第15話:亀裂

「ティガ、もういいわ、私は大丈夫だから」


 いくらレベッカがどかそうとしても、ティガは動かなかった。レベッカの言動とティガのその態度が気に食わないのか、暴力はどんどん過激になっていく。

蹴りをいれた場所を踏みつけ、体重をかける。ティガは思わず呻き声をあげるが、それでもレベッカを守る姿勢を貫いた。

レベッカはティガにゆっくりと回復魔法をかけていく。本当は使いたくなかったのだが、やむを得ないだろう。


「どうせカッコつけたいだけだろ?けどなぁ、今アンタ滅茶苦茶ダサいぜ。一方的にやられてるだけなんてな」


 鬱憤を晴らすかのようにひたすら殴っていた令息が嘲笑する。

その時レベッカの頬に水滴が落ちた。雨なんて降っていないのに何故、と意味が分からなかったのは一瞬だけだった。


いつもは前髪でよく見えないティガの瞳が、悔しそうに歪んでいたのだ。その瞳は潤んでおり、涙を堪えている。

何度も殴られたせいではない。先程の令息の言葉が悔しくて泣いているのだ。


「あの第二王子も魔法だけで肉弾戦はイマイチなんだってな?ヒョロいもんなぁ、お前ら」


 ルーヴァンをも馬鹿にするその言葉に、ティガは勢いよく顔を上げる。

落ちてきた前髪で再び顔がよく見えなくなるが、そこに浮かんでいる表情が怒りであることは容易に分かる。

この兄弟はお互いを想いあうばかりによく空回りするのだ。


「ボクを馬鹿にするのは構わないけど、ルーヴァンは許さない!アイツはいつだって凄いんだ!」


 ティガが初めて令息達に反抗する。聞いた事がない程の声量に驚くレベッカだが、ティガとは同意見だった。

ティガが立ち上がったことでレベッカに自由が戻る。少し咳き込みながらも体制を立て直した。


「貴方達じゃルーヴァンには遠く及ばないわね。それこそ、一度生まれ変わるくらいはしないと」


 二人の反抗に令息達の顔はみるみる歪んでいく。焦りも含んだその表情は、見るに堪えないものだ。

令息達の反応で脅されてやっている事はほぼ確定だ。こんな事を率先してやりたがるような人間は一度自身を見つめなおした方が良いだろう。


令嬢が再び氷の魔法を発動する。しかし今度は凍り付かせるのではなく、殺傷能力が高いものだ。

シャーロスとスラム方面に行った事を思い出すな、とあの時の事を思い出しながらもレベッカは二人に向けて飛んできた氷の刃をすべて溶かしきってしまう。

同じ手は二度も通用しない。


しかし予想外だったのは令息がレベッカの炎を目くらましに近づき、ティガに飛びかかったことだった。

咄嗟の事に反応できなかったティガは受け身を取れずに倒れこむ。

そんなティガにマウントを取った令息はティガの顔を執拗に殴り始めた。レベッカは何故そこまでするのかと叫びたくなる。


「お前のせいで目をつけられたんだぞ!偉そうな事言ってんじゃねぇ!!」

「何言って…」


 ティガが拳を避けようと横にズレる。しかし完全によけきる事は出来ず、拳は耳を掠める。

その時、運悪くピアスが引っ掛かりその勢いのまま千切れてしまった。

あまりの痛みにティガは耳を押さえ、悶絶する。それでも涙は流していない。

その代わりだと言わんばかりに血が溢れ出る。思ったよりも出血が多いことに驚いたのか令息はその場で固まってしまった。


「ティガ!!」


 耳からの出血があそこまで酷いのはレベッカも見たことが無かったが、それは個人差がある。

ティガの顔色がかなり悪くなっている為、痛みが酷いのだろう。


「ティガから離れなさい!」


 せめて痛みをどうにかしたい。ティガから注意を逸らすため、レベッカが令息に向かって走り出す。

思惑通りティガに馬乗りになっていた令息は立ち上がり、レベッカに向かって拳を振り上げる。





「貴様ら、そこで何をしている!!」


 鋭い声が響き、全員が思わず声の方を向いた。

そこにいたのはルーヴァンただ一人。だが、今ここにいる誰よりも怒りをあらわにしている。

そのせいだろうか、暴力を振るわれたわけでもないのに体が硬直し、動けなくなる。


レベッカでさえ思わずひるんでしまう程の圧に、世間知らずな令嬢たちが耐えられるわけがなかった。

皆冷や汗を流し、顔面蒼白である。


「ル、ルヴァ…。なんでここに?」

「無理をするなティガ。今治すから」


 ルーヴァンがティガを支えながら回復魔法をかけようとするが、レベッカが慌てて止める。

この状態で傷を塞いでしまうのはあまり良くない。土や砂が入ったままなのはどうしても嫌なのだ。


「せめて清潔な場所でやるべきよ」

「…そうだな。ウィルモットを呼んでおいた。こいつらの拘束はアイツに頼むとしようか」


 レベッカの顔を見て少し冷静さを取り戻したルーヴァンだが、その顔はいつにも増して威厳がある。

痛みと魔法を使用した反動で眩暈がするが、ティガが庇ってくれたおかげで平気だ。

ひとまず気が抜けたのか気を失ってしまったティガの止血を済ませるレベッカ。その間にルーヴァンは令息達に絶対零度の視線を向けた。


「貴様ら、今回の事の重大さ、分かっているのだろうな?」


 ルーヴァンの問いかけに体を震わせながらも、令息は何とか反論をしようとする。


「俺達、脅されてたんだよ!そこの公爵令嬢と隣国の第一王子を襲えって!」

「そ、そうなのですわ!逆らえば家がどうなるか、と言われていたのです!」


 それを皮切りに言い訳が紡がれていくが、ルーヴァンには全く響いていないどころか、眉間の皺が更に深くなっていく。

焦りでどんどんと支離滅裂になっていく彼らに呆れこそすれ助ける事はない。

取り返しのつかない事をしたのだとようやく理解できたようだが、それでは遅いのだ。


「命令されたのはよく分かった。だがな、それに乗ったのは少なくともティガ達に悪感情を抱いていたからだろう?」


 ルーヴァンにそう言い切られて、令嬢たちは返す言葉もないようだ。

いくら後ろ盾がなくとも二人の立場は令嬢達よりも圧倒的に上である。本当に馬鹿な事をしたものだ。

そんな事に気が付けない程追い詰められていたか、視野が狭くなっていたか。レベッカにはもう関係のないことだが。


 気が済んだのか走ってきたウィルモットに縛っておくように言った後、ティガを背負って治療室へと歩き出すルーヴァン。

しれっとレベッカの腕も掴んでおり、半強制的についていくことになった。








「レベッカも治すから来い。痛むだろう」

「私は支援魔法だけで良いわ。自然治癒力が衰えるもの」


 治療室には誰もおらず、空いていたベットにティガを寝かせて回復魔法をかけ始めるルーヴァン。

ほんの一、二分で終わり、レベッカにもと進められるが、レベッカはすでに自身で治療していた。

レベッカが負ったケガと言えば令嬢にビンタされた程度であり、冷やしておけば痛みが勝手に引いていく程軽いものだ。


そんなレベッカの顔に手を添えて、心配そうに見つめるルーヴァン。

レベッカも負けじと見つめ返していると、いつの間にか目を覚ましたティガが気まずそうに声をかけてきた。


「ル、ルヴァ…お取込み中の所悪いんだけど…」

「ティガ!」


 先に反応したのはレベッカ。表情には出していないが、ティガに庇ってもらった事に対してかなり負い目を感じていた。

そこまで酷いケガではなかった為、回復魔法のみで完治した。

しかし、もしもの事があったらと内心穏やかではなかったのだ。


「レベッカちゃん…。平気?ケガは無い?」

「…えぇ。貴方が守ってくれたおかげよ。ありがとう」


 レベッカはティガに頭を下げる。ルーヴァンの言う通り、いくらここが学園とはいえティガの方が階級的には上である。

ティガが自主的に庇いに行ったとはいえ、下の階級の者が守られるというのは本来あってはならない事なのだ。

その謝罪も込めて、レベッカは深くお辞儀をする。ここで謝っても、ティガは喜ばない事を見越してのものだ。


しかしティガは正しく理解しなかったようで、顔を赤くして照れている。

ルーヴァンが顔を上げろ、と言うまでレベッカは頭を下げていた為、そのことに気づいていないが。


「…ボク、誰かに感謝されるのって初めてかも。勇気を出してよかったって思えたよ。ボクの方こそ、ありがとう」


 そう言って笑うティガの顔は何処か安らかで、肩の荷が下りたように見えた。

レベッカは浮かない顔のまま、落ちていたピアスを渡す。

ティガが選ぶとは思えない程華美なものだ。しかし、よく似合っている。


「あ~…片方の穴、ダメになっちゃった。もうつけれないや」

「裂けた耳たぶを元の状態に戻すのは流石に難しくてな。すまない」

「いや、不注意だったボクが悪いから」


 愛おしそうにピアスを撫でる様を見ていると、それがルーヴァンからの贈り物である事が伺える。

レベッカの推測通り、少しは着飾れ、と数年前にルーヴァンがプレゼントしたものなのだ。





「それにしてもレベッカちゃんがこっちに走ってくるのが見えた時、焦ったよ。いくらレベッカちゃんでも男の人に殴られたらヤバかっただろうからね」


 それを聞いたルーヴァンは動きを止める。レベッカもそれにつられて止まった。

ティガは先程あった一連の流れを話し始める。


「それでね、レベッカちゃんが啖呵切るのが聞こえて、ボク思わず飛び出ちゃって」

「レベッカは男相手にそんな危険な事をしでかしたのか」

「やっぱり危なかったよね」


 なんだか風向きがおかしい、と感じたレベッカは立ち上がり、外へ出ようとドアノブに手をかける。

しかしルーヴァンに腕を掴まれ、身動きが取れなくなってしまった。


ルーヴァンは少し苛立っているのか、腕を掴む手に力が入っていく。

レベッカが痛いと訴えても手を離す様子はなく、逆に力が強くなっていく始末だ。


「ちょっと、離して…」

「前々から思っていたんだが、お前は女だろう。無茶をするな、傷が残ったらどうするんだ」


 いつになく心配性を発揮するルーヴァン。彼の瞳からはひしひしとレベッカを想う感情が伝わってくる。

レベッカはそれを目の当たりにした途端、目を見開き固まった。


ルーヴァンやティガ、シャーロスはレベッカに対して少なからず好感を抱いており、レベッカ以上に彼女自身のことを想っている。

それが気持ちが今、鈍感だったレベッカに届いたのだ。

何故シャーロスは必要以上に過保護で、ルーヴァンは心配性になり、ティガはその身を挺して守ったのか。


それを理解したレベッカは、今までにない恐怖に陥った。


呼吸が思うようにできない、怖い苦しい。レベッカは思わずその場で崩れ落ちた。足に力が入らないのだ。

あの日の事が鮮明に頭に浮かぶ。キャルロが冷たくなっていて、返事をしなくなってしまった日の事が。


「レベッカ!?」


 ルーヴァンの声が聞こえるが、何と言っているのか頭が理解しない。

視界が歪み、頭痛がする。レベッカは今までにない程の強烈なフラッシュバックを起こしてしまった。

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