モンスターを癒やす森暮らしの薬師姫、騎士と出会う

甘塩ます☆

第1話

 冷たい石の床の上で、リラは身を縮めていた。物心ついた頃から、ここが彼女の全てだった。

 地下深く、太陽の光も届かない牢獄。時折差し入れられるわずかな食事と、足元を這う小さな虫だけが、外界との接点だった。

 自分が何者で、なぜここにいるのか、リラは知らない。誰も教えてはくれなかった。

 ただ、人間とは自分を閉じ込める者たちと、かろうじて命を繋ぐ糧をくれる者たちの二種類なのだと、幼い心は認識していた。


 ある日、地下に轟音が響いた。


 兵士たちの怒号と、金属がぶつかり合う耳障りな音。

 何が起きているのか理解できないまま、リラは身を固くした。


 何だろう。すごい音。怖い……


 やがて、争いは地下牢にまで雪崩れ込み、目の前の牢格子越しに、兵士たちが入り乱れて戦い始めた。

 その混乱の最中、激しい衝撃と共に、何かがリラの足元に転がってきた。それは、煌めく金属の塊――牢の鍵だった。

 血溜まりが広がるそこに落ちた鍵を震える手で鍵を拾い上げ、差し込んだ。 

 カチャン、と乾いた音がして、重い扉が軋んだ。

 呆然と開いた扉の向こうに、初めて見る『外』の世界が広がっていた。

 未だ戦いは続いている。足が震えた。

 しかし、チャンスは今しかない。

 リラは勇気を振り絞り、恐る恐る牢を出た。


 無我夢中だった。力の入らない足に何とか力を込めて、転げそうになりながら歩いた。

 誰にも気づかれることなく、細い体は戦う男たちの隙をすり抜けた。

 リラは城の地下を這い上がり、やがて開かれた門から外へと飛び出した。


 外の世界は、強烈な光と、嗅いだことのない土の匂い、そして鳥のさえずりで満ちていた。

 どこへ行けば良いのかも分からず、ただ暗闇を求めて歩き続けるうち、リラは深い森の入り口に立っていた。 

 ゆっくりと足を踏み入れる。

 ひんやりとした空気が肌を撫で、木々のざわめきが耳に心地良い。


 ここなら、誰も自分を見つけられない。


 そう直感し、リラは森の奥へと進んでいった。

 薄暗い森は、地下牢から出たばかりのリラにとって落ち着く空間だった。


 自然と足が進む。何処を目指しているのかも解らない。

 何度も転げそうになりながら、それでも奥を目指して歩いた。

 突如、黒いモヤに覆われた巨大な狼に遭遇した。


「うわっ!」


 体毛は黒く、目は血のように赤く輝いている。

 

 食べられる!?


 凶暴な気配に一瞬怯んだリラだったが、なぜか恐怖よりも、彼を助けたいという衝動に駆られた。

 苦しんでいる様にみえたのだ。


「大丈夫? どこか苦しいの?」


 リラはそっと手を差し出した。狼は警戒するようにクンクンと匂いを嗅いだ後、不思議そうにリラの手を見つめた。

 彼女がその毛並みを優しく撫でると、狼は気持ちよさそうに目を閉じ、喉を鳴らした。

 すると、どうしたことだろう、狼を覆っていた黒いモヤが、みるみるうちに薄れていくではないか。


 瘴気が浄化された狼は、もはや凶暴な獣ではなかった。

 キラキラと輝く瞳でリラを見上げ、感謝するように鼻先を彼女に擦りつけた。

 そして、口に何かを咥えて差し出した。

 それは、手のひらに収まるほどの、豪華な輝きを放つ魔法石だった。

 リラはそれを受け取ったものの、その価値など知る由もない。


「どうせくれるなら食べられるものが良いなぁ」


 見るからに食べ物ではないそれに独りごちた。

 すると狼は、きょとんとした後、すぐに森の中へ駆け去り、あっという間に一羽のウサギを捕まえて戻ってきた。


「肉になってたら食べられるかもだけど、ウサギのままだと気が引けるよ。お前が食べな」


 うさぎの調理の仕方などそもそも解らないリラ。

 苦笑しながらウサギを突き返す。狼は困ったような顔をした。


 やがて、狼は「ついてこい」とでも言うように、リラに歩幅を合わせ、ゆっくり森の中を歩き始めた。

 リラは何となくついていく。

 少し歩くと苔生した大きな洞穴に辿り着いた。


「家を紹介してくれたの? ありがとう」


 リラが喜ぶと、狼は尻尾を振って、やっとお礼ができたとでも言うように安堵の表情を見せた。

 その夜、リラは狼の温かい体に寄り添い、久しぶりに安らかな眠りについた。




 翌日から、リラと狼の森での生活が始まった。

 狼はリラに、食べられる木の実やキノコ、野草の場所を教えてくれた。

 他の小動物や小さなモンスターたちも、彼女に森の恵みを分け与えた。

 リラは出会った瘴気に覆われたモンスターや怪我をしたモンスターを、触れるだけで癒していった。

 すると彼らは感謝の印に、花の蜜、プヨンの液体、珍しいキノコ、美しい魔法石、そして貴重な薬草などをくれた。

 食べられるものはその場で食べ、価値の分からないものは、大切に洞穴に溜め込んでいった。

 時折、プヨンたちが持ってくる『硬貨』も、リラにとってら何の価値があるのか分からなかったが、とりあえず大事にしまっておいた。




 森で暮らして数ヶ月が経ったある日、リラは唯一の着替えである服を洗い、自身の体を清めるために、狼と共に森の湖へやってきた。

 服を脱ぎ、透き通った湖水に体を沈めていると、突然、背後から声が聞こえた。


「なっ、こんな危険な森で何を!?」


 慌てて顔を上げると、そこに一人の男が立っていた。

 リラは驚き、すぐに狼の背後に隠れ、彼を睨みつけた。


「失礼、覗き見をしようと思ったわけではなく…… その……」


 男は慌てて視線を反らし、顔を赤く染めた。


 「名前はなんですか?」


 男はそう問いかけられたが、リラは返事をせず、濡れた服を乱暴に身に纏い、狼と共にその場から逃げ出した。

 リラの中では、人間は自分を牢屋に閉じ込めた者と、飯をくれる者の二種類しかいない。

 目の前の男がどちらなのか分からず、ただ怖かったのだ。

 もしかしたら、自分を捕まえに来たのかもしれないと怯えた。



 男はリラのことが気になり、後を追ったが、あっという間に見失ってしまった。


「身なりからして、この森で狼と暮らしているのだろうか……」


 彼は騎士、アルベール。

 この森は危険度こそ中級だが、豊富な薬草が自生しているため、町の薬師から依頼を受け、薬草の採取に来ていた。

 同時に、最近の森のモンスターの様子も確認するよう命じられていたのだ。

 通常、この森のモンスターが凶暴化するのは、魔王が動き出す予兆とされている。

 しかし、今回の森のモンスターは、一見すると異常なほどに穏やかで、かえってアルベールは違和感を覚えていた。


「これほど広い森で、たった一人の少女を探し出すのは至難の業だ。権力を駆使し、人員を駆り出せば不可能ではないが……」


 彼は悩んだ。

 もし、あの少女が人間を嫌い、自ら望んでこの森に住んでいるのだとしたら、無理に連れ出すことは彼女にとって不幸ではないか?

 アルベールは熟考の末、彼女をこの湖畔で待つことに決めた。

 着替えがないようだったから、まず、着替えやすいシンプルな服を用意して、木陰に隠した。




 何日か湖畔で待ち続けると、ついにリラがやってきた。

 狼の背から降りた瞬間、アルベールはそっと声をかけた。


「や、やぁ、こんにちは」


 リラは無言で、再び狼の背に跨ろうとする。


「ま、待ってください、話をしましよう。取り敢えず服でも……」


 咄嗟に彼女の腕を掴むと、アルベールはそのあまりに細い腕に驚いた。

 リラはアルベールの行動に一瞬怯えたが、彼の手に握られた『服』と、そこはかとなく漂う『食べ物の匂い』を感じ取った。


(この人は私を捕まえるんじゃなくて、ご飯をくれるタイプの人間かのかな?)


 リラの警戒心が、ほんのわずか、緩んだのだった。

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