第3話

 アルベールは、リラの純真無垢な瞳を見つめながら、彼女の言葉に耳を傾けていた。

 まるで生まれたての雛鳥のように、世界の何もかもが新鮮で、そして歪んで映るリラの姿に、彼の胸は締め付けられるようだった。


「貴女はまるで水の女神のようだ。だから、ウォーティという名前はどうですか?」


 彼の提案に、リラは小首を傾げる。


「名前が何だか分からない」


「名前というのは、貴女を呼ぶ時に使うものですよ。僕を呼ぶ時はアルベールと呼んでくださいね。短くしてアルと呼んでくださっても構いません」


 アルベールはゆっくりと、まるで幼子に教えるように丁寧に説明した。

 リラは彼の言葉を繰り返すように小さく呟く。


「うーん、私はリラって呼ばれてた」


 その瞬間、アルベールの全身に電流が走った。


「リラさんだったのですね!」


 彼は思わず声を上げた。

 リラは不思議そうに目を丸める。


「名前だったのか」


 ようやく自分の『呼び名』を知り、どこか嬉しそうなリラの表情に、アルベールの胸に温かいものが込み上げた。

 しかし、その喜びは、彼女のあまりに異質な生育環境への懸念にすぐに変わる。


「アルと、どこに行けばいいんだ?」


 リラの問いに、アルベールは努めて明るく答えた。


「町ですよ。城下町です。まずは、このお宝の山を換金するか、銀行に預けましょう。君の狼が守ってはいますが、ここだと盗賊に襲われるなど、貴女の身が危険です。それに、女性があんな場所で裸になるものではありませんよ。もし僕が理性のない獣だったら、貴女は大変なことになっていました」


「大変なことって何だ?」


 リラの純粋な問いに、アルベールは一瞬たじろいだ。

 顔が赤くなるのを感じながら、彼は何とか誤魔化す。


「そ、それは置いておきましょう。兎に角、まずは町に出てお金を作り、貴女の住まいを用意します」


「三つも要らない。私はここが好きだ。ここにいる!」


 リラは頑なに首を振った。

 アルベールは彼女の細い体を見下ろす。


「駄目です。こんなに痩せて、食べるものもちゃんと食べれていないでしょう!」


「でも……」


 狼や森の動物たちと別れたくないリラは、アルベールから目を逸らした。

 それに、外に出れば、また『自分を捕まえて痛めつけるタイプの人』と遭遇するかもしれない。

 その恐怖が、彼女の足をすくませる。


 リラの心情を察したアルベールは、一旦、無理強いするのをやめた。


「急に引っ越すのは難しいですよね。じゃあ、お出かけにしましょう。町に出かけて用事を済ませたら、またここに戻ってくればいいのです」


 その提案に、リラは狼を見た。 

 狼は、行けと促すように、鼻でリラの背中を優しく押す。


「じゃあ、出かけてみる」


 リラの承諾を得たアルベールは、安堵の息をついた。

 まずは、リラが乱雑に置いていた宝の山を種類別に分別することから始めた。

 金貨、銀貨、魔法石、プヨンの液体、薬草…… 

 途方もない量のそれらを前に、アルベールは硬貨の単位から丁寧にリラに教えた。




 仕分けが終わると持てるだけの荷物を彼の馬に積んで、二人は町へと向かい始めた。

 しばらく歩くと、リラはすぐに疲れた様子を見せた。

 その歩き方は覚束なく、まるで歩き慣れていないかのようだ。


(そうか、いつも狼に乗っていたからか)


 アルベールはハッと気づいた。

 その時、やはりリラのことが心配で洞穴で待っていられなかった狼が、二人の後を追って駆けつけてきた。

 リラは迷わず狼に跨る。

 狼に乗って町まで出るのは、きっと人々に怖がられるだろうとアルベールは思った。

 だが、こんな歩き方のリラを歩かせるわけにもいかない。

 それに、隣には騎士である自分がいるのだ。何かあれば、自分が守ればいい。

 アルベールはそのまま、狼に乗ったリラと共に町へと向かった。




 町に着くと、アルベールはまずリラを連れて銀行へ向かい、彼女が持ってきた宝物を預けた。

 今日は買い物の練習になればと思ったので、プヨンがくれた硬貨だけで十分だろう。


 町で最初にリラが目を留めたのは、パン屋の店頭に並んだ焼きたてのパンだった。


「いい匂い。アレ、なに?」


 リラの問いに、アルベールは驚いた。


「パンですよ。硬貨と交換できます」


「食べられない物かと思ってたけど、食べられる物と交換できるんだ! 固くて嫌いだと思ってたけど、じゃあ嬉しいな」


 リラは心底嬉しそうに微笑んだ。

 アルベールは彼女をパン屋に入れ、硬貨を渡してパンと交換した。

 焼きたてのパンを一口食べると、リラは目を丸くした。


「これがパン? 固くないし、肉が入っているよ?」


 リラの驚きと不思議そうな表情に、アルベールの胸に新たな疑問と確信が生まれた。


(言葉は話せる。しかし、あまりにも物を知らなすぎる。上手く歩けない様子を見るに、この子は何処かで幽閉されていたのかもしれない。何かの拍子に逃げ出してきたのか)


 そうなると、こんな風に気軽に外に連れ出すのも危険なのではないか。アルベールはそう考える。

 リラの見るからに無知で純粋な様子から、恐らくこの子自身の罪ではなく、親の罪が響いて、生まれた時から牢屋に入れられていたのではないか、と彼は察した。

 もしかしたら捨てられて狼に育てられた可能性もあると思ったが、それにしては言葉が話せるのはおかしい。

 総合して考えた結果、アルベールは、リラが親が極悪人か何かで、その巻き添えで投獄されてしまった可哀想な女の子だと結論付けた。

 安易に町に連れ出すのは得策ではない。

 危険な存在に目をつけられる可能性もある。

 アルベールは、一度リラを森に連れ帰ることにした。


「リラさん、今日はもう森に戻りましょう。欲しいものがあったら、僕がまた持って来ますから」


 そうリラに伝え、アルベールは彼女を狼に乗せて、再び森へと戻った。

 屋敷に戻った彼は、すぐにリラの素性を調べ始めるのだった。

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