第2話
リラの警戒が緩んだのを敏感に察したアルベールは、ゆっくりと腕を放した。
「すみません、驚かせましたね。その……着替えるものがないようだったので、これを使いませんか?」
そう言って、彼は服と、小さな干し肉の包みを差し出した。
リラは警戒しつつも、まずは干し肉に手を伸ばした。
地下牢では与えられなかった、香辛料の効いた肉の匂いが、彼女の胃を刺激する。
一口齧ると、凝縮された旨味が口いっぱいに広がり、リラは思わず目を閉じた。
「おいしい……」
その呟きは、アルベールには届かないほどの小さな声だったが、彼女の顔に浮かんだ至福の表情は見て取れた。
アルベールは安堵し、そして、やはりこの少女を放っておけないという気持ちが募った。
「その服も、よかったら着てください。濡れた服を纏うのは体が冷えます」
リラは無言で服を受け取った。
生まれて初めて見る、身体に優しい肌触りの服だった。
狼が彼女の背中をポンと鼻で押し、洞穴の方へ促す。
リラは服を着替えるため、洞穴へと向かった。
アルベールは、その間、遠巻きに目を伏せて待った。
逃げる雰囲気では無かったが、戻って来なければまたこの辺りで待とうと思っていた。
女性をあまりしつこく追い回すものでは無いだろう。
こんな風に待ち伏せする事も褒められた行為では無いが、仕方ない。
そこは許して欲しいと、半ば自分に言い聞かせせるように言い訳しながら待つアルベールだ。
着替えて戻ってきたリラは、少しだけ居心地が悪そうだったが、ボロボロの一張羅よりもずっと動きやすそうに見えた。
アルベールは、このまま森に放置しておくわけにはいかないと改めて決意した。
「君の名前は?」
アルベールの問いに、リラは答えない。
もしかして、彼女は言葉を話せないのだろうか。
アルベールはあまりに物を知らなそうなリラに胸がざわつく。
リラはただ、不思議そうに首を傾げた。
「名前……?」
リラが自分の名前を知らない可能性に、アルベールは衝撃を受けた。
尋常ではない境遇で育ったのだろう。
だが、それは今、深く詮索すべきことではない。
あまり質問攻めにしては、また逃げられてしまうかも知れない。
アルベールは聞きたい事が山程あるが、グッと堪える。
「……私はアルベール。騎士をしています。薬草の採取と、森の様子を見に来ました」
言葉の意味を理解してくれるだろうかと心配しつつも、自己紹介をするアルベール。
『騎士』その言葉に、リラの瞳に一瞬、警戒の色が戻る。
兵士たちと同じ、鎧を纏った人間。
しかし、彼は今まで自分を傷つけようとはしなかった。
『飯をくれるタイプ』リラの中で、アルベールはそう分類された。
リラは、アルベールをじっと見つめ、そして、狼の背に乗り、洞穴の方へ向き直った。
『ついてきて』そう言っているかのように、狼は洞穴へと歩き出した。
アルベールは戸惑いつつも、彼女に導かれるまま付いていく。
やがて狼とリラの洞穴へとついた。
『中に入れ』と、言う様子で見てくる彼女に恐る恐る足を踏み入れた。
見れば、狼は勿論、彼女も素足な為、アルベールは外に靴を揃えて置いた。
中は意外なほど広く、奥には枯れ葉や苔が敷き詰められた寝床がある。
そして、その一角に、キラキラと光る奇妙な山が築かれていた。
「これ、食えないけど、モンスターたちがくれた。使えるものがあれば、持ってけ」
リラはそう言って、宝物の山をアルベールに示した。
アルベールは、その輝きに目を疑った。
初めてリラが喋ってくれたとか、話せたのかという驚きが全部吹っ飛ぶ驚きの上乗せである。
積み上げられているのは、透明なゼリー状の「プヨンの液体」が入った瓶、七色に輝く魔法石、見たこともないほどに鮮やかな薬草、そして、紛れもない金貨や銀貨の山だった。
「これは……これは、一体……!?」
アルベールの声が上ずる。
彼は震える手で、ひときわ大きく輝く魔法石を拾い上げた。
これ一つで、どれほどの値が付くか。
そして、あの硬貨の山は。
「これは、とんでもない価値の品々ですよ! 町で売ったら、立派な家が三軒は建つ!」
アルベールは興奮して言った。
リラは首を傾げる。家と言う事は……
「立派な洞穴が三つ? それはすごいことなのか?」
彼女のあまりにも純粋な問いに、アルベールは言葉を失った。
この少女は、自分がとんでもない宝の山の上で生活していることを、全く理解していない。
彼女がモンスターたちを癒すことで、彼らが感謝の印として運んできた「報酬」の数々は、国中の商人たちが喉から手が出るほど欲しがる品々ばかりだ。
そして、同時にアルベールは確信した。
森のモンスターたちが異常なほど穏やかだったのは、この少女が原因だと。
瘴気を浄化し、彼らを癒す。それは、失われた王家の血筋に伝わるという、幻の力ではないのか?
リラの無知と、あまりにも無垢な瞳が、アルベールの庇護欲を駆り立てた。
そして、彼女の秘められた力が、この国の、ひいては世界の命運を左右するかもしれないという予感に、彼の騎士としての使命感が燃え上がった。
「君は、私と一緒に来るべきだ」
アルベールは静かに言った。
リラは彼を見つめる。
洞穴が三つ建つほどの価値という言葉も、彼が何を言っているのかも、彼女にはよく分からなかった。
ただ、目の前の男が、今まで自分に優しくしてくれたことだけは理解できた。
アルベールは、自分の持てる全ての知識と力を使い、この少女を守り、導こうと心に誓った。
そして、彼女が持つ途方もない力と、それにまつわる真実を解き明かす旅が、今、始まろうとしていた。
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