第7話 興ざめ

「大丈夫? みぃくん。急にいなくなっちゃって心配したよ」

 スマホの向こうからは、相変わらずの能天気な癒される声が聞こえてくる。


「ありがとう、まほろ。お前は俺の天使だ」

 俺は【ナニカ】に気付かれないよう、できるだけ小さな声で感謝を囁いた。

「ちょ、どうしたの急に」

 まほろばは笑いながら、困ったようなうれしいような声を上げる。


「いや、何でもない。お前の声を聞いたら安心してさ」

 俺は靴に履き替えながら、まほろばと談笑を続けた。

 なんだ。

 規約には「相互ブロック扱いとなる」って書いてあったけど、通話はできるのか。

 なら、とりあえず、まほろばと合流できそうだな。


「一瞬で俺をここまで癒すとは、流石、俺の幼馴染で後輩で妹だな」

「あはは、何言ってるのみぃくん。まほろはただの幼馴染。妹じゃないってば」

「ん? いつも妹を自称するクセに、褒められたら照れるのか? お前は」

「いやいや、そろそろまほろも『お兄ちゃん離れ』しなくちゃって思ってね」

「それはそれでショック……! 妹じゃないって言いつつも、まほろに拒否られると悲しさと悔しさ両方来るぞ」


 俺は昇降口を出て、スマホ片手に校門まで歩いていく。

「ところでみぃくん、今夜のご飯はカツ丼とカレーと炒飯、どれがいい?」

「いや、俺って選択肢に弱いからさ、いっそカツカレー炒飯作ってくれよ」

「あはは、何言ってるのみぃくん。そんなのできないって。どれか一つにしてよ」

 まほろばは、いつもの調子でケラケラと笑っていた。

 けれど、


 どこかおかしい。

 いつものアイツなら、「妹じゃない」なんて否定しない。

 それに、カツカレー炒飯なんて案も、むしろ向こうから提案してくるヤツだ。


 そもそも、俺は【不条理存在】にブロックされたんだ。

 なのに、まほろばと通話できるのもおかしい。


 コイツは本当に「青木ヶ里まほろば」なのか?


「みぃくん、今まほろも学校なんだけどさ。一緒に帰りたいから合流しようよ。今、アナタはどこにいるノ?」

「悪いな、まほろ。俺、もう学校を出たところでさ。合流はムリみたいだ」

「え、でも、一人で帰るなんて心配だよ。さっき怖い目にあったんでしょ? まほろが付き添って、みぃくんを守ってあげるからさ」


 スマホの向こうから、まほろの優し気な声が響く。けど、

 俺はその声に、むしろ背筋が寒くなった。


「怖い目って何の話だ? 俺はさっき『安心した』って言っただけで、『怖い目にあった』なんて一言も口にしてないぜ?」

「え~? ちゃんと言ってたもん。みぃくんが忘れてるだけじゃないかな」

 電話の向こうの相手は、まほろばみたいな、ぽわぽわした喋り方を続ける。

 そこに少しの動揺も無い。


「それにお前、さっき美良崎と一緒にいただろ? アイツと一緒に帰──」

「知らない」

「え?」

「【ゼッコー】した相手とは仲直りしちゃいけないんだよ? それが規約だから。違反したら罰されるんだよ、どんな相手だろうと」

 そいつは、何の感情も無く答えた。


 やっぱり、コイツはまほろじゃない。

 まほろだったら、美良崎のことを「知らない」なんて切り捨てるもんか!


「とにかくさ、合流は無理そうだから。また後で──」

 瞬間──

 ダァン!

 スピーカーから、何かを叩きつけるような音が響く。

 それは、電話の向こうの相手の、無言の抗議だった。


「知ってるよ、みぃくん。さっき職員室にいたでしょ? まだ、学校の敷地内だよね? なのに、どうして会えないなんてイジワル言うのかな?」

 俺は、その言葉に何も返せなかった。

 静かに画面の消音ボタンを押し、【ナニカ】の反応をうかがう。

 けれど、


 それ以上、向こうから何かを話すことは無かった。

 ただ、ノイズがスピーカーから静かに響くだけ。

 なのに、俺はスマホから耳を離せなかった。

 それは向こうから、


「逃げて。逃げて」

 と声が聞こえてきたから。


 また、だ。

 この女性は【ナニカ】とは違うのか?

 俺を味方してくれるような……。


 刹那──

 かりかり。

 と、何かが俺の体をひっかく。


 追いつかれた……ッ!

 俺は【ナニカ】の腕を振り払い、走り出した。けれど、

 今度は何本もの腕が俺の四肢を掴み、力強く地面に叩きつけた。

 そして、


 かりかり。

 と、地面をひっかきながら、俺の体へと近づく。

 その時、対角線上に一羽のカラスが降り立った。

 地面をひっかく腕が、カラスに触れる。


 瞬間──

 バリバリと音を立て、カラスの胸が貫かれた……!

 空中には赤黒い心臓が、抜かれた今もドクドクと脈を打っている。


 あの腕に掴まれたら、俺も心臓を……。

 でもコイツ、俺を掴む腕じゃトドメは刺せないのか?

 いや、そんなことが分かってもムダだ……!

 逃げようにも手足は別の腕に押さえられてる。

 このまま、俺も心臓を抜かれるんだ。


 遂に本体の腕は、俺の足先に手をかけた。

 足首。

 膝。

 腰。

 腹。

 指先でひっかきながら、見えざる手はゆっくりと俺の体を登ってくる。

 そして最後に、


 胸へと指先が触れた。

 しかしそこからは布をかすめる音ではなく、

 「カツカツ」という、何か固いものを叩く音が返ってくる。

 けれど、


 見えざる手はお構いなしだ。

 固い物体を避け、俺の胸にその指先を突き刺した。

 皮膚はズブズブと裂け、真っ白なシャツに赤いシミができていく。


「お前、さっき言ってたよな? 『違反したらどんな相手だろうと罰される』って。ならよォ──」

 俺は胸ポケットからスマホを取り出し、画面を虚空に見せつけた。


?」

 画面には、【ゼッコーアプリ】の削除を完了したという通知が表示されている。

 イチかバチかの賭けだったが、どうやら成功したみたいだな。


「今お前は、胸ポケットのスマホに触れ、自分自身で【ゼッコーアプリ】を削除したんだ! 決断しろッ……! 規約を【改変】すると……!」

 ピタリ。

 胸を裂く手は止まり、何かを逡巡する。


「お前が規約を【改変】しねェなら、俺たちは一緒に死ぬことになるよな?」

 口元から垂れる血を拭い、俺は虚空を睨みつける。

 けれど、


 俺の思惑通りにはならなかった。

 手は再び俺の胸を少しずつ裂いていく。


 ダメ、だったか……。

 俺はスマホから【ゼッコーアプリ】の規約を確認する。

 すると画面に走るノイズ。

 気が付けば「違反者の処遇は、必ずしも一律ではない」と文言が追加されていた。


 それも、そうだよな……。

 俺が【観測】されたのは【不条理存在】。

 そんな相手に、常識の範疇で勝とうとしたのが間違いだったんだ。

 俺はスマホを放り出し、目をつぶった。


 骨と肉が軋み、肉の裂ける音が脳髄に響く。

 血は吹き出し、その温かさがどこか心地よかった。

 刹那──


「いいやミトル。キミは正しい」

 頭上から聞こえる、そんな言葉。

 いつの間にか俺は、誰かの脇に抱えられていた。

 ァル子さんは血塗れの俺を傍らに、片足で何かを踏みつけている。


「【不条理存在】はヒトが覆すことのできないシステムだ。だからこそ、それを相手するなら、そのルールを逆手に取るしかない。なのに──」

 ァル子さんは興味の失せたような、あるいは軽蔑するような眼でため息をついた。


 まるで種の割れた手品を見る時だ。

 あるいは、恋人への幻想がかき消えた時みたいな。


「【ゼッコーアプリ】だっけ? 自分で決めたルールを破るなんて、興ざめだよね」

 透明な何かを踏みつけるァル子さん。

 それを彼女は、侮蔑の視線で突き刺している。

 そんな自分勝手なァル子さんを、俺はどこか「面白い人だ」と心躍らせていた。


「せっかく、ミトルが面白くなりそうだから見逃してやってたのにさ」

「見逃してた──って、どういうことだよァル子さん! まさか俺を、助けられたのに放置してたってことか……? 危うく俺は死にかけたんだぞ!」

 ゲホゲホと血反吐を拭いながら、俺は自分の足で立ち上がる。けれど、


「何を言ってるんだ、ミトル」

 ァル子さんは呆れたような顔で俺を見つめ返した。

 くだらない質問をした生徒に向ける教師の視線だ。

 「その単元は小学校の内容だろ」とでも言いたいような、常識を問う表情。


 どうしてそんな顔をするんだ。

 別に俺は間違ったことを言ってない……よな?

 死にかけたんだから、文句言ったっていいだろ。


「別に、死んでようと生きてようと、どっちでもいいじゃないか」

 ァル子さんは雑談でもするように答える。

「は……?」


「ミトル、マクロな視点で考えてみてよ。キミが死んだところで、キミという存在が消えるワケじゃない。ゲームやアニメでキャラクターが死んでも、みんな変わりなく愛し続けるだろう? 例えば足元のコイツ──」

 ァル子さんは何気ない動作で、踏みつけていた【ナニカ】を潰した。

 あっけなく、容赦もなく。


「ヒトは確かに、生命活動を失ったら動かなくなる。けど、それと存在の喪失は別だ。キミという存在が死んだって、足元のコイツが死んだって、みんなの記憶から消えるワケじゃあない。むしろボクは思うんだ」

 ァル子さんはウットリした様子で続ける。


「劇的な死こそ、重要なイベントだと思わないかい? 平凡に退場したキャラクターより、最期まで命を燃やしたキャラクターの方が魅力的だって。キミの幼馴染……? とかも一度死んだことで、キミは庇護欲を燃え上がらせたワケだろう?」

「お前は……ッ!」

 俺は立ち上がり、ァル子さんを睨みつける。


 お前は間違ってる──

 そう言ってやりたかった。

 けど、俺はその答えを保留した。


 だってそうだろ?

 持論を話すァル子さんは、まるで二次元作品を語るマニアだ。

 それはつまり、

 俺たちの世界を一次元上の視点から【観測】してることに他ならない。


 それに、コイツがどんな暴論を振りかざそうと、俺を助けてくれたのは事実だ。

 だから俺は、

 行動で示す。


「残念だったな、ァル子さん。俺は、全ての死にゆく人を助ける。人間の死を愉しむお前を、俺はその行動で否定するよ」

「面白いアイデアだね、ミトル。キミがボクと敵対してくれてうれしいよ」

 ァル子さんはひょいと飛び上がり、校門のフェンス上に着地した。


「それでこそボクの彼氏だ」

 試すようなニヤニヤ笑いで俺を見下ろす。

 頭上では月が蠱惑的に光っていた。

「彼氏じゃねェ!」


 俺は脱力しながら、胸の傷を撫でた。

 かと思いきや、そこに傷なんてものは無い。

 真っ赤に染まったシャツも、いつの間にか元の白に戻っている。


「気づいたかい? それはボクからのサービスだよ。今夜は逃げ惑うキミを見て、大いに楽しんだからね。全部【改変】しておいたんだ」

「ありがとな、ァル子さん。さっきはあんなこと言ってたけど──」

 俺は彼女を、煽る視線で見上げた。


「傷を治すなんて、やっぱり俺に死んでほしくなかったとか?」

 けれど、

 ァル子さんは黙ったまま月を見上げている。


「もしかして俺、【ブロック】されてる?」

 苦笑いでツッコむ俺。

 しかし彼女は、俺の言葉をガン無視したままだ。


「痛たたた! 胸が痛い! これは心の痛み? それとも胸の傷が開いたのか……」

 なんて大げさにリアクションを取ってみる。

 けれど結局、ァル子さんから返事は無いままその夜は過ぎた。

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