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 父からちょうあいを受けたおどとの間にできた、第二王子││それがルーファスだ。

 ルーファスの母はいつでも明るく、誰に対しても気さくに振るい、常に話題の中心にいた。

 父はそんな母にりょうされた一人で、あししげきゅうに通い、片時も離れなかった。

 周囲の貴族も側妃である母の元へ集まり、いつも離宮はにぎやかだった。しかし母が病でくなり、ルーファスが魔法を使えないと発覚してから、全てが変わった。

 親しく振る舞っていた貴族たちはあっさりと手の平を返す。


『何と不幸なことだ。よりにもよってあの女の血をいろく|継《

つ》いでしまったのか』

『陛下のらくたんときたら……』

『陛下が踊り子風情に入れあげたことがそもそものあやまち』

『無能者とは、まさに王家の汚点だ』


 貴族たちは潮が引くように離れていった。

 貴族社会において魔法が使えるかどうかというのは死活問題だった。

 そんな中でも父は、母を失ったルーファスを気にかけてくれたが、この国の王である以上、いつまでも子どものそばにいられるほどひまではなく、対面できるのは数カ月に一度あればいいほう。

 ルーファスの周りにいるのは、と身の回りの世話をするメイドが数人。

 おまけにメイドたちは形ばかりの世話しかせず、本当にけんしん的にそばについてくれていたのは、母がルーファスのために選んでくれた乳母だけだった。

 父がいそがしいのをいいことに、王宮を取り仕切るおうがそのように仕向けたのだ。

 無知な子どもであっても、生前の母が父の寵愛を受けたことで、王妃からしっによるいやがらせを受けていたことは知っている。

 しかし母が亡くなっても、王妃の敵意は消えなかったのだ。

 嫌がらせは王妃からだけでなく、レイヴンからも受けた。

 従者を引き連れ、ルーファスをあざけり、離宮めがけ石を投げてきた。


『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!』


 ルーファスにとってレイヴンはきょうの対象で、悪意に染まった声が聞こえると、乳母と一緒に部屋の奥でふるえるのが常だった。

 何のうしだてもない、名ばかりの第二王子。

 しかし父にレイヴンからの嫌がらせを告げ口しようとは思わなかった。

 そんなことをしてもレイヴンはとぼけるだけだし、告げ口をしたせいで嫌がらせがもっとひどくなる可能性があったから。

 十歳になったルーファスは、ある日、メイドから今日は絶対に庭園に出てはいけないと厳しく言われた。


『本日は王太子殿下の従者が選ばれる大切な日ですからね。あなたが勝手なことをして、𠮟しかられるのは私たちなんですから、余計なことはしないでくださいよっ』


 心配せずとも行くつもりなどなかった。

 ルーファスだって、余計なことをしてこれ以上睨まれたくない。

 だからいつものように離宮で人目を避けるようにして過ごした。

 そんな時、風に乗って賑やかな笑い声が聞こえてきたのだ。

 寂しくない。自分には乳母がいてくれるのだから十分。

 そう思っていたはずなのに、楽しそうな声を聞くとまんできなくなり、メイドの目をぬすんで走っていた。

 少しのぞくだけ。見たらすぐに戻ればいい。

 そう自分に言い聞かせたその時――


『ごめんなさい、ごめんなさい……!』


 泣き声が聞こえてきた。

 おおがらな子どもが、がらな少年に馬乗りになってなぐりつけていた。

『うるせえっ! しゃべるな!』


 言い返せず、ただ体を丸め、震えることしかできない姿が自分と重なった。

 考えるよりも先に体が動いていた。

 目の前の子どもが一体誰なのかも分からないまま、ルーファスは自分よりも大柄な少年を叩きのめす。大柄な少年の中にいつも自分をしいたげてきたレイヴンを見ていたからこそ、余計に力がこもった。

 大柄な少年は泣きべそをかきながらげ出し、後に残された小柄な少年はガタガタと震えていた。

 少年はランドルフ男爵家のジェレミーと舌っ足らずに名乗った。


『お前は弱いから、私が守ってやる。お前はこれから私に仕えろ。従者第一だっ!』

『ジュウシャ……?』

『私の家し……いや、と、友だちだ!』

『本当に!? 友だちになってくれるの!? 嬉しい! 初めての友だちだっ!』


 ジェレミーがかがやくような笑顔を見せ、じゃに喜んだ。

 その笑顔に、むねの奥がくすぐったくなった。

 両親や乳母以外の人から、こんなにも笑いかけてもらったのは初めてのことだ。

 父が母に、お前の笑顔は太陽のようだと言っていたことを思い出す。

 当時は意味が分からなかったけれど、ジェレミーの笑顔を見て、父があの時、母の笑顔をそう評していた理由が分かったような気がした。

 ジェレミーには自分が王子だということは話さなかった。

 王子だとばれたら、王宮で接することづかいばかりていねいなだけで、全くルーファスを見てくれない人々と同じ反応をするかもしれないと思ったのだ。

 ジェレミーの前では、ただのルーファスでいたかった。


『ジェレミー様は、男爵家で不当なあつかいをされているようでございます』


 乳母は調べた結果を報告してくれた。


『……私と一緒か』


 殴られていたジェレミーの目の中にあったのはあきらめだった。


(あんなに綺麗な目をしているのに……)

『ジェレミーとどこかでこっそり二人きりで会えないかな』

『手配してみます』


 乳母は、ジェレミーのきょうぐうに心を痛めていた男爵家の使用人とれんらくを取り合い、誰にも知られないようにこうがいの森で遊んだ。

 探険をしたり、川遊びをしたり、何でもない一日の出来事をころがりながら話したり、かげで一緒にひるをしたり。

 簡単な読み書きさえおぼつかないジェレミーに、ルーファスが読み書きをはじめ、基本的なことを教えた。

 ちょっとした知識をろうするだけでも『すごい! ルーファスは何でも知ってるんだね!』と笑ってくれた。

 ジェレミーから感謝されることが、初めて誰かから必要とされることが、嬉しかった。

 もっとすごいとめて欲しくて、勉強やけんじゅつがんった。

 嫌がらせを受けているとはいえ、さすがの王妃も国王からけんされた教育係との時間をぼうがいすることはできなかったのが幸いして、けんや馬術を習うことができた。

 しかし教育係の前では、わざと失敗した。

 もし上達していると知られたら王妃たちにけいかいされ、ろくな目にわなかっただろう。

 魔法が使えないだけでなく、剣の適性のない駄目な第二王子であれば、これ以上、睨まれるおそれもない。

 その代わり王宮に仕えている騎士たちの訓練にふらっと顔を出して、彼らから手ほどきを受けた。こうおうせいな城の使用人が時々そうして騎士たちから剣を習っていることを知っていた。

 ルーファスは使用人をよそおい、けいの相手をしてもらったのだ。

 そして練習の成果を、ジェレミーの前で披露した。


『ルーファス、かっこいい!』


 ジェレミーの感情は、宝石のように美しいむらさきいろひとみによく表れた。

 落ち込んでいると瞳の光が陰り、嬉しくなるとその光が強くなった。

 王宮にあるどんな宝石も、ジェレミーの瞳を前にしたらつまらない石に見えてしまう。

 ルーファスはジェレミーの目が、初めて会ったあの日から好きだった。

 だからその瞳で見つめられると、どんなお願いでもかなえてあげて喜ばせたくなったし、もっとその瞳を綺麗に輝かせるためなら、どんな苦労もいとわなかった。

 王宮の中は相変わらず息苦しく、ろうごくのようだったからこそ、ジェレミーと一緒にいる時だけが、ルーファスにとっての幸福だった。

 母を失って以来、白黒だった世界が色を取り戻す。

 いつもジェレミーのことを考えた。面白い本を読んだ時、庭園で綺麗な花を見つけた時、いつだってジェレミーのことが最初に思い浮かんだ。

 次会ったらこの本のことを話そう、この花をプレゼントしよう。

 物や時間を共有したいと思うのは、ジェレミーだけ。

 ジェレミーのあどけない笑顔を見ると、ドキドキして、胸の奥がくすぐったくなる。

 その気持ちの正体は分からなかったけれど、とても大切な気持ちだということは子ども心にも分かった。

 ずっと一緒にいたくて、森の中で昼寝をする時も、ジェレミーを抱きしめるようにしてねむるのが常だった。

 日が暮れて帰りたくない、ずっと一緒にいたいと泣き出すジェレミーをなぐさめ、『泣くなよ。また会えるだろ』と言いつつも、気持ちは同じだった。

 泣けばジェレミーを不安にさせることが分かっていたからこそ、その場は必死に強がり、帰りの馬車の中で乳母のひざに顔をうずめながら泣いた。

 ジェレミーの前では決して弱音は吐かない。笑顔でいる。

 かっこよくて、たよのあるルーファスのままでいることを自分に課していた。


『殿下にとって、ジェレミー様の存在は何よりも大切なんですね』


 乳母はいつものように優しくルーファスの頭を撫でながら言った。

 その通りだ。ジェレミーさえいてくれれば、後は何もいらない。

 しかしそんな幸福な時間はとうとつに終わりを迎える。

 誕生日にプレゼントした花が王宮の庭園でしか手に入らない、ヴィオトレリアという貴重な品種であったことが災いし、男爵家でさわぎとなり、こっそり外出していたことがおおやけになってしまった。

 ルーファスの願いでジェレミーが従者でいることは許されたが、男爵家の人間がジェレミーにいらぬをつけたのだ。

 それまでたがいに気安く名前で呼び、話していたにもかかわらず、ジェレミーはルーファスを殿下と呼び、あの輝くような笑顔を見せてくれないどころか、話す時でさえいつも伏し目がちになった。

 それまでの関係性がリセットされてしまったように、にんぎょうになった。

 ルーファスがこれまで通りに接してくれといくら言っても変わらなかった。

 近くにいるのに、まるでそう思えなかった。

 一緒にいるだけで幸せだったはずなのに。

 あの瞬間、ルーファスは世界でただ一人、心を許せる友を永遠に失ったのだ。

 勝手にルーファスを外へ連れ出していたことをとがめられた乳母は城から追放され、心のどころを失った。

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