第2話
翌朝、俺はいつものようにギルドへと向かった——いや、“いつものように”ではない。
受付係のお兄さんは今日から1週間の休暇を取っている、という扱いになっている。表向きには、久しぶりの長期休暇ということになっているが、その実、裏では俺が“紅のル・ブレ”として活動するための準備だ。
ギルドの正面口に立つと、胸の中に微かな緊張が走る。
変身魔術の効果で、俺はいつもの“お兄さん”の顔ではない。鋭く吊り上がった赤い髪、深紅のマントを纏い、目元には仄かに魔術の光を宿している。紅のル・ブレ——ギルドでは伝説級とはいかないが、それなりに名の通ったベテラン冒険者の姿だ。
ギルドの中は、相変わらずの賑わいを見せていた。
ただ、カウンターに目をやると、俺の“ポジション”には違う人物が立っていた。
「ああ、来たかル・ブレ。お前の依頼、例の子が待ってるぞ」
そこにいたのは、かつて俺が新人だった頃にお世話になった古参の受付係、ジルトさんだった。年季の入った笑顔で、わざとらしく“知らないふり”をしながらも、目だけがニヤリと光っている。
「お世話になります、ジルトさん。受付の仕事は任せましたよ」
「おう、しっかり休暇楽しんでこいよ?……裏の意味でもな」
流石、元上司の手配だ。ギルド内で余計な詮索をさせないための周到な段取り。
そして、その隣のカウンターには、件の少女——弓を背負った新人冒険者が、少しそわそわしながら立っていた。
「あなたが……今日の同行者、紅のル・ブレさんですか?」
「そうだ。お前が……昨日の受付で話しかけてきた、あの娘だな」
「えっ?」
思わず声に出てしまったらしく、彼女が驚いた顔をしたが、俺はすかさず口角を上げた。
「顔に出てたぞ。受付の時、妙に真剣な目をしてたからな。……お前、現場に出たいって願ってたんだろ?」
「……! はい!受付だけじゃわからないことを、ちゃんと知りたいんです!」
やはり、彼女は素直だ。そこがいい。
「なら俺が、その手伝いをしてやる。受付としての視点も、冒険者としての感覚もな」
「えっ、どういう……?」
「まあ、それは行けばわかるさ。行くぞ、新人。今日からお前の“現場研修”だ」
彼女は驚きながらも、すぐに瞳を輝かせて頷いた。
こうして俺たちは、東の古塔へと向かうことになった。
俺は“紅のル・ブレ”として、彼女を導きながら、そして“受付のお兄さん”として、彼女が見落としてしまうものを教えていく。
それが、俺にとっての“最後の仕事”。
しかし、このクエストはただの塔探索などでは終わらなかった。
彼女と俺の“過去”に繋がる、ある因縁が待っているとは——この時、まだ誰も知らない。
ギルドを出発して半刻。俺たちは東街道を抜け、古塔へと続く林道を歩いていた。
「緊張してるな、新人」
「……はい。ル・ブレさんみたいなすごい人と一緒だし、現場は今日が初めてですし」
背中に背負った弓がぎこちなく揺れる。彼女はまだ、自分の身体と武具が馴染んでいないのが見て取れる。
「……お前、受付の時は“書類仕事だけじゃないことを知りたい”って言ったな?」
「はい。依頼書を受け取って、報酬を払うだけじゃなくて、現場で何が起きてるのか、自分の目で見たいんです」
「よし、それなら一つ教えてやる」
俺は立ち止まり、彼女に向き直った。
「受付係の仕事ってのは、“現場で何が起きたか”を読み取って、“現場で何が起きるか”を予測することだ。ただ書類をさばいてるだけじゃ、見えてこないことが山ほどある」
「……予測、ですか?」
「ああ。たとえば——この古塔探索依頼。正式な依頼内容には“塔の構造調査と簡易な魔物討伐”と書かれている」
俺は懐から一枚のコピー依頼書を取り出し、彼女に渡す。
「でもな、実際に行くとどうなると思う?」
「えっと……塔の中は暗くて、魔物が潜んでいて……?」
「そこまでだ。じゃあ、魔物がどんな動きをするか、塔の中の湿気はどのくらいか、足元の罠や落石の危険は? それを予測して、冒険者が持ち帰った結果をどう処理するか。受付は全部見抜いておく必要がある」
「そんなに……!」
「そうだ。依頼書をただ受け付けてるだけじゃダメなんだ。現場に出て、空気を吸って、危険を肌で感じて、初めて“受付に戻った時に活かせる”」
彼女は小さく息を呑んだ。きっと、ここまで考えたことはなかったのだろう。
「でも、それって……受付係に必要ですか? 冒険者の仕事じゃ……」
「違うな。受付係は“冒険者の命を預かってる”立場だ。現場を知らない受付に、誰が命を預けられる?」
彼女の表情が引き締まった。
「わかりました……! ちゃんと“見て”学びます!」
「よし、その意気だ。じゃあ実践だ」
俺は指を鳴らすと、周囲に魔力を巡らせる。
「この先に簡単な“仕掛け罠”がある。受付なら、それをどう伝える?」
「えっ……えっと、まず、“塔内に罠が設置されている可能性が高い”と注意喚起して、具体的にどんな罠か、過去の記録と照らし合わせて説明します!」
「じゃあ、その説明を“初めての冒険者”に伝えるつもりで、俺に言ってみろ」
彼女は一瞬戸惑ったが、真剣な目で俺を見据え、言葉を探し始めた。
「……この塔には、冒険者が仕掛けた簡易罠が残っていることがあります。見た目にはわからなくても、足元に糸が張ってあったり、石を踏むと作動するものもあるので、注意してください!」
「いいじゃないか。けど、“いつ”“どこに”“どうやって対処するか”まで言えれば、もっと良い」
「はいっ……!」
彼女はぎこちなくも真剣だった。俺はそんな彼女の姿を見て、どこか懐かしさを覚えていた。——そうだ、昔の俺も、こんな風に教わったんだった。
「いいか、受付係ってのはな、“現場の気配を伝える”仕事だ。だからこそ、こうして現場に出て、“五感で知る必要がある”」
俺は彼女の肩を軽く叩いた。
「さて、古塔はもうすぐだ。今日は徹底的に叩き込むぞ」
「はいっ!」
こうして俺と彼女の“現場研修”は始まった。
この日が、俺の“受付係”としての最終課題になることを、俺自身まだ知らずに——。
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