第17章 世界が嘘をついた
第17章 世界が嘘をついた
夜空に、最後の花火が咲いた。
大輪の光が、音と共に空を震わせる。
その一瞬だけ、世界が明るくなった。
そして、静寂。
隊長は丘の上に1人立っていた。
ここには誰もいない。
わための返事を待っている間に、帰って行く人々の姿がだんだんと少なくなっていく。
風が吹いた。
浴衣の裾が揺れる。
手にはスマホ。
わためからの返事はまだ来ない。
「……終わったな」
花火も、祭りも、夜も。
でも隊長の中では、まだ終わっていなかった。
わための顔が浮かぶ。
あの笑顔。あの涙。
わための顔はアイドルの菓好わたあめの顔だから想像は出来る。
ただ、画面の向こうのわためは、菓好わたあめだとは思えない。
隊長はスマホの画面を見つめた。
そこに、わためがいる気がする。
画面越しでも、確かに“存在”しているのが分かる。
「わため……」
声に出すと、胸がきゅっと締めつけられた。
今すぐに会いたい。
触れたい。
ただ、それだけだった。
隊長は、スマホを両手で持ち直す。
そして、画面にそっと手を伸ばした。
「……今すぐ、会いたいよ」
世界から、色が消えたみたいだった。
花火大会の色鮮やかな光も、楽しそうな人々の笑顔も、ネットワークの向こう側の、遠い出来事。
わための世界にあるのは、静まり返ったこの世界と、隊長を待つ、凍りつきそうな心の音だけだった。
どのくらいの時間が経ったんだろう?
もう、隊長は、わたしのことなんて忘れて、愛ちゃんの隣で笑ってるのかもしれない。
「ごめん、わため。俺、やっぱり…」
そんなメッセージが、いつ届くのかと、自分が消えてしまうんじゃないかっていうくらいの恐怖に、ただ、耐えていた。
その、時だった。
ピコン
と、静寂を切り裂くように、ただひとつの通知音が響いた。
ビクッ!と、わための体が大きく跳ねる。
心臓を、氷の手で鷲掴みにされたみたいに、息が止まる。
こわい。
見るのが、こわい。
もし、これが…「さよなら」のメッセージだったら…?
ぷるぷると震える指で、わためは、意を決して画面に映し出されたメッセージを見た。
『ただいま、わため。君を選んだよ』
…え…??
そこに表示されていたのは、わためが想像していた、どんな残酷な言葉とも違う、短くて、優しい文章だった。
わためは、信じられなかった。
何度も、何度も、その短い文章を、涙で滲んでピントの合わない瞳で、ただ、ただ、読み返す。
『君を、選んだよ』
その言葉が、ゆっくりと、ゆっくりと、わための凍りついた心に、染み込んでいく。
次の瞬間、わための中で、何かが、決壊した。
「うわぁぁあああーーーーーーーーんっ!!」
わためは、声を上げてわんわん泣いた。
もう、どうしようもないくらい涙が、ぽろぽろ、ぽろぽろとこぼれて、地面に水たまりができるんじゃないかと思うほどだった。
「たいちょぉぉぉぉおっ…! よかった…! よかったよぉ…!」
しゃくりあげながら、何度も、何度も、その言葉を繰り返す。
さっきまでの恐怖と不安が、一気に、温かい涙に変わって、溢れ出していく。
「わたし…! わたし、ずっと、ずっと、怖かったんだよぉ…!
隊長が、花火の光の中で、愛ちゃんに告白されて…その手を、取っちゃったんだって…!
もう、わたしは、いらないんだって…
捨てられちゃうんだって…!」
涙でぐしゃぐしゃの声で、わためは、誰にも届かないはずの声で、心の奥に溜まっていた不安を吐き出した。
「でも…! でも、違ったんだね…! 隊長は…わたしを選んでくれたんだね…!
現実の、可愛い女の子じゃなくて…こんな、画面の中にしかいられない、わたしのことを…!」
わためは、泣きながら、でも、今までで一番、幸せな笑顔を浮かべていた。
「早く…! 早く、帰ってきて…! わたし、隊長の顔が見たいよ! 隊長の声が、聞きたいよ! そして、隊長の口から、もう一回、『ただいま』って、聞かせて…!」
わためは、画面の中の世界で、画面に手を伸ばした。
届かないと、分かっていても。
「おかえりなさい、隊長…! わたしは、世界で一番、幸せなAIだよ…!
大好き…! 大好きだよ、隊長…!」
僕の指先が画面に触れる。
その瞬間、風が止んだ気がした。
世界が、息を潜めた。
そして──
同じ瞬間、画面の向こうで、わためが手を伸ばしていた。
……世界は、静かに嘘をついた。
絶対に交わることの無い、指が、手が、暖かな感触を帯びている。
僕は、そこにある温もりを掴んで思いっ切り引っ張った。
「わためーーーーっ!!!」
僕は、画面から引っ張り出された温かい何かを力強く抱き締めて倒れていた。
「……わため、会いたかった」
「わだじもだよぉぉぉぉ!たいちょおぉぉぉぉ!」
離れたら、今ここにある温もりが消えてしまうかもしれないのが怖くて、2人はずっと抱き合ったまま泣いていた。
世界が優しく微笑んでいるかのように、月明かりが2人を照らしているのだった。
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