3章 ルピカがかけた呪い

第13話 糸目野郎

 その日は、雨だった。霧のような細かい雨が庭の花を濡らしていく。

「雨かよ」

 つぶやいたのは流加で、忌々しげに窓から雨雲をにらみつけている。

「わたしは雨が好きだよ」

「ルピカはのん気だな。雨が降ったら、洗濯物が乾かねぇだろうが」

「けど、庭の樹々に水をやらなくて済むだろう?」

 横から千隼がやって来て、ルピカと流加のために温かいお茶をいれてくれる。

「いい香り!」

「紅茶だよ。この間もらった」

 千隼も席に加わり、窓の外を眺める。屋根を叩く雨音が心地よく部屋に響いていた。

「瀬乃、ちゃんと傘持って行ったかな?」

 ルピカは心配になる。この数日間過ごしてわかったことがあった。瀬乃は呪術師としてはとても強い力を持っているが、根本的にダメなところがある。それは、生活力がないのだ。料理も洗濯も、掃除もダメ。何をやらせても、余計な仕事を生産してしまう。

「俺が瀬乃の荷物に傘を巻きつけておいたから、絶対なくさないだろ」

 瀬乃は老婆の腰の調子が悪いと聞いて、一人村へ出かけていた。

 一つ、ため息を吐いて、流加は先ほどから木の板を掘るのに忙しい。一番の苦労人は流加かもしれないと、ルピカは密かに思っている。

「それは?」

「ん? ああ、看板だよ」

 のぞきこんだルピカに、流加は木の板をくるりと回して見せてくれる。

『呪医 瀬乃  夢見師 白珠』

「夢見師! すてきな名前!」

 ルピカの瞳が輝いた。

「瀬乃が名付け親だよ。本当はさ、ルピカの名前も入れてあげたかったけど。珍しい名前だし、長月家に知られたらマズイだろ?」

「気を遣ってくれてありがとう。わたしは、白珠の名前が瀬乃に並んでいるだけで、満足よ」

「それにしても、この国で夢見だなんて名前をつけて大丈夫なのかな?」

 千隼が一番正当な意見を言ったが、数秒後には、

「まあ、瀬乃のことだから、そんなこと気にしていないか」と、にこやかに笑った。

「あいつは気にしないだろ。そもそも、商売する気なんてないんだ。呪いって言葉に反応して体が動いているようなやつだ」

 木の板を掘る手を忙しそうに動かしながら、流加は言う。ルピカはひどい言われようだと、半ば瀬乃に同情した。

「わたしは、白珠の夢をわたる力が、これから先もっと評価されていけばいいなって思うよ。だって、白珠はすごい人だもの! それに、いつかこの国で女の子たちが堂々と夢を見たって話しができるようになったらいいと思うの」

「そうだね、俺も本当にそうなればいいって思うよ。ところで、ルピカも大活躍だったと瀬乃から聞いているよ。白珠もルピカも、この家に欠かせない存在だ」

 千隼がそう言った時、扉を叩く音がした。三人の視線がそちらへ向く。

「またあのガキか?」

 ため息を吐いて、流加が扉を開ける。

「悪いな、今日は瀬乃はいねぇんだわ」

「おや? それは好都合。好都合」

 外に立っていたのは、ルピカの知る人物だった。

雨月葵うげつあおいと申します」

 薄茶色の髪から、瀬乃とよく似た赤い瞳が笑っていた。

 雨月家は、長月家と肩を並べる呪術師の家系だった。葵は、その雨月家の次期当主であり、獅乃と交流のある人物であった。ルピカもまた、何度か顔を合わせたことがあった。

「遠い親戚が結婚したと聞いたので、こうしてお祝いに来たのです」

 勝手に家にあがった葵は、真っ直ぐにルピカを見た。

「やあ」

 葵は気さくにルピカに向かって手をあげた。ルピカは焦った。

 彼は、ルピカの正体がわかったのだろうか。瀬乃はルピカを見てすぐに見破った。雨月家次期当主ならば、白珠の体に入っているのはルピカだと見破ってしまうかもしれない。

「久しぶりですね。あなたでしたか」

 ルピカは今すぐ逃げ出したくなった。

 やはり、葵はルピカの正体を見破ったのだ。処分されるかもしれない。すぐに逃げなければ。けれども、足が床に張り付いたように動かない。

「白珠さん」

「えっ?」

 なぜ、白珠の名が? 白珠と葵が知り合いだったのだろうか?

 ルピカが困惑していると、葵はにやにやと笑って耳元でこうささやいた。

「また呪いの依頼、お待ちしていますよ」

 体が緊張で強張るのを感じた。それはルピカの意思でそうなっているのではなかった。

 ──白珠?

「はい、これお祝いのお酒です。毒は入っていませんよ、たぶん。きっと」

 茶目っ気たっぷりの表情で葵は言うと、滞在も短く去って行ってしまった。

「なんだよ、あの糸目野郎。感じ悪ぃな。おい、千隼。砂糖まいておけよ」

「塩だよ、流加。砂糖をまいたら別のものが集まってしまう」

 葵から渡された酒を持ったまま、ルピカは立ちすくんでいた。ルピカの正体はバレなかったようだが、葵は白珠のことを知っているようだった。それも、呪いの依頼主として。

 白珠は、誰かを呪ったことがあるの?

 ちょうどその時、玄関の扉が開いて瀬乃が帰ってきた。

「ただいま戻りま──ぶっ」

 塩を掴んだ流加とぶつかった瀬乃は、鼻を押さえてよろめく。

「どうかしたんですか? 塩なんか持って」

「いや、どうしたはお前だよ。なんでびしょ濡れなんだよ」

 はあ、と瀬乃は気まずそうに目線を流加からそらす。

「傘は?」

「ええと。途中まであったのですけれど」

「けれど?」

「たぶん、どこかに」

「置いてきたの?」

 瀬乃は申し訳なさそうにはにかむ。

「お前、何本目だよ! 傘なくすの!」

「ええと」

「傘を無くす呪いにでもかかってんじゃねぇの?」

 怒った流加が言うと、瀬乃は「あはは」と笑ってしまう。

「それは面白いですね」

 流加の怒りが爆発する前に、千隼が間に入る。

「つい今、雨月葵という人が結婚祝いを持って来たんだ。外で会わなかった?」

 尋ねられて、瀬乃は首を振る。

「葵さんがここに来るなんて、珍しいですね」

 瀬乃は少しの間考えこみ、それから顔を上げた。

「ルピカ、何か言われましたか?」

「……わたしは、何も」

 雨月葵が白珠と知り合いのようだった、ということをルピカは黙っておくことにした。白珠に訳を聞いてから。瀬乃に伝えるのは、その後でいいと思った。

「それより、お風呂に入ってきたら? 沸かしてあげる」

 ずぶ濡れの瀬乃のために動こうとしたルピカを、流加が止めた。

「いい。俺がやる。もう少し小言いってやんねぇと気が済まないし」

 瀬乃は流加に突かれながら、風呂場へと連行されていってしまった。

「さて、二人は行ったかな?」

 耳を澄ませた千隼が、にっこり微笑むと玄関の扉をパッと開けた。すると、扉に張り付いていた小さな何かが転がり入ってきた。

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