第14話 居酒屋とお悩み相談①
少しもやもやした気持ちを抱えたまま、教室をあとにする。
そうして迎えた一九時。
ラインで決めた通り、印王寺駅の噴水辺りで待っていると。
「あーつーと――――っ!」
人混みの中でもはっきり聞こえるくらいの明るい声と共に、シャルが手をぶんぶん振りながらこちらに駆けてきた。
「先生、お疲れさまです。そ、そんなに急いで走らなくても……」
「えー? だって、敦人見つけたら嬉しくなっちゃうんだもんっ!」
仕事終わりとは思えないくらい元気いっぱい笑みを投げかけてくれる。
さっき紅華と話していた時に湧いてきたモヤモヤ感が吹き飛んでしまうほどのハツラツとした笑顔だ。
「よしっ! 今日はどんな遊びを教えてもらおっかなー?」
たぶん犬だったらぶんぶんと尻尾を振ってるであろう、期待感いっぱいの表情でシャルが問いかけてくる。
「そうですね……」
俺が天を仰いで向かう先を考え始めた矢先。
――ぐうぅぅぅぅ~……
「あっ……」
シャルのお腹から長くて低い音が響いた。
「だ、誰かのおなかペコペコ音が!」
「先生の方から鳴ってましたけど」
「あぅ……」
かーっと顔を赤くして俯くシャル。
別にそんな恥ずかしがるようなことじゃないと思うけどな。何せもう一九時。お腹も空いてくる頃合いだ。
「先生、まずどこかで腹ごしらえをしてから遊びましょうか。もしよかったらオススメの店があるんですけど」
「敦人おすすめのお店っ!? 行きたい!」
キラキラと瞳を輝かせながらシャルがぐぐっと顔を寄せてくる。
「じゃあ、行きましょうか」
そこから繁華街の方へと歩いていくことしばらく。
「はい、着きました!」
俺が馴染みの店の前で立ち止まると、シャルはまた一際瞳を輝かせてごくりと息を飲んだ。
「おお! 今日は『居酒屋』の授業だね!?」
文字が消えかけた看板。店先に下げられた赤提灯。これぞといった佇まいにテンションを上げるシャル。
「一回来てみたかったんだ! 日本のサラリーマンは仕事終わりにこういう店で上司の愚痴を言ってストレスを発散するんだよね!」
「いや、必ずしもそうとは限らないですよ?」
俺がツッコむとくすくすと笑うシャルだったが、
「……Umm? NoNo! 騙されるところだった! ダメだよっ!」
突然スイッチが入ったようにシャルが真剣な表情と共に両手でバツ印を作った。
「なんでですか?」
「未成年お酒だめっ!」
「もちろんお酒は飲まないですよ?」
「じゃあ制服!」
シャルが俺を指差してじとーっとした目を向けてくる。
確かに普通なら門前払いされるだろうけど。実はこの店を選んだのは理由がある。
「ここ、母親の同級生が女将さんやっててよく家族で来るんですよ。話を通せばこの服装でもいけると思います」
「ふぅーん。まぁ、それなら……?」
シャルの瞳はまだ懐疑的なままだけど、きっとあの人なら大丈夫なはずだ。
「とりあえず行きましょう!」
「あ、Wait! ちょっと!?」
行ってみないことには分からない。俺はシャルの手を取って、居酒屋の扉を引き開けた。
*****
中に入ると、さすが一九時だけあって仕事終わりのサラリーマンたちで賑わっていた。
がやがやと談笑しながら、皆楽しげにビールや日本酒などを飲み交わしている。
「おおっ、こ、ここが居酒屋……! 上司の愚痴は聞こえないけど!」
先ほどの抵抗はどこへやら。胸の前で拳を握りしめて感動の声を零すシャル。
「あくまでもそういうイメージなんですね……」
シャルにそう返しつつ待っていると。
「――敦人くん?」
俺の姿を見つけて、とてとてと小柄な女性がこちらまで駆けてきた。
この人が高校時代、母と同級生だったというこの店の女将――紗月さんだ。
「ど、どうも」
「今日は家族と一緒じゃないのね。……あら?」
紗月さんがちらっとシャルの方を一瞥して、にやっと頬を緩ませる。
「いつの間にかそんなかわいい彼女作って……」
「「か、彼女じゃないですっ!」」
俺とシャルが同時に否定した。絶対勘違いされてるとは思ってたけど!
「あら、違うの?」
「……深くは聞かない方向でお願いします」
ここで先生と生徒という関係であることを明かすのもややこしくなる気がしてそう答えると、紗月さんに「年頃の男の子だしねぇ」とニヤニヤ顔のまま返された。
……誤解が解けてない気がする。
「というか、この服でも大丈夫ですかね?」
俺が自分の服を指差して訊くと、紗月さんは「んー」と数秒考えてから。
「こっそりね。お酒は飲んじゃダメよ」
そう釘を刺して、店の奥へと案内してくれた。
「ありがとうございます! あ、それと絶対にうちの母にはこのこと言わないようにお願いします!」
女性と二人きりでこの店に来たことを母親に知られたら根掘り葉掘りいろいろ訊かれるに決まってる。親に知れたら当然姉にも知れるわけで。この手のネットワークは侮れない。
「んー……言っちゃダメ?」
「ぜっっったい、ダメです!」
俺が凄むと、紗月さんは「うそうそ。秘密にしとくから」といたずらっぽく笑って厨房へと戻っていった。
「なんかすみません……」
俺と恋人と思われるなんてシャルにとっても迷惑なはずだ。そう思って謝るとシャルはぶんぶんと大きく首を横に振った。
「い、いや全然っ! というか、その……悪い気はしないし……」
「え? すみません。よく聞こえなくて……」
「き、聞こえなくてだいじょうぶっ!」
訊き返すと、なぜかまたシャルが頬を赤くして首を振る。
「それより早く入ろうよ!」
「あ、そうですね!」
急かされて個室の襖を開けると、シャルは中を見渡して。
「わぁっ……!」
おもちゃ売り場を前にした子供のように青い瞳を輝かせた。
「敦人、すごいすごい! メニューがいっぱいあるよっ!?」
シャルが指差したのは壁面にたくさん貼られたメニューを書いた紙。
確かにたくさんはあるけど、どこの店もこれくらいのメニューはある気がする。
「これって多いんですか?」
「うん! すっごく多い! アメリカのバーにはこんなにメニューないし!」
詳しく聞くとアメリカには、お酒を飲みながらガッツリごはんを食べられる居酒屋のような店はないらしい。
「あーつとっ! こっちこっち!」
シャルが自分の真横の席をぽんぽん叩く。ここ四人掛けの座敷なんだけど……。
「よ、横並びですか?」
「うん! だってその方が敦人と近くで話せるもんっ!」
キュンとするような満面の笑みでシャルが「はーやーくー」と訴えてくる。
「じゃ、じゃあ失礼します……」
俺が隣に座ると、シャルはテーブルに置いてあるタブレットで次々にオーダーを飛ばす。
まずはビール。そのあともつ煮、焼き鳥、刺身の盛り合わせ、からあげ……。
「頼み過ぎでは!?」
「お腹空いてる時はこれくらい食べるよ!」
「そうなんですか!?」
男子高校生、いや、それを凌ぐ食欲。
この華奢な身体(胸以外)のどこにこれだけのメシが収まるんだ……!?
「あっ、今『実は太ってる?』とか思ったでしょ!?」
驚愕していると、シャルがぷくーっと頬を膨らませてこっちにジト目を向けていた。
「いやいやいや、思ってないですよ!」
もしかしたら着痩せするタイプなのか? とかは一瞬思ったけど!
「ぶー。絶対うそ! 女の子には分かるんだよ? 太ってないもん、ほらっ!」
ぷりぷりしたまま、シャルが自分のYシャツの裾に手をかけてそのまま上にたくしあげようとする。
「わあぁ!? 先生ダメですッ!」
慌てて目を背けたけど、シャルは「むー!」と不満げな声と共に俺の服の袖を引っ張ってくる。
「ちゃんとくびれてるもんっ!」
「分かりました! 分かりましたから早くしまってください!」
――結局、すぐに店員さんがビールとコーラを持ってきてくれたから場はなんとか収まったんだけど。
シャルはこういうこと抵抗なく普通にしてくるから困る……。
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