背を向けたひまわり
灰谷 漸
届かないひまわり
君と出会ったのは、高校の同じクラスだった。
ひまわりのような笑顔。女の子らしい声。清楚なしぐさ。
そのすべてが、完璧だった。
君と初めて手をつないで帰った、あの夕暮れの帰り道。
キスをした公園。
身体に触れ、甘い声が響いた部屋の中。
すべてが感動的で、愛おしくて、
――ずっと、大切にしたいと思った。
でも、君は言った。
「友達に戻りたい」って。
世界が壊れていく音がした。
今までの幸せが、自分の中から音を立てて消えていく。
僕は、強がって、一つ返事で言った。
「いいよ!」
そして、家に帰って泣いた。
誰にも気づかれないように、
そっと――
君と別れてから、僕は変わった。
というより、壊れたまま進んでしまっただけかもしれない。
あの夜、枕を濡らした涙を最後に、僕は「恋」という感情を封じた。
代わりに手に入れたのは、“手軽な恋”だった。
新しい出会いがあるたび、名前を覚え、笑顔を褒め、手を握り、唇を奪った。
誰かといる時間が、寂しさの埋め合わせになる気がしていた。
身体を重ねるたび、「君」を忘れたような錯覚にすらなった。
でも、本当は全部嘘だった。
相手の瞳に、君の面影を探している自分がいた。
それでもチャラチャラと恋をし続けた。
愛の重みを笑い飛ばし、
「女なんて、どこにでもいるよ」と吐き捨てるような男になった。
人に好かれることには慣れた。
でも、自分から心の底から「好きだ」と思える人は、
それ以来、ひとりも現れなかった。
数年が経ったある日。
街角の交差点で、ふと懐かしい声が聞こえた気がした。
立ち止まり、振り返ると――そこにいた。
君だった。
あの頃と同じ、ひまわりみたいな笑顔。
けれど、どこか大人びた雰囲気をまとっていた。
風に揺れる髪。スカートの裾。君の姿が、時間の壁を突き破って僕の目の前に現れた。
「あれ? 久しぶり……だよね?」
君の声が、時間を巻き戻した。
僕は精一杯の笑顔で「元気だった?」と聞いた。
心臓がうるさく鳴っていた。震えていた。
それから何度か、僕は君と再会を重ねた。
近況を話し、昔の話をして、時には少し未来の話もした。
気づけば、僕の心はあの頃に戻っていた。
……いや、戻ってしまっていた。
ある夜、思い切って聞いた。
「もし、あの時……俺がもっと素直だったら、変わってたと思う?」
君は、少し困ったように笑った。
「ごめん。懐かしい気持ちはあるけど……恋とか、そういうのじゃないんだ。今は。」
胸が、音もなくひび割れるような感覚がした。
僕は必死だった。
連絡を取り、食事に誘い、何度も想いを伝えた。
昔の思い出を、今の優しさで上書きできると信じた。
けれど、君の答えは、変わらなかった。
「私ね、もう誰かに“好き”って言われるの、ちょっと疲れてるの」
その言葉を最後に、君は僕の前から少しずつ距離を取るようになった。
やがて僕は、別の女性と結婚した。
君とは似ても似つかない、明るくて、気の利く、家庭的な人だった。
一緒にいて、心は穏やかだった。笑顔もあった。
だけど、それは「安心」であって、「恋」ではなかった。
指輪をはめた指を見るたびに、
そこには君の手が重なっているはずだったのに、と思ってしまう。
ベッドに並んで寝ても、夜が明けても、
君の名前を夢に見るたびに、後ろめたさに苛まれた。
たった一度だけ、本当の愛を知ってしまった。
それが“君”だった。
そしてそれは、手の届かない過去に閉じ込められてしまった。
ある日、通勤途中の電車で、車窓に映る自分の顔を見て思った。
――僕は、誰の人生を生きているのだろうか?
君でもなく、自分でもない。
ただ、妥協と諦めの間にある“空白”を埋めているだけだ。
時折、SNSで君の近況が流れてくる。
きれいな風景の写真や、カフェのラテアート。
君の隣に、誰かの影はない。
それが救いなのか、絶望なのか、自分でもわからない。
「元気でいてくれたらそれでいい」
そう言えるほど、僕は大人になりきれていない。
本当はまだ、心の奥底で願っている。
もし、何かの拍子で、君が振り向いてくれたら……と。
でももう、それは叶わないとわかっている。
時間は残酷で、現実はいつも無慈悲だ。
夜、寝室の明かりを落とす。
隣では妻が静かに眠っている。
その寝息に安らぎを感じながらも、
心のどこかが、冷たいままだと気づいている。
本当に好きな人とは、一緒に暮らせない。
それが、僕の人生だった。
それでも――
それでも僕は、明日も変わらず日常を演じる。
笑って、働いて、ただの“いい夫”でいる。
心に君を抱えたまま。
背を向けたひまわり 灰谷 漸 @hi-kunmath
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