第13話 山崎敦人の秘密基地

 翌日の昼休み、食堂にて。

 一瞬晴れ間は見えたもののやっぱり天気予報通りの雨となり、今はしとしとと静かな雨が降っていた。


「くっっそ辛ぇっ……! んだよ、これぇっ……!」


 俺の隣に座る大勝がスプーンをカラン、とカレーの乗った皿に落として悶絶する。


「調子乗って10辛なんかにするからだろ」


 冷めた視線を送ると、自分のコップに入っていた水を一息で空にして「はぁ、はぁ」と荒い息を漏らしつつ大勝は残りのカレーを見つめる。


「か、辛いもんには自信あんだよ。『限定メニュー! 10辛カレー 挑戦者求ム!』とか入口の看板に書くから……!」


 ここ翠晶高校の食堂は一ヶ月に一回程度、こういった限定メニューが提供される。

 生徒ウケを狙った攻めたメニューが多いのだが、今回はなかなか強敵みたいだ。


「お、お前も食わないか? う、うまいぞ……?」


 大勝が涙目になりつつスプーンで一口分掬ったカレーライスをこっちに差し出してくる。


「絶対うそだろ!?」

「味は悪くない! これは保証する!」


 食べろ、食べない……そんな押し問答を繰り広げていると、


「――……ん?」


 ちらっと外を見た瞬間に、この雨の中を傘もささずに走る人の姿が目に入った。


(あ、あれって――)


 椅子から立ち上がってもう一度よく見てみる。

 大雨の通学路を小走りで校舎の方へ向かってくる女性。

 間違いない。あの子供みたいな背格好と目立つブロンズヘアは……シャルだ。


「ご、ごちそうさまっ!」


 残りのごはんを一気に平らげて俺は席を立つ。


「あっ! お、おいていくのか!?」

「悪い! 一人で頑張ってくれ!」

「お、おい!? 敦人! 俺を助けてくれぇ!」


 半泣きの大勝には悪いが、俺は食堂を飛び出した。

 食堂のある四階から一気に階段を駆けおりる。

 職員用の昇降口に着くと、間もなくしてずぶ濡れのシャルが姿を現した。


「先生!?」

「え、敦人!?」

「どうしたんですか! 傘もささずに!」

「家出た時は晴れてたんだよ!? なのに電車降りたらこんな雨で……!」


 そう言っている間にも、ぽたりぽたり、とシャルの綺麗な髪から雫が滴っている。


「ちょっとこっち来てください!」

「えっ、あ、敦人!?」


 咄嗟にシャルの手を取って、俺は小走りで『ある場所』へ向かう。

 今いる本校舎から渡り廊下で部室棟へ。

 文化系の部室が並ぶ一階。その一番端にある位置する部室のドアを押し開けた。


「この部屋は?」

「元々、手芸部の部室です。去年廃部になったんですよ」


 広さにして十畳ほど。

 だけど、中は本棚が置いてあったり、ふかふかのソファが置いてあったりとなかなか快適な空間が広がっている。

 ……ここだけの話、俺がどうしても授業に気乗りしない時にこっそりと来る秘密基地だ。


「す、すごい! マンガとかいっぱい置いてあるよ! ソファまで!」


 部屋を見渡して、シャルがぱちぱちと目を瞬かせる。


「ちょっとそこ座って待っててください!」

「え? あ、うん」


 シャルを一旦待たせて、俺は押し入れの奥から古そうな電気ヒーターを取り出した。

 コンセントにつないでスイッチを捻ると、ぶおーっと温かい空気を吐き出し始める。


「はぁ……あったかい……。こんなのまであるんだね。ありがとう、敦人ぉ~……」


 シャルは屈みこんでその暖気を浴びながら、幸せそうに頬を緩ませた。


「今日は遅かったんですね?」

「うん! 午後からしか授業なかったから後ろ倒しの勤務にしたんだ! 敦人は昼休みだったよね?」

「ええ、まあ」

「ごめんね、昼休みなのに……っ」


 シャルがぱちん! と手を合わせて申し訳なさそうな顔を向けてくる。

 昼休みっていっても大勝は激辛カレーと格闘中だし、それにずぶ濡れのシャルを放ってはおけない。

 とりあえず、無事にヒーターが点いてくれたことに安心していると――


「あっ! あつとっ!」


 急にシャルは興奮気味に声を上げて本棚に並んでいた『とある漫画』を指差す。

『金曜の夜、重役は魔女』――冴えない男子生徒と、若くして大企業の役員を務める女性との恋模様を描く大人気女性向けラブコメだ。


「知ってるんですか?」

「これ、おねえちゃんが大好きなんだよね! 敦人は読んだことある?」

「姉は読んでましたけど、俺はないですね……」

「じゃあ、いっしょに読もっ!」

「俺もですか!?」

「ほ、ほら! やっぱり理想の先生になるには最近流行ってる漫画も知っておきたいし!」


 頬をほんのりと赤らめながら本棚から『金曜の夜、重役は魔女』の一巻を抜き出すシャル。

 一人でも読めるような……。でも、断る理由もないしな。


「じゃあ、ちょっとだけ……」


 シャルの横に恐る恐る腰を下ろすと、シャルはふと何か思いついたように息を飲む。


「あっ、ごめん! 敦人が濡れちゃう! 脱ぐね!」

「え!?」


 シャルが立ち上がって、上着を脱いでYシャツ姿になる。

 そのまま上着を脇に置いて、シャルがぴったりと身体を寄せてくる。

 薄いシャツ越しにじんわりと伝わるシャルの温度。

 たぶん無意識だろうけど、腕に時折触れる胸の膨らみ。

 ちらりと横を見ると、薄くリップを塗ったぷるんとした唇がすぐそこにあって――

 こんなの漫画に集中できるわけない……!


「じゃあ読むよー」

「は、はい……!」


 俺の緊張もつゆ知らずといった口調と共に、シャルが漫画の一ページ目を開く。


 ――ぺらり、ぺらり


「だいじょうぶ? 早くない?」

「はい、大丈夫です……!」


 ――ぺらり、ぺらり


「ふっ、ぷくくっ! 面白いね、敦人!」

「くっ、ふふ……! いいですね、これ……!」


 最初は緊張してたけど、読み進めるにつれて漫画の世界へと没入していく。

 女性向けだから楽しめるか不安だったけど、かなり面白いぞこれ……!

 ――だけど。


「ちょ……」


 あるページを開いた瞬間、思わず声が出てしまった。

 ――男子高校生と女性幹部の間に訪れた、交際して『初めての夜』。

 生まれたままの姿で肌を重ね合い、愛を確かめ合う二人。

 こんなシーンがあるなんて聞いてないぞ!?

 ちら、と恐る恐るシャルの方へと視線をやる。

 だけど、完全に夢中になっているのか特に照れていたりする様子はない。

 しゅ、集中しろ俺! シャルは集中して読んでるんだから!

 深呼吸をしつつ、シャルがページを繰るのを待っていたその時――


「ちょっと、暑くなってきたね……?」


 シャルの方を見ると、わずかに頬を上気させていて。


「え、えっ!? 暑いですか!?」

「うん。暑いよ? この部屋」


 そう言ったかと思うと、シャルは自分の首元に手を伸ばして――

 ――ぷちっ


「……ふぅ」


 妙に艶めかしい吐息と共に、シャツの第一ボタンを外した。

 え? えっっっ!?


「せ、先生?」

「もう……我慢できない、かも……」


 サファイアみたいな青い瞳が、まっすぐ俺を貫く。

 もしかして、シャルは『本気』なのか?

 いろいろと順序をすっ飛ばし過ぎている気もするけど、シャルがその気なら応えるのが漢というもの。


「ねぇ、あつと……」

「は、はは、はいっ!?」


シャルは火照った頬を手のひらで扇いで――


「――この部屋、やっぱり暑くないかなぁっっっ!?」


「……………………へ?」


 間の抜けた声を上げる俺。

 シャルは「んっ!」と気合をつけて前のめりになり……電気ヒーターの電源を切った。


「ふぅーっ! さすがにこの季節にこれだけ長く暖房つけると暑いねー」


 額にうっすら浮いた汗をハンカチで拭って、爽やかに微笑むシャル。

 一方俺は――


「はあぁぁぁぁ~~~~~~~~……」


 緊張の糸が切れて、がくりと項垂れた。


「だ、だいじょうぶっ!? 暑すぎてしんどくなった!? あ、あつとっ!?」


 泣きそうな目でガクガクと俺の肩を揺らしてくるシャル。


 漫画の展開にほだされて、このまま俺とシャルは――……とか思ってたなんて口が裂けても言えない……。


 *****


 ――と、そんなことがあった日の放課後。

 クラスメイトたちは帰宅したり、部活へ向かったりと各々動き出す中、俺は教室に残っていた。

 いつもだったらすぐ教室を出るけど、先ほどシャルからラインが飛んできたのだ。


『今日のよる、あそびできますか?』


 というわけで何度かラインを送り合ううちに、今日の一九時に印王寺駅に待ち合わせということになった。


「うーん。行きたい場所か……」


 一体どこに行きたいんだろう。


「なに? アンタ帰らないの?」


「おわあぁ!?」


 後ろから紅華の声がして、慌てて俺はスマホをポケットの中にしまった。

 ま、まさか見られた!?


「い、いたのか紅華……!?」

「ん。まあね。というか、何? 難しいそうな顔して『うーん』とか言ってたけど」

「それは別に……」


 はは、と乾いた笑いを作りつつ、頭を掻く俺。

 そんな俺をしばらく怪訝な目で見る紅華だったが、結局「ま、いっか」と納得してスマホをぽちぽちと触り始める。


「べ、紅華は……?」

「アタシ? アタシはこれから撮影の打ち合わせ。……はぁ」


 俺をちらりと一瞥して、小さくため息をつく紅華。

 なんだかちょっと憂鬱そうだ。


「珍しいな。紅華が仕事のことで落ち込むなんて」

「落ち込んでるんじゃなくて緊張してんのよっ! ほら、これ」


 そう言って、紅華がスマホの画面をこちらに向けてくる。

 そこに映っていたのは――


「あ、明石汐里?」

「そ。明石汐里さん。なんか今日打ち合わせに来るらしくって」

「えっ、ま、マジか!?」


 驚愕の声を上げた俺に、紅華は何度か頷いてスマホをしまう。

 ――明石汐里。

 ファッションモデルでありながら最近深夜ドラマの主役にも抜擢されたという、今話題の女優だ。


「こ、これは確かに緊張するな……」

「でしょ!? どんな感じで話せばいいんだろ……」


 紅華はほんのり赤く染めた髪を掻いてから、「よしっ」と小さく気合を入れる。


「でも、頑張らなきゃ……。じゃ、そろそろ行くわ! また明日!」

「お、おう」


 ひらひらと紅華が手を振って教室をあとにする。

 まさか自分の友人がそんなすごい人と仕事をすることになるなんて……。


「すごいな、紅華……」


 また一人きりになった教室で、ぽつりと呟く。

 きっとこういうのは、他人と比べるものではないんだと思う。

 それでも紅華や大勝が部活やモデル活動で活躍しているのを見ると、なんか二人がすごく遠い場所に行ってしまったような気がするんだよな。


「……と、ダメだダメだ!」


 せっかくシャルと遊ぶんだ。こんなローテンションでどうする。

 ふと湧いた孤独感を振り払うように、俺はスマホゲームで時間をつぶし始めたのだった。

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