冒険者斡旋所は今日も忙しい〜裏で冒険者やってます〜
みなと劉
第1話
冒険者ギルドの朝は、いつだって忙しい。
「おはようございます、受付番号三番、稼働開始します」
木製のカウンターに立った俺は、朝の挨拶をしてから手元の帳簿を開く。まだ開館したばかりの時間帯だけど、すでに並び始めている冒険者たちは今日も元気だ。
「兄さん、昨日のクエスト報告、これで頼むよ」
「了解。討伐対象は『灰色オオカミ』……確認済みですね。はい、報酬はこちら。お疲れ様でした」
淡々と、でも一人一人に目を合わせて、少しだけ微笑んで報酬を手渡す。俺の仕事は“冒険者斡旋所の”――つまり、クエスト受注と報告を管理する受付係だ。
毎日変わらない業務。依頼を受け付けて、報告を受けて、報酬を払って、次の依頼を勧める。
それだけ。
けれども、ふとした瞬間、昔のことを思い出す。
……あれは、俺がこのギルドに入社した頃だった。
「じゃあ、君は今日から受付業務を担当してもらう。冒険者は癖の強い連中ばかりだが、真面目に対応すれば必ず信頼してくれる。いいかい、受付の仕事ってのは“顔”だ。ギルドの信用は、君の一言で変わると思ってくれ」
初代上司にそう言われたのを覚えている。
だけど、入社したばかりの俺は、冒険者の世界なんて知らなかったし、受付の“顔”なんて実感がなかった。ただ、目の前に並ぶ筋骨隆々の戦士たちに、書類を渡す手が震えていた。
「兄ちゃん、もっと落ち着けよ!こっちまで緊張するじゃねぇか!」
「わ、わかりましたっ……!」
そんなやりとりを経て、気が付けばもう五年。
今じゃすっかり、どんな猛者が来ても動じない自信がある。
「……お兄さん、今日も淡々としてますね」
ふいに声をかけてきたのは、新人冒険者の少女。初々しい皮鎧と大きな弓を背負ったその姿は、かつての俺が震えていた頃の冒険者たちと重なる。
「慣れれば誰でもこうなるさ。君も、そのうち“お姉さん、頼りにしてます!”って言われるよ」
「……それ、憧れますね!」
そんなやりとりをしながら、俺はまた日常に戻る。
日々の業務をこなし、淡々と、けれども着実に。
俺の仕事は、誰かの冒険の始まりを整えることだ。
そうやって、俺の日常は続いていく。
……と、そんなある日だった。
ギルドに一通の奇妙な依頼状が届いたのは。
その依頼状は、朝一番にギルドの書状係から手渡された。
「受付三番さん宛に、指定の封書が届いてます」
「俺宛に?……冒険者名簿でも依頼人でもない、直接の宛名?」
「ええ、珍しいですよね」
封は蝋で封印されていて、見覚えのない紋章が押されていた。ギルドの正式な印ではない。差出人不明。依頼状にしては妙に重みがある。重さではなく、何か“意味”が込められているような、そんな重みだ。
「……開けていいんだよな?」
「どうぞ。受付業務に関わる内容なら、報告は後で構いません」
封を切ると、中から一枚の羊皮紙が現れた。
『冒険者斡旋所 受付担当 殿
貴方様が初めてこの職に就いた日を、貴方は覚えていらっしゃいますか? あの日交わした約束を、まだ覚えていらっしゃいますか?
今一度、受けていただきたい依頼がございます。
指定日時にギルド裏の「旧記録庫」までお越しください。
依頼主名:記されず』
「……なんだ、これは」
差出人不明、内容も曖昧。しかし、どうにも引っかかる。
『初めてこの職に就いた日』『約束』。
まさか、あの人か……。
「旧記録庫、か……懐かしいな」
旧記録庫は、今では使われなくなったギルドの古文書保管庫だ。俺が新人の頃、書類整理の研修で何度も足を運んだ場所でもある。だが今は、誰も立ち寄らなくなったはずの場所。
——結局、その日は仕事が終わるまで落ち着かなかった。
「受付三番さん、顔が硬いですよ〜、ミスしないでくださいね」
「悪かったな、ちょっと考え事だ」
午後になっても業務は続く。依頼受注、報告処理、報酬受け渡し。どれもいつも通り。しかし、心だけが少しずつざわついていく。
そして、陽が傾き始めた頃。
「……さて、行ってみるか」
終業報告を済ませて、ギルドの裏手に回る。そこにあるのは古びた石造りの扉。今は錠が掛けられており、鍵を持つ者も少ないはずだ。
「だけど——開いてるのか、これ」
石扉は、軋む音と共にゆっくりと開いた。
旧記録庫の中は、まるで時が止まっているかのようだった。薄暗い空間に、古びた書棚が並び、埃の匂いが鼻をつく。だけど、その一番奥に、一人の人影があった。
「……久しぶりだな」
懐かしい声だった。
ギルドを辞めたはずの、俺の“初代上司”が、そこに立っていた。
「お前に頼みたい“最後の仕事”がある。受付係としてじゃなく——“お前自身”としてな」
物語は、静かに動き始める。
「最後の仕事、ですか」
俺は静かに問い返した。
旧記録庫の薄暗い空気の中で、初代上司は懐かしそうに微笑んだ。
「受付業務も、随分板についたようだな。でもな、お前が“受付だけで終わる器じゃない”ってことは、俺は最初から薄々気づいてたんだよ」
そう言うと、上司は古びた棚から一枚の依頼書を取り出した。
「この依頼は、正式なものじゃない。“ギルドの記録にも残らない”クエストだ。受付係としてではなく——紅のル・ブレとして、行ってもらいたい」
心臓が、一瞬だけ早鐘を打つ。
紅のル・ブレ——それは俺が、変身魔術を使って活動している“裏の顔”だ。
昼は受付係、夜は変装して冒険者業に身を投じる。受付だけじゃ見えない“現場”の空気を知りたかったから。けれどそれを知っている人間は誰もいないはずだった。
「……バレてましたか」
「いや、確証はなかったさ。でもな、受付にいながら、あの目の鋭さ。手続き一つ取っても、現場を知ってる奴の動きだった。お前、隠してるつもりで全然隠しきれてなかったぞ」
思わず苦笑いが漏れる。
「それで……俺にやってほしい仕事というのは?」
上司が差し出した依頼書には、一つのクエスト名が書かれていた。
【新人同行・東の古塔探索】
「ある新人の女冒険者を、クエストに同行して欲しい。だが、ただの護衛じゃない。その子は“本物の受付係”になれる素質を持ってる。だが、今のままじゃ現場感覚が足りない。お前のように“両方の立場”を知る必要があるんだ」
「……ギルドで育てるのでは?」
「本人が、どうしても“現場に出て自分で掴みたい”と言ってきたんだ。そこで、表向きは紅のル・ブレとして、裏では受付係としての視点も伝えてやってほしい」
面倒な依頼だ。だが、上司が俺にだけ話を持ってきた理由はわかる。
「その子、俺、知ってるか?」
「お前が今朝話してた、あの弓の少女だ」
……彼女か。
「わかりました。俺が同行します。“受付係”としてではなく、“紅のル・ブレ”としてな」
「頼んだぞ。これは、お前にしかできない仕事だ」
こうして俺は、受付カウンターを離れて一人の新人冒険者の“先輩”として、とあるクエストに向かうことになった。
もちろん、彼女には俺が“お兄さん”であることは知られないように。
これは、受付係としての最後の“裏仕事”。
——そして、そのクエストは、俺自身の在り方を問う旅になるのだった。
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