第16話:金継ぎ
令息達をようやく縛り終えたウィルモットが治療室に入ると、レベッカが床に座り込み過呼吸を起こしていた。
ルーヴァンが何とか落ち着かせようとしているが、効果がないどころか逆効果のようだ。
レベッカが過呼吸を起こすのは今までに何度かあった。
それはいつも『大切な人が出来そうになった時』だ。
「ルーヴァン、ティガさん連れてこの部屋を出て。しばらく帰ってこないで」
「…レベッカの過呼吸の原因はオレ達か?」
ルーヴァンの問いに答える事はしなかったが、どうやらイエスと受け取ったようだ。
少し暗い顔をしながら部屋を出るルーヴァンと、そんな彼を慰めるように声をかけながら出るティガ。
頭がいいというのは良い事だが、嫌なことまで察してしまうというのは辛いことだ。
「レヴィ、ほら、僕に合わせて呼吸して」
ウィルモットはゆっくりと背中をさすりながらひとまず呼吸を整えるようサポートする。
目の前にいるのがウィルモットだと分かったからか、何とかパニックは収まった。
ウィルモットはしばらく何も話さず、ただレベッカの傍で落ち着くのを待つ。
ムリに話を聞いたりはせず、ただ傍にいるだけ。レベッカにとってそこにいるだけで安心材料となる。
「私、怖いわ。人との距離が近くなるのが。どうやったっていつかは離れていくんだもの。そう考えたら、ダメだわ」
レベッカは膝を抱え込み、ひっそりと涙を流す。
誰もいないのを良いことに、ウィルモットはレベッカを抱き寄せた。
普段の、というか今までのレベッカなら跳ねのけただろう。しかし今はそんな余裕がないのか素直に体を預けている。
「キャルロもそうだったわ。いつの間にか離れていくの。ウィルはいなくならないって分かってるけど、他の皆はそうじゃない」
「…レヴィ、落ち着いて」
今のレベッカに何を話しても伝わらないというのは、何となく分かっている。
しかし、伝えなければレベッカはずっとこの苦しみを背負いながら生きていくことになってしまう。
そんなこと、誰も望んでなどいないのだ。
「今までキミが感情的になる事なんてなかったよね。けど、今回のレヴィは楽しそうで…僕嬉しいんだよ?」
「…確かに、今まで体験したことないものばかりで、色々と興味深かったのは事実よ」
あの子がいない世界でも、感情が溢れてくる。そんな事、これまでの転生ではなかった事だ。
それが、逆に恐怖を感じる原因でもある。キャルロの事を忘れてしまうようで、とてつもなく恐ろしいのだ。
一気に百年も時を超えたせいだろうか、すでにキャルロの声が思い出せない。顔は、ハッキリと覚えているのに。
自分の中からキャルロが消えていくような感覚が嫌で、泣き叫びたくなる。
時間が経つにつれてその焦りは大きくなり、急がねばならない、と思うと研究にも支障が出始め、膠着状態に陥る。
その焦りが、感情の制御にまで気が回らない様になってしまった原因なのだ。
「レヴィ。いくらキミが秀才だからと言って、人間であることに変わりはない。人はまず声から忘れていくんだ。それが自然の摂理なんだよ」
ウィルモットはレベッカから預かっていたキャルロの写真を取り出す。
キャルロはいつ見ても可愛らしくて、そしてレベッカによく似ていた。
「これだけは断言するよ。いくら薬を使っても、記憶の固定はほぼ不可能だと。レヴィも分かってるでしょ?」
「…えぇ。脳の老化を止めたところで五感で感じる事が出来なければ、声なんて忘れていくわ」
声は目に見えず、聴覚を使うことでしか確認できない。そんなもの、忘れてしまっても仕方がないのだ。
「レヴィ、忘れてしまう事を認めて受け入れないと、この先さらに苦しくなる。そんな状態になる事をキャルロさんが望んでるとと思うの?」
「…キャルロはそんな子じゃないわ」
「でしょう?」
ウィルモットはレベッカの手を握り、安心させるように優しい声で諭す。
一見大人びているようにに見えるけれど、そんなことはない。人一倍優しくて怖がりな、ただの少女なのだ。
そのことを、忘れてはならない。ウィルモットはそう肝に銘じている。
「忘れる事を恐れていたら、ダメだよ。しっかり目の前にいる人と向き合って生きていかなきゃ」
そう言って笑うウィルモット。
レベッカよりも長い時間を過ごしたからだろうか。いつの間にか成長していて、頼もしくなった気がする。
レベッカ一人ではもうとっくに心が折れていただろう。本当に、良い拾い物をしたものだ。
きっと、人との距離を縮める事は、ウィルモットのような、心の支えになってくれる人を増やすきっかけになるのだろう。
そう思うようにすると、不思議と気持ちに整理がついた。
「…ルーヴァン達には謝らなきゃね。きっと不快にさせたわ」
「大丈夫だと思うけどね…。じゃあ僕探してくるから、待ってて」
ウィルモットは優しく微笑んで、部屋を出る。
彼はレベッカが変化していく事に異議を唱えたりしない。それでいいのか、と思うが本人が良いのならそれでいいと好きにさせることにする。
少しするとドアがノック音が聞こえてくる。返事をすると気まずそうにゆっくりとルーヴァンが姿を見せた。
後ろからティガも顔を覗かせている。
レベッカが再びパニックにならない事を確認すると、ほっとしたように中に入ってきた。
「もう大丈夫か?」
「…えぇ。迷惑をかけてごめんなさいね」
「レベッカちゃんが平気ならそれでいいよ」
外にいる時に買ったという焼き菓子をそっと差し出しながら笑うティガ。
ケガも完全に治ったようで彼も早速自分の分を頬張っている。
ティガが買ってきたお菓子を食べると、口が甘味に包まれる。
先程まで感じていた涙のしょっぱさをかき消すようなその味に、レベッカはまた涙が出そうになってしまった。
その日を境にレベッカは懐に入れた人に対して遠慮というものがなくなっていた。
甘える時は甘えるし、邪魔してほしくない時は何処かに行ってしまう。かと思いきやまた姿を現し研究についての話をし始めるのだ。
そのレベッカの態度の変わりように最初は驚きはしたものの、ウィルモットとの扱いの違いがほぼなくなった事に喜びを隠しきれなかった。
ウィルモットは悔しそうにハンカチを噛んでいるが、レベッカが以前に比べて笑顔が増えたように感じて一人嬉しさで感極まっている。
「レベッカ、今日も皆でお茶でもどうだと話しているのだが」
「行くけど、少し遅れるわ。図書館にいい本があってね、早く借りておかないと」
「分かった。良いお茶を用意しているからな。ティガが気に入っている店のマカロンもある」
仲睦まじいその空気は、一目見ただけで分かる程のものに進化している。
それを見て気に食わないと叫びだす女が一人、恨めしいものを見るかのように二人を観察していた。
「なんでなんで!?上手い事やったんじゃないの!?」
令息達を揺すり、レベッカ達を襲わせたのは案の定、ルナだった。彼女の計画はこうだ。
後ろ盾のない二人を呼び出し、痛めつける。そしてその原因はレベッカにあるのだと言って疑心暗鬼にさせるといったものだった。
大まかな指示を出して後は任せきりだったのがいけなかったか、と反省するルナだが、主犯だとバレるわけにはいかない。
その為には自身が関わっている証拠をなくすことを優先させなければならないが、そうするとどうしても間接的にやるしかなくなる。
それでは上手くいきそうにない、とルナは苛立ちを隠せなかった。
その卓越した想像力はある一つの疑念を浮かべる。レベッカは本当に男を洗脳しているのではないか、と。
確かあの女は家に引きこもって何か怪しいことをしているのではという噂があった。その怪しい事がもしかしたら洗脳かもしれない。
そうと決まれば話は早い。あの女の素性をさらけ出すことで男どもの洗脳は解け、感謝されること間違いなしだ。
やるべきことを決めたルナは早速行動に移す。その権力の使い方と奇妙な行動力は誰にも負けないだろう。
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