キス魔の幼馴染が「恋じゃないよ?」って言いながら唇を奪ってくる

あまたらし

キス魔の幼馴染が「恋じゃないよ?」って言いながら唇を奪ってくる

目を覚ましたとき、すでに隣に誰かがいた。

柔らかい黒髪、整った横顔、すうすうと静かに寝息を立てている小さな肩。


その姿を見て、俺――東雲花火しののめはなびは反射的にため息をついた。


「……おい、紬。勝手に入るなって言ってるだろ」


「起きてたなら言ってくれればいいのに」


目を開けた彼女――藤宮紬ふじみやつむぎは、まったく悪びれた様子もなく、俺の布団の中で伸びをした。

制服のまま、靴下を脱いで、俺のベッドで添い寝しているこの光景。もう何度目かわからない。


しかもこのあと、流れるように“アレ”が始まる。


「……じゃあ、するね」


「待て、まだ早いだろっ」


「はい、んっ」


唇が塞がれた。

いつもより少し強めに、でも確実に形を整えて。

やわらかくて、ぬるくて、湿った音が喉奥に響く。


「……ふっ、うん。今日の花火はちょっと苦めだった」


「味の感想いらないから……!」


「でも安心するよ。この感じ。今日もちゃんと生きてるって感じがする」


「いや俺は今日も変わらずに唇を奪われてんだけど……」


藤宮紬。高校二年、俺の幼馴染。

家は数軒隣。小中とずっと同じ学校で、高校でも同じクラス。

成績優秀で見た目もいい。言葉遣いは丁寧じゃないけど、仕草は落ち着いていて、“しっかり者”ってイメージを周囲から持たれてる。


……でも、俺だけは知っている。


こいつは、狂った距離感のキス魔だということを。


「なあ、今日って用事あったんじゃないのか?」


「うん、あったけど、“花火とキス”のほうが大事だと思って後回しにした」


「おいその順序やばいって」


「花火の唇、毎日触らないと不安になるんだもん。これはもう体質。花火依存体質」


「病名みたいに言うな」


信じられないことに、こいつは自分で恋愛感情はないと断言している。

「花火のこと好きじゃないよ?」と、目を見て真顔で言ってくる。

そのくせキスはしてくるし、ハグもしてくるし、俺の布団に潜り込んで勝手に添い寝してくる。


そしてそれを、全部こう言い放つ。


「だって、友達じゃん?」


「……この“友情”定義、どうかしてるぞ」


「でも、花火も拒否してないよね?」


「いや、それは……」


「ほら、ほらほら、そういうとこだよ? 無意識に了承しちゃってるんだよね。

もう唇、契約済みってことでいーよね?」


「やめろ、聞き捨てならない契約交わすな!」


でも、確かに、拒みきれていないのは事実だった。


――最初は、ほんの出来心だった。


いや、正確には、事故だった。


文化祭の準備中、廊下で俺が画材を抱えて後ろに下がったとき、

ちょうど彼女が振り向いて……そのまま、唇がぶつかった。


あまりにも唐突で、どちらも硬直した。

けどその翌日、こいつは当たり前のような顔でこう言った。


「ねえ、昨日のやつ、もう一回試してみてもいい?」


そして、俺の唇をふたたび奪った。


理由はただひとつ。


「……なんか、クセになった」


その一言で、すべては始まった。


以来、紬は定期的に“摂取”しにくるようになった。

自宅に上がり込んでくる、ベッドに潜り込んでくる、ハグを要求してくる、

そしてキスをして、「味見終了」と言って帰っていく。

…たまにそのまま「今日は添い寝付きで!」と言って泊まるけど。


「なあ、本気で……これ、いつまで続けるつもりなんだよ」


「うーん、飽きるまで? でも、今のとこ全然飽きる気配ないけど」


「……飽きるまでって、俺のおかげで生活保ってる人の言い方だな」


「そうだよ? 花火はあたしの生活の一部だもん」


真顔で言うな。


「だからさ、唇だけはあたしに預けといてよ。彼女とかできても、そこだけは守って?」


「いや、無理だろそれは。いろいろと倫理的にも」


「じゃあ、彼女作らないでね?」


「お願いの仕方がヤバい!」


「大丈夫。好きにならなきゃセーフだから」


「じゃあなんでそんなにくっついてくんだよ……」


「……んー……なんでだろ。

“好き”とは違うんだけど、花火が他の誰かにキスされたら、

多分あたし、キレると思う」


「…………」


冗談交じりに笑ったその顔は、どこか怖くて、

俺は何も言えなくなった。


キスされて、抱きしめられて、添い寝までされて。

それで「恋じゃない」と言われたら、俺は一体、どこにこの感情をぶつけたらいいんだ?


こいつにとって、俺は“唇の所有者”であって、それ以上でも以下でもないのか。


だけどこのままじゃ、いつか限界が来る。


それが、俺のほうなのか。

紬のほうなのか――それはまだ、わからなかった。


それから紬は変わらなかった。

毎週のように俺の部屋に来て、当然のように俺のベッドに潜り込み、添い寝をして、キスをして、ハグをして──「恋愛じゃないよ」と微笑む。


ずっと、その繰り返しだった。


あくまで「友達として」「生活習慣として」俺に触れてくる。

だから俺も、半ば諦めていた。


──そんな空気を、一人の女の子が壊した。


柏木結花かしわぎゆいか

春の終わりに転校してきたばかりの同級生。

人懐っこくて、明るくて、あまり壁を感じさせないタイプ。

そんな彼女が、なぜか俺にやたら話しかけてくる。


「ねえ、花火くん。今度の数学、苦手なんだよね。一緒にやってくれない?」


「手、きれいだね。なんか指がピアノ弾けそう」


「……彼女、いないんだ?」


たぶん、誰が見てもそれは“好意”だと思う。


そして、それは当然、紬にも伝わっていた。


ある日、放課後。

廊下ですれ違ったとき、紬がふいに言った。


「……最近、柏木さんと仲良いよね」


「え、まあ、ちょっと話すくらいだけど」


「ふーん……」


それだけ言って、彼女は黙った。


いつものように冗談を飛ばしてくるわけでもなく、笑うわけでもなく。

ただ、静かに“空気”を変えた。


その日の夜も、紬は俺の布団にいた。

でもキスはしてこなかった。


ハグも、なぜか軽く触れるだけ。

それが逆に気になって、俺のほうから声をかける。


「なあ、今日は……しないのか?」


「……なにを?」


「キス」


紬はしばらく黙ってから、そっと俺の胸元に額を当ててつぶやいた。


「……もしさ、花火が他の子とキスしたら、

わたし、もう触れられなくなるかもしれない」


「え?」


「ううん、なんでもない」


声がかすれていた。

それが、俺の中で何かを引っかけた。


そして数日後、事件は起きた。


掃除当番を終えた放課後、俺は教室にノートを忘れたのを思い出して取りに戻った。

教室のドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、柏木が俺の机の前に立っている姿だった。


「……花火くん」


「柏木? どうした?」


「ちょっと……話したいことがあって」


そう言いながら、彼女は一歩だけ、距離を詰めてくる。


教室には他に誰もいなかった。

心なしか、柏木の視線が俺の口元に向いている気がする。


「ねえ、キスって……したことある?」


「えっ」


冗談かと思った。でも彼女は、真剣な顔をしていた。

言葉が出ない俺の顎に、指先がそっと触れようとしたその瞬間──


「……ごめんね、柏木さん」


声が、した。


振り向くと、教室の入り口に紬が立っていた。

目は笑っていない。けれど、怒鳴るでも睨むでもなく、静かに──ただ静かに、語るように言った。


「その唇、もう使い切ってるから。今日は、わたしの分で」


「えっ……?」


「花火、今朝うち来てたからさ。……ね?」


俺は何も言えなかった。

紬の言葉はまるで、契約書のように重たかった。


柏木が困惑した顔のまま下がっていくと、紬は俺の手を取り、そのまま廊下へと引きずっていく。


人気のない踊り場に着いたところで、ようやく彼女が足を止めた。


「……危なかったね。あと一歩で、他の女に取られるとこだった」


「……見てたのか?」


「うん。廊下で聞こえちゃった」


「そっか……」


しばらくの沈黙。

俺が何かを言おうと口を開いたとき、紬がぽつりとこぼした。


「……あたし、ほんとに恋愛感情ないと思ってたんだけど」


「……うん」


「今、すごく胸が苦しい」


その声は、ひどく小さかった。

けど、耳の奥にまで残った。


***


翌日の紬は、少しだけおかしかった。


いつもは放課後になると自然な流れで俺の家に寄ってきて、

当たり前のように布団に入り、「キスするね」と言ってくる。

だけどこの日は、違った。


やってきたのは同じだった。

布団に潜り込むのも、ハグするのも同じ。


ただ、何も言わない。

キスもしてこない。

静かに、ただ背中を向けて丸くなっていた。


「……おい、紬」


「なに?」


「今日、キスは?」


「……いらない」


「え、どうしたんだよ。体調悪い?」


「ううん、そうじゃない。……なんか、今日はちょっと……ダメ」


いつもとは違う、か細い声。

それが余計に、胸の奥をざわつかせる。


「……紬」


「なに?」


「こっち、向けよ」


「やだ」


「なんでだよ」


「……顔、見られたら、変なこと言いそうだから」


変なことってなんだよ、と聞き返したかった。

でもその言葉が、たぶん俺自身にも降りかかってくるのが怖かった。


だから俺は、布団の中でそっと紬の肩に腕を回し、身体を寄せた。

彼女の呼吸が一瞬止まったのが分かった。


「……花火?」


「今まで、ずっとされる側だったからさ。

たまには……してみようかなって思って」


囁くように言って、俺は紬の肩を引いた。

驚いたように顔を上げた紬の瞳が、俺を見つめて──


「ちょ、待っ……」


言い切る前に、唇を重ねた。


ゆっくりと、柔らかく、ただまっすぐに。

舌も触れない。軽いキス。でも、確かなもの。


離れると、紬はしばらく固まったまま、目を瞬かせていた。


「……いま……なに、した……?」


「見てわかんだろ。キスしたんだよ」


「えっ……うそ……待って、心臓……やばい、なんかお腹のあたりから変な音した……」


「音って……お前な……」


耳まで真っ赤だった。

普段なら「ふふっ、悪くないね」って軽口を叩いてくるはずの彼女が、今は何も言えずに真っ赤な顔でうずくまっている。


「ど、どどど、どーしよう……花火のキス、なんか……変な味する……」


「おいそれ失礼だぞ」


「違うの! そういう意味じゃなくて! なんか、こう、感情が、舌にぶつかったっていうか、あっ……もうむり……溶ける……しぬ……」


自分で布団に頭を突っ込んで、動かなくなった。

蒸発、という言葉がこれほど似合う奴も珍しい。


「なあ紬、落ち着けって」


「無理っ! こっちからするのは慣れてたけど! されるとだめっ!! 溶ける!! 無理!!! 蒸発した!!!」


「いや生きてるわ」


それでも彼女は一向に顔を出そうとしなかった。

どうやら、ペースを握られることには、めっぽう弱いらしい。


──翌日。


「……はい、今日の一発目。んっ」


「うわ、ちょっ……!?」


昼休み、屋上。

いつも通り弁当を広げようとしていた俺の唇を、何の前触れもなく奪ってきたのは、紛れもなく紬だった。


「ぷはっ……よし、上書き完了」


「な、なにが……?」


「昨日のやつ。あれ、めっちゃ引きずったから。夢にも出た。正直、2回くらい心臓止まったと思う」


「……だったら今日しなきゃいいだろ」


「逆。だからこそ、“自分のほうが強い”って実感しないと落ち着かないの」


笑っているけど、目がギラついていた。

これが、藤宮紬の“暴走モード”。


「あと、キスだけじゃ足りないから」


「……おい、まさか──」


「はい、ハグ。ぎゅーってして? してくれないなら、あたしから行く」


「待っ──」


抱きつかれた。

屋上の風がやけに暖かくて、背中にぴったり貼りつく制服が妙に心地よかった。


「……昨日、初めて負けたって思ったんだよね」


「何の話だよ」


「今まで、花火のこと全部あたしがコントロールしてると思ってたのに、いきなりキスされて。もう、なんか、ぜんぶ吹っ飛んだ」


耳元でささやかれて、思わず身体が固くなる。


「だから今日、取り戻しにきた。あたしのペース。あたしの唇。あたしのキス。あたしの花火」


「……それ、友達の言うセリフじゃないよな?」


「うん。わかってる」


にっこり笑って、紬はもう一度キスを落とす。

軽くて、でも熱い、執着を孕んだキスだった。


「でも、今はまだ……“友達のまま”が、いちばん怖くないんだよ」


その言葉が、やけに重く響いて。

俺は何も言えなかった。


それからというもの、紬はちょっとだけ壊れた。


というか、壊れたふりをしながらエスカレートした。


「今日のノルマは3回。……いや、昨日の夢で減点入ったから、4回にしとくか」


「なんだその査定方式……」


帰宅したら玄関で待ち構えてて、キス。

部屋に入ったらソファでキス。

夜になると当然のように布団に潜り込み、添い寝して──


「ほら、ハグ。落ち着くから」


「お前が落ち着いてねぇだろ……」


「花火からされたの、引きずってんの!! あれ以来、ずっと心がざわざわしてるの!!!」


「なら暴走やめろ!」


「やだ。キスしないと死ぬ体になった」


なんだそれ。

でも、冗談混じりのその言葉の裏に、ちょっとだけ“本音”が混じっている気がした。


ある日、俺はついに聞いてみた。


「なあ、紬。……ほんとに、お前の中で、俺って“ただの幼馴染”なのか?」


「うん」


「……“唇だけ特別な幼馴染”ってこと?」


「そう」


「……それ、友達って言わなくない?」


「でも、“彼氏”って言うと、なんか壊れそうで怖いんだよね」


「……壊れる?」


「関係が、って意味。いままでの感じが、全部消えちゃいそうで」


枕元で、紬がぽつりと呟く。


それは、はじめて彼女が見せた“本当の顔”だった。

冗談でも冗舌でもない、まっすぐな不安。


「今のままだったら、キスも添い寝もできる。

でも、“好きです”って言った瞬間、それが全部、ルール付きになる気がする。

……もし振られたら、もう何もできなくなるじゃん」


「……それ、俺も思ってた」


言って、ふたりで顔を見合わせる。


「じゃあ、どうする?」


「……とりあえず、今のまま?」


「うん。今のまま、“友達”のままで。

でも、唇はあたしの。添い寝も。ハグも。……心も、ちょっとだけ」


「いやそれ、友達越えてるだろ」


「でも、“恋人”って呼んだら、こっちがバグるから」


紬はそう言って笑った。


しばらく黙って、紬の頭を軽く撫でると、

彼女は照れくさそうに目を細めた。


「……じゃあ、あと30回だけ、キス付き合って」


「数えんなや」


「30回まではセーフ。そっから先は、“好き”になっても責任取ってね」


「すでにアウトな気がするけどな……」


でも、それでもいいと思った。


この関係は、まだ名前がつかない。

だけど、確かに“お互いにしかない距離”がある。


きっと、いつか名前がつく日が来る。

でもそれは、今日じゃない。


だから俺は、そっと唇を寄せた。

いつものように、でも、ほんの少しだけ優しく。


「ん……ふふ、あと29回ね」


「おい」


「ふふふ……ありがと。……大好き」


「えっ、今なんて──」


「……言ってないけど?」


そう言って、彼女は俺の胸に潜って、顔を隠した。


──“恋じゃない”。そう言い張ってたくせに。

でもきっと、もうそんなこと言っても、全部バレてる。


俺も、たぶんもう気づいてる。


“このままでいたい”って願ってる時点で、それはもう。


──始まりのキスが事故なら、

終わりのキスは、きっと本気になるんだろうな。


……それまでに、あと28回。

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キス魔の幼馴染が「恋じゃないよ?」って言いながら唇を奪ってくる あまたらし @Lizzzu

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