天使よ故郷を見よ
鏖(みなごろし)
天使よ故郷を見よ
なんて事だ。あちらこちらで人が殴りあったり罵り合ったりしている。火事場泥棒もいる。随分だな。俺の事はもう誰の目にも留まらない。ま、それはそれで随分助かることだけどな。
女の悲鳴が聞こえた。そこに近づくと3人の男が女を犯そうとしている。俺はまず、その一人をそこにあった石で後頭部をしたたか殴った。そいつは倒れて動かなくなった。もう一人は脇腹を思いっきり殴った後、その腹を心ゆくまで蹴り続けた。そいつも次第に動かなくなった。最後は女に乗り掛かった男をひきはがし、俺の足で何度も何度も顔を踏みつけた。この世に生まれてきたことを後悔させるくらいに。ぐちゃぐちゃなっている。こんなチンピラは手を使うまでもない。スキだらけで生きる価値もない。
こいつらもう死ぬかなと思った時、俺の足を誰かが抱き止めた。その女だった。
「死んでしまいます!」女はそう言った。
俺は踏みつけるのをやめた。
男の子が見ていた。
よく見ると車椅子が見えた。
俺は女を抱き上げて、車椅子にのせた。
振り向くと俺がボコった連中はよろよろしながらどこかへ消えていった。
俺は自然に女の車椅子を押した。
そしてその息子も歩き出した。
その息子が言った
「おっさん強いな」
「ケンカばかりしてたからな」
「プロレスラー?」
「それはプロレスラーに対して失礼だ」
しばらくすると後ろから車のエンジン音が聞こえた。
振り向くと大型バスだった。
男の子は大きく手を振った。
バスは止まった。
ドアが開いた。
目つきの悪い運転手が
「悪いな、補助席一つしか空いていないよ坊や、通路だっていっぱいだ」
「なぁ、この母親をその補助席に乗せて、この坊やを膝に乗っけてやってくれ」と俺。
「あんたは?」
「俺はいい」
するとある老夫婦が降りてきた。
「私たちは降りるよ」老夫婦の夫の方が言った。
「え?」と俺。
「私たちは随分長生きしたしな、それにお父さんがいないと息子さんどうするんだい?」
「いや、俺はこの二人とは赤の他人だ。さっき知り合ったばかりだ」
「いや、そうであっても、あんたのような若くて屈強な男手がいつか必要になる。だから乗りな」
「おい、どうするんだ、早くしろ!時間がない!」と目つきの悪い運転手はイライラしながら言った。
老夫婦の夫が俺の背中を押した。
女の車椅子は畳んでバスの天井にくくりつけた。
結局、席は3席空いて、俺たちは乗ることにした。
バスは走り出した。
老夫婦は笑顔で手を振っていた。
俺はぼんやり眺めるしかなかった。
バスの中はお通夜のように静かで暗い。
何時間かすぎて、ある山道を登り切ったところに差し掛かった。
運転席から声が漏れた
「なんてことだ!チクショウ!」
バスは止まった。
運転手はすぐに降りた。
俺も降りて、乗客の何名かも降りてきた。
土砂崩れで大きな岩が道を塞いでいた。
このままではバスは通れない。
近くに乗り捨ててある車や、ダンプがあった。
皆、諦めて歩いて向かったのかもしれない。
運転手は俺に声をかけて、乗客から離れた場所に俺をうながした。
「なぁ、あんた、あんた殺し屋で昨日脱獄したヤツだろ?俺はもう何十年も運転手をしている。客の顔は一度見たら忘れない。あんたの顔が昨日からテレビで放送されていたからな、ま、今はこんな状況になって世の中、あんたに関心なんてないんだろうけど」と運転手は言った。
「ああ」俺は躊躇せず、答えた。こんな世の中だ。何を隠すことがあるか。
「俺があのダンプに乗って、あのデッカイ岩を崖から突き落とす」と運転手は乗り捨ててあるダンプを指差して言った。
「何だって?」
「これはあくまで保険だがな、あんたくらい修羅場を潜って来たなら、あの大型バスくらい運転できるだろ」
俺は確かに元殺し屋で、いろんな修羅場に遭遇してきた。あのバスくらいなら余裕で運転はできる。
「あくまで保険だ。俺の運転技術なら崖下ギリギリで止めてみせるさ」
「でも、お前、失敗したら…、」
「失敗はしない」運転手はそう言うと、ことの次第をバスの乗客に告げた。
「そりゃ無茶だ」とある乗客。
「運転手さん死んじまうよ」とまたある乗客。
運転手はニヤッと笑うと、手を振ってダンプに乗った。
それからエンジン音が重く響いた。
ダンプは岩目掛けて突進した。
激しい衝突音がして岩はダンプに押されて動く。
ダンプはブレーキを踏まない。さらにアクセルを踏む。
それから、そのまま岩とともに崖下に落ちた。
すぐにけたたましい爆発音が聞こえた。
俺たちは崖下を覗き込んだ。
黒煙が立ち上り、赤い炎が見えた。
皆、落胆していた。
しばらく皆無言で立ち尽くしていた。
それ以外何ができる?
「行こう」俺はそう言って、運転席に乗りエンジンをかけた。
皆、バスに乗り込んだ。
バスは進んだ。確かにクセのあるバスだな、ちょっと運転に手間取る。
あの運転手そっくりだ。
啜り泣く声も聞こえた。
それから何時間かすぎた。
草原が見えてきた。ドーム型の建物が見える。
「あれだ!」と乗客の一人が叫んだ。
俺はバスを止めた。
乗客は次々と降りた。俺は天井にくくりつけた車椅子を下ろして女をのせた。
それから3人で建物の入り口まで向かった。
係員らしい、役人がそこにいた。
「こちらです時間がありません、もう閉めなければなりません!早く入ってください!」と役人は言う。
乗客と俺たち3人は中に入った。
ドームに入る前にもう一人の役人がカウンターで人数をチェックしていた。
中は清潔で涼しかった。
ドームの中心にはたくさんの人間がいた。
役人たちが何やら話している。
俺は役人たちに近づき聞いてみた
「どうかしたのか?」
「大変、申し上げにくいのですが、今後の食料や、飲料水の事を考えるとどうしても一人オーバーなんです。」
ようやく俺の番が来た。
「俺が出て行く」
「え?」役人たちが俺を見つめる
「奥さんとお子さんがいますよね?」と役人の一人が聞いてきた。
「いや、赤の他人だ」と俺はそう言って元来た入り口に向かった。
男の子がやって来た。
「おっさんどうしたの?」
「知らない奴らとは暮らせないからな」
「出てくの?」
どうやらさっきの役人たちのやり取りを聞いていたようだ。
俺は何も言わずスタスタ歩いた。
男の子はついてきた。子犬みたいに。次第に泣き始めた。
俺は歩くのをやめてしゃがんだ。ちょうど男の子の背丈くらいなところで顔を覗き込んだ。
「なぁ、お母さん守るのはお前だぞ」
男の子は泣きながら、ゆっくり頷いた。
それから、俺は歩き出し、ドームから出た。
シャッターが閉まる音が背後から聞こえた。
あの老夫婦と、運転手を思い出した。
ようやく俺の番が来た。
たくさんの人間を殺して来たのに
ここまで生かされた気分だ。
しばらくして空が真っ白になり
眩しくて目を開けていられない。
何かがこの世に落ちてくる。
隕石だか何だか。よく知らんが。
だから皆、あちこちのシェルターに避難している。
光が
気温がぐんぐん上がる。
体が燃えそうだ。
皮膚が
声も出ない。
バスは暑さで爆発した。
俺は気を失いかけた。
すると、何か柔らかい、
小さな手が俺の両手を優しく掴んだ。
もう、目も潰れかかった時、
何か、ひとひら見えた。
ん?羽?
それから俺は体が軽くなり
上へ上へと登って行く
感じがした。
終。
天使よ故郷を見よ 鏖(みなごろし) @minagorohsi
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