場したシーンである。


(せっかく時間があるんだし、推し活だ!)


 ジェレミーと同じようにこの時間、特に授業を入れていない生徒たちの姿もある。

 ラインハルトが見事な槍さばきで相手を落馬させれば、ギャラリーから歓声が上がる。

 本人は当然だと言わんばかりに、盛り上がるギャラリーとは裏腹に平然としていた。

 あっさり勝ってしまったが、相手はたしか馬上槍の部活動のエースだったはず。原作にちらっと出てきたから見覚えがある。

 それをいとも簡単にたおしてしまうなんて。

 しかし彼の強さは血筋によるものだけではない。

 クリスと出会ってから、彼を守れる強い男になるために、日々けんさんはげんでいるからこそ、なしえた努力の成果なのだ。

 才能があり、愛する人のためには努力をしまない。

 そんなラインハルトだから、推せる。


「ラインハルト先輩! 最高で―――――すっ!!」


 周りの盛り上がりに乗じてさけぶ。

 教師が次の相手をつのるが、エースクラスがげきちんしてしまった今、ラインハルトと戦おうとする生徒がいるはずもない。

 もっとラインハルトの勇姿を見ていたかったが仕方がない。

 こしを上げかけたその時、場がざわつく。


(殿下!?)


 手を挙げていたのは、ルーファスだった。



*****



 ルーファスはうんざりしながら、体育の授業を受けていた。

 今日は馬上槍。馬をあやつり、戦用のせんたんを潰した槍で戦う競技である。

 ラインハルトのどくだんじょうだ。

 づなさばきも、槍さばきも堂に入っている。

 周囲との力量差は明らかで、子どもだけの試合に大人が乱入しているようなものだ。


(あの男をクリスからはいじょする必要があるのか。やはりごわいな)


 ジェレミーの助言通りに接することで、クリスとはいい関係を築けているが、今のところあくまで親しい先輩止まりなのがもどかしい。

 やはり障害であるラインハルトを排除しなければならないが、やり方には注意をはらう必要がある。クリスとの関係をこじれさせるわけにはいかない。


(私が先にクリスと出会っていれば……)


 悔やまずにはいられなかった。

 そうこうしているうちに別の試合が始まる。

 ラインハルトはたいする相手の槍をかわし、いちげきを入れて落馬させる。

 しんぱんがラインハルトの勝利を告げると、ギャラリーが盛り上がった。


「ラインハルト先輩! 最高で―――――すっ!!」

(ジェレミー? どうしてここに……)


 ラインハルトを食い入るように見つめ、せいえんを送っていた。

 まるでゆめごこという表情で。

 苛立ちがこみ上げる。

 ラインハルトは、自分からクリスを奪おうとしている敵だというのに、どうしてそんな無邪気な笑顔で応援しているのか。


(私の従者だろう!)


 昨夜、昔のことを久しぶりに夢に見たせいだろうか。

 あの頃、ルーファスだけを見て、あこがれのこもった眼差しを向けていたはずのジェレミーが、自分ではない別の人間に目を輝かせ、声援を送っていることが気に入らなかった。

 ジェレミーはただの従者以外の何ものでもないのだから、気にかける必要などないというのに。

 教師が「次のちょうせんしゃは?」と呼びかけるが、誰も手を挙げない。

 当然だ。今の試合を見て、誰があの筋肉馬鹿に立ち向かおうと思うだろう。

 頭で分かっていながらも手を挙げていた。


「私が」


 これまで授業は適当に流してきた。だから自分の意思で手を挙げるのはこれが初めてだ。

 周囲かられたのはしっしょう

 王族の汚点が、無能者が、ラインハルトの相手などできないとでも思っているのだろう。

 ラインハルトがかぶとのバイザーを上げて、睨んでくる。


「悪いが、手加減をするつもりはないぜ」

「むしろ本気で相手をしないと、大勢のギャラリーの前で恥をかくぞ」


 ジェレミーはおどろきの顔で事態を見守っている。

 ルーファスはかっちゅうを身につけ、兜をかぶり、槍を手に馬にまたがった。

 ラインハルトがこちらに殺気をみなぎらせた視線を向けてくる。

 ギャラリーの反応はおおむね、二つに分かれていた。

 ラインハルトを応援するか、勝てるはずがないのに、とでも言わんばかりに馬鹿にしたような顔で、ルーファスを見ているか。

 そんな中、ジェレミーだけがルーファスを応援していた。


(そうだ、従者としてそれが正しい在り方だ。私だけを見ていろ!)


 審判が試合開始の合図の旗を振れば、同時に馬腹をってけ出す。

 最初にルーファスが槍を繰り出すが、さばかれ、逆に槍がき出された。

 さきはじき、すれ違う。

 馬首を返し、今度こそ一撃を当てようと槍をしごくが、ラインハルトも同じ考えらしい。

 ぶつかり合った槍が同時に折れた。

 さっきまでちょうしょうしていたギャラリーは、試合のゆくかたんで見守っている。

 新しい槍にえ、スタート位置に戻る。

 合図を待って、馬を飛ばす。

 何度も繰り返し槍を交えると、さすがに息が上がる。

 垂れた汗が目にみる。

 あぶみを踏みしめ、こうさくした。またも互いに決定打に欠けたが、すぐに向き直る。

 そこで授業しゅうりょうかねひびき渡った。

 全身から力を抜く。


「もう少し時間があれば私の勝ちだった」

「それは俺の台詞せりふだ。それにしてもどういう風のき回しだ? いつも退たいくつそうに見ているだけのくせして」

「ただの気まぐれだ」


 ルーファスは馬を下りると兜を取る。

 不必要な汗をかいてしまった。


わずらわしい……)


 汗で張りついたまえがみき上げる。

 ルーファスはまっすぐ、ジェレミーの元へ行く。

 ジェレミーは自分がいることを気付かれていると思っていなかったのだろう。びっくりした顔をしている。


「どうだった?」

「すごかったです! さすがは殿下! 子どもの頃よりも、さらにてきでした!」


 ジェレミーは子どもの頃に戻ったような、キラキラした目で言った。

 その輝く瞳を前にすると頰が熱くなる。


「……また子どもの頃か。昔のことばかり無駄に覚えているから、お前は駄目なんだ」


 胸の奥がざわざわして、落ち着かない気持ちになってしまう。


「でも勝敗がつかなかったのは残念です」

「もう少し時間があれば勝っていた」

「僕もそう思いますっ。それに、最初は殿下を笑っていた人たちも、最終的には試合を食い入るように見ていましたよ!」

「どうでもいい」


 ぞうぞうのギャラリーがどう思おうがつゆほどの関心もないが、ジェレミーから昔のような熱のこもった眼差しを向けられるのは悪くなかった。



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