第19話 響
黎武館 北庭
夜の名残を含んだ風が、王城の北庭を静かに渡っていた。
霜が薄く降りた芝の上に足を置くたび、かすかな音が鳴る。
吐く息は白く、冷たさが喉の奥を刺す。
空はまだ群青の底にありながら、東の端だけが淡くほどけていた。
――息を乱すな。
それだけを心に刻む。
木刀を握る掌に、血の鼓動が伝わる。
冷たい木肌がわずかに軋む音。
エルンストの視線が、剣先のわずかな揺らぎを見逃さない。
あの目に映るものは、力量ではなく――心の深さ。
彼の前では、技も虚勢も意味を持たない。
ただ、“在り方”だけが問われる。
「足の運びは正確だ。だが――呼吸が浅い。」
低く響いた声に、胸の奥が一瞬、強く締めつけられる。
息が浅くなっているのはわかっていた。
焦りでも恐れでもない。ただ、“何か”が内側で揺らいでいる。
剣を振るうたび、胸の奥で光が脈を打つ。
それは理の呼吸――あるいは、自分の奥底にある“何か”が目を覚まそうとしている気配。
――なぜ、応じる。
理よ、俺はまだ何も成しえていないのに。
ラグナは一歩退き、静かに息を吐く。
冷気が肺を満たし、思考が澄んでいく。
余計な感情を削ぎ落とし、ただ目の前の一撃に集中する。
構えを正し、足の裏に力を込める。
踏み込み。
木刀が風を裂き、軌道は真っ直ぐに。
迷いのない一撃――だがその瞬間、掌の奥で淡い光が弾けた。
木刀と木刀がぶつかり合い、低い衝撃が空気を震わせる。
光が、血潮のように腕を駆け上がった。
見えないはずの理の粒が、視界の隅で瞬きながら消えていく。
それは歓喜でも恐怖でもない。
ただ――懐かしさに似た感覚。
どこかで、この“響き”を知っている気がした。
「……理の応答か。」
エルンストの声が遠く聞こえる。
その響きが、夢の底から現実を引き戻した。
構えを解くラグナの手には、なお光の残滓が揺らめいている。
消えずに、指先を包む。
息を整えながら、ラグナはその光を見つめた。
――これは力ではない。
理が、俺に何かを“問うている”。
「ここまでにしておこう。」
静寂が戻る。
鳥の声が一つ、夜明けの空に消えた。
ラグナは木刀を下ろし、深く頭を垂れる。
掌の中では、まだ理光が淡く脈を打っていた。
けれど、不思議と恐れはなかった。
むしろ、その温もりを離したくないとさえ思う。
「ありがとうございました。」
エルンストは頷き、木刀を持ち直す。
「剣は心の鏡だ。己を偽れば、木の刃も牙を剥く。」
その言葉が胸に沈み、重く響く。
ラグナは静かに息を吐いた。
己を偽らない――それは、最も難しい誓いだ。
自分が“何者であるのか”を、まだ言葉にできないから。
エルンストが回廊の方へと歩み去る。
その背を見送りながら、ラグナは自分の掌を見た。
光はすでに消えかけていたが、確かにそこに“応答の痕”がある。
――理は、ただの法則ではない。
それは、心に触れてくる“何か”だ。
冷たい空気が頬を撫でる。
その風の中で、鐘の音が遠く響いた。
神殿の尖塔が光を受けて輝きはじめる。
ラグナは静かに木刀を収め、神殿の方角を見上げた。
胸の奥で、淡い声が囁く。
「確かめよ」と。
彼はゆっくりと歩き出す。
踏みしめるたびに霜が砕け、白い光が足跡を縁取っていく。
やがて回廊の陰に姿を消すその背には、
まだ薄く理の光が残っていた。
エルンストはその場に立ち止まり、木刀を見下ろした。
木肌の節に、淡い光の痕跡が残る。
――理が応じたのではない。
あの青年の中で、理が“目を覚まし始めた”。
背後から足音。
振り返ると、カイエルが立っていた。
彼もまた、北庭の光景を静かに見つめている。
「彼の剣に宿ったのは、理の力か、それとも意志か……」
王子の言葉は、朝の光よりも静かに空へ溶けた。
エルンストは答えず、ただ霜の輝きを見つめる。
黎明の光が二人を包み、庭の空気がわずかに震える。
――その瞬間、秩序の影が動き始めた。
理の目覚めを告げる最初の兆しとして。
───
――呼吸が浅い、と言われた。
けれど、今の胸の内はむしろ、深く、重い。
歩くたびに、さきほどの光が思い出される。
剣を通して脈打った理の反応。
あれはただの偶然ではない――心の奥が、応えた。
けれど、自分でもまだ理解できない。
どうして、あの瞬間に“応答”があったのか。
理は、誰にでも同じように降り注ぐものではない。
それは秩序の律動であり、選ぶ側でもある。
ならば――なぜ、自分などに。
ラグナは、息を整えながら歩を進めた。
王城と神殿をつなぐ石の橋が、黎明の光に濡れている。
遠く、神殿の円蓋が朝日を受けて淡く輝いていた。
その光を見つめると、胸の奥にひとすじの温もりが灯る。
まるで理が“道を示している”かのように。
――剣は心の鏡だ。
エルンストの言葉が、まだ耳の奥に残っている。
己を偽れば、木の刃も牙を剥く。
ならば、自分の心はどうだ?
迷いを抱えたままの剣に、何を映せる?
ラグナは立ち止まり、東の空を仰いだ。
白い雲がゆっくりと流れ、光がその輪郭を縁取る。
その静けさの中で、胸の奥に確かに感じる――あの“声”があった。
――確かめよ。
それは誰の声でもない。
けれど、理の底から響くような響きがあった。
夢で聞いたあの囁きと同じだ。
ならば、これは偶然ではなく“導き”なのだろうか。
神殿の白亜の塔が近づく。
その姿は、夜を払いながら立ち上がるように静かで、どこか人の祈りを受け止めているようだった。
扉の前には侍神女たちが立ち、朝の儀を迎える準備をしている。
彼女らの衣の裾が風に揺れ、淡い香が流れた。
その香の中に、ラグナはわずかな懐かしさを覚える。
初めてこの神殿に足を踏み入れた日――何も知らず、ただ光に包まれたあの時の感覚が甦る。
俺は、まだ何も掴めていない。
けれど、確かに“理”は見ている。
俺が剣を振るう理由も、ここに立つ意味も。
ならば、進むしかない。
ラグナは静かに扉に手をかけた。
石の表面が朝の光を返し、微かに暖かい。
その感触に、心の奥の緊張がほどけていく。
――あの光の意味を、ここで確かめよう。
自分の中の“理”が何を求めているのかを。
鐘の音が再び鳴り響いた。
神殿の奥深くから、祈りの声が空へと昇っていく。
その音に導かれるように、ラグナは静かに一歩を踏み出した。
朝の光が、白い回廊を満たしていく。
その中心で、理の呼吸が――確かに応えていた。
───
王宮の回廊には、朝の光が満ちていた。
白大理石の床が陽を返し、長い影が交差する。
遠くで噴水がさざめき、鳥の声がまだ眠たげに響いていた。
エルンストは謁見の間を辞し、静かな足取りで歩いていた。
王妃への報告を終えたばかりで、眉間には深い思索の皺が残る。
早朝、北庭で振るった木刀の感触が、まだ掌の奥に温もりを残していた。
――ラグナの剣に宿った、あの微かな理光。
あれは単なる偶然か、それとも“理の覚醒”なのか。
「……また理核の揺らぎが観測されたとか。」
背後からの声に、エルンストは歩みを緩めた。
振り返ると、ヴァルターが回廊の柱にもたれて立っていた。
陽光を受けた銀の髪が、わずかに揺れている。
相変わらず、丁寧な笑みを浮かべながらも、その目には計算の光が宿っていた。
「神殿の観環室が報告を出しておりましたな。
だが、揺らいでいるのは理核か――それとも“御使”の心か。」
「そのような言葉、軽々しくは用いぬ方がよろしい。」
エルンストの声は低く、だが明確に響いた。
「観測の記録によれば、理層の波動は安定域にあります。
周期的な変化――自然な呼吸のようなものです。」
「周期的? いやいや、エルンスト殿。」
ヴァルターは軽く肩をすくめた。
「あなたがそう仰るときほど、真実は遠ざかるものですぞ。
それに――今朝の北庭で、御使の木刀に“光”が走ったと耳にしました。
理の流れと無関係だと、言い切れますかな?」
エルンストの眉がわずかに動いた。
その一瞬を見逃さず、ヴァルターは薄く笑む。
「王妃陛下は神殿との協調を重んじておられる。
しかし、もし理が人に過剰に応じるようなら、
それは秩序の支配原理そのものに歪みを生む。
――御使がその“引き金”にならねばよいのですが。」
「侯。あなたは神殿を疑っているのか、それとも御使を恐れているのか。」
エルンストは静かに問う。
風が回廊を渡り、二人の外套の裾を揺らした。
ヴァルターは軽く笑い、歩み寄った。
「恐れる? とんでもない。
私はただ観察しているだけです。
理が揺らぐとき、人は何を守ろうとするのか――それに興味がある。」
その声音には、丁重さと挑発が絶妙に混ざっていた。
エルンストは応じず、視線を外へ向けた。
窓の向こう、王都の上空に淡く光の筋が差し込んでいる。
その時、回廊の奥から足音が響いた。
朝の陽を背に、王子カイエルが姿を現す。
青の外套の裾が光を受けて揺れ、足音が規則正しく石を叩いた。
「理と秩序――どちらが正しいかを言葉で決めるつもりはない。」
その一言で、場の空気が引き締まった。
カイエルは二人の前に立ち、窓辺に目をやる。
「理が動くなら、俺が確かめる。」
ヴァルターの唇にわずかな笑みが浮かぶ。
「確かめる……? まさか殿下、御使と再び稽古を?」
「言葉より剣が早い。
明朝、北庭で――俺の眼で見る。」
その言葉に、エルンストは静かに頷いた。
ヴァルターは何も言わず、ただ薄く笑みを残したまま歩き去る。
朝の光が三人の影を長く伸ばしていた。
「……若さとは恐れを知らぬ剣、ですな。」
去り際、ヴァルターの声が風に溶ける。
エルンストはその背を見送り、低く答えた。
「恐れを越えてこそ、理は応える。」
鐘の音が王都の方角から響いた。
澄んだ朝の空気の中に、その音が長く尾を引く。
理と秩序――二つの光が、まだ交わらぬままに静かに並び立っていた。
カイエルとエルンストの姿が回廊の奥に消え、
王宮の中庭には再び静けさが戻った。
陽はすでに高く、白い石壁が淡く輝きを放っている。
風に乗って花の香が流れ、どこか現実感の薄い朝だった。
ヴァルターは、柱の影に立ち止まり、
深く息を吐いた
その顔に疲労の色はなく、ただ計算を終えた者の静けさがあった。
「……恐れを越えてこそ、理は応える。か。」
先ほどのエルンストの言葉を口の内で繰り返し、
小さく笑みを浮かべる。
「だが、理が応える相手は――選ぶものだ。」
侯は外苑へと歩みを進めた。
人の少ない回廊を抜け、庭園へ続く小門を出る。
朝光が木々の間を渡り、砂利道にまだらな影を落としている。
そこに、ひとりの若い男が待っていた。
古びた外套に身を包み、胸には辺境領の紋章を縫い付けている。
年の頃は二十代半ば、下級貴族の末席――だが、その眼差しは怯えよりも忠誠に濁っていた。
男はヴァルターの姿を見るなり、慌てて膝を折る。
「お呼びでしょうか、ヴァルター侯。」
侯は短く頷き、周囲に人がいないことを確かめてから口を開いた。
「そろそろ――頃合いかもしれんな。」
「……頃合い、でございますか?」
ヴァルターは懐から小さな黒い包みを取り出した。
掌に収まるほどの布包み。その中には、
透き通るような結晶と、乾いた種のような小片が数粒。
「これを“大渓谷の森”に撒いてこい。」
男は一瞬目を見張り、すぐに頭を垂れた。
「……承知いたしました。」
侯の声は淡々としていた。
「この包みはお前の手で“渡す”のだ。
撒くのは――別の者が行う。
お前は指示を伝え、代価を支払えばいい。」
「かしこまりました。相手は……?」
「名を聞く必要はない。
取引の場は、北の旧交易路の端にある倉庫だ。
相手はこちらの顔を知らぬ。お前も口を開くな。」
ヴァルターは木漏れ日の中で男を見下ろした。
その目は優しくもあり、氷のようでもあった。
「これは些細な用事だ。だが――慎重に。」
「はっ。」
男は布包みを受け取り、深く頭を垂れて立ち去った。
その背が門の向こうに消えるまで、ヴァルターは動かなかった。
風が庭の花弁を散らし、光がその頬を淡く照らす。
やがて彼は呟いた。
「理も秩序も、流れの名に過ぎん。
流れが滞れば――誰かが“石”を投げ入れるだけのこと。」
その声には感情の揺らぎが一切なかった。
ただ事務的な冷静さと、計算された間だけが残る。
遠くで鐘の音が響き、王都の空が白く明るみ始める。
ヴァルターは一度だけ空を見上げ、
ゆっくりと踵を返した。
その背に、光と影が交互に重なる。
まるで理の流れの上を歩むように――。
───
神殿第六層――観環室。
円環状に並ぶ水晶盤が、淡い光を放ちながらゆるやかに脈動していた。
空気は静まり返り、音と呼べるものは理核柱の奥で響く低い共鳴だけ。
まるで神殿そのものが呼吸しているようだった。
セラフィナは祈祷盤の前に膝をつき、掌を合わせた。
理光が白衣の袖を染め、髪の間で微かに揺らめく。
その隣で、サリウスが水晶盤に手を翳していた。
盤面には淡い紋様が浮かび上がり、理の波が螺旋を描いている。
「……やはり、通常の振動とは異なりますね。」
サリウスの声は、抑えられた興奮を含んでいた。
「理核柱の共鳴が、下層へではなく“内層”へ波を返しています。」
「幽応……?」
セラフィナが小さく呟く。
理層の波が共鳴し、魂や記憶の層に干渉する現象――それを神殿ではそう呼ぶ。
「ええ。記録にある“幽応波”と近いパターンです。
ただし……これは外因ではない。」
サリウスは目を細め、水晶盤を見つめた。
「理の内側――つまり、“個”の理から発している。」
セラフィナは視線を上げた。
観環室の中央、理核柱が白く脈動している。
その光は柔らかく、しかしどこか呼吸のような間をもって揺らいでいた。
「……御使様の理でしょうか。」
扉の奥から、杖の音が近づいた。
静かな足取りのまま現れたのは神官長レメゲトン。
白金の外套の裾が床を滑り、理光を受けて淡く光る。
「おそらく、そうだろう。」
老神官は理核柱を仰ぎ見ながら言った。
「理は彼に応えている。しかし同時に、彼の内側にも“未同調の理”が眠っている。」
サリウスが頷く。
「理層観測の記録と照らし合わせても、数値が合わない部分があります。
通常の神官や侍神女とは異なる“自律的共鳴”。
それが彼の中にある。」
「未同調の理……」
セラフィナの声はわずかに震えた。
「それは危険なものなのですか?」
「危険、というより――定まっていない。」
サリウスは淡く笑みを浮かべた。
「理は定義を求めています。
御使ラグナ=クローディアが、どの“理の系”に属するのか。
まだ、それが決まっていない。」
レメゲトンは静かに杖を掲げ、理核柱へ向けた。
「……その理は、かつてゼル=アマディウスが辿った道にも似ている。」
観環室の空気がわずかに震えた。
理核柱の奥から、鈴のような微かな音が響く。
それは懐かしくもあり、どこか哀しい音だった。
「ゼル=アマディウス……伝承の御使。」
セラフィナが呟く。
老神官は静かに頷いた。
「理が彼を選んだのか。
それとも、彼が理を呼んだのか。
――その違いが、歴史を変えるのです。」
サリウスは言葉を失い、ただ理核柱を見つめた。
柱の内で流れる光が、まるで意志を持つように脈動している。
セラフィナは胸の前で両手を重ね、目を閉じた。
祈りの言葉もない。ただ、静かに理の鼓動を聴く。
――ラグナの中で、何かが目覚めつつある。
その確信が、彼女の心を淡く震わせていた。
観環室を包む理光が、一瞬だけ強く瞬いた。
やがて静寂が戻る。
しかし、空気の奥底ではまだ微かな波が続いていた。
まるで見えぬ呼吸のように――、世界がラグナの理に応えているかのように。
───
夜の神殿は、昼とはまるで別の顔をしていた。
月光が理核柱の外殻をかすかに照らし、白い石壁を淡く染めている。
風が回廊を抜けるたび、木々の葉が低く囁き、遠くの鐘楼が静かに時を告げた。
小庭――理の流れが最も穏やかに満ちる場所。
中央の水盤には星の光が落ち、波紋が夜気に揺れている。
その縁に、ラグナはひとり腰を下ろしていた。
掌の上で、淡い光が瞬いては消える。
呼吸を整えるたび、理の気配がかすかに反応するのを感じた。
それは昼間の講義で見た理核柱の波形に似ていた――だが、もっと近く、もっと個人的な響きだった。
「……また、応えているのか。」
小さく呟く。
声に呼応するように、掌の光がわずかに脈打つ。
まるで誰かが言葉の奥で囁いているような、かすかな共鳴。
そのとき、背後から衣擦れの音がした。
「主様……まだお休みになられていなかったのですね。」
振り向くと、セラフィナが灯火を手に立っていた。
橙の光が白衣の裾を照らし、柔らかな影が地面に伸びる。
「眠れなくて。」
ラグナは微笑みながら答える。
「理の光が、妙にざわついていて……。
まるで“何かを告げようとしている”みたいだ。」
セラフィナはゆっくりと水盤の傍に歩み寄り、灯火を脇に置いた。
「理は、私たちが想うよりも近くにあります。
けれど、その声は常に穏やかではありません。
ときに、それは――試練として響くのです。」
「試練……。」
ラグナは目を伏せ、掌の光を見つめた。
「もしこの光が、誰かの記憶に触れるのだとしたら……
俺は、それを受け止めたい。」
セラフィナは静かに微笑んだ。
「主様がそう願うなら、それもまた“理の選び”でしょう。
けれど――どうか、忘れないでください。
理が示す道は、時に人の心を遠ざけることがあります。」
「心を、遠ざける……?」
「はい。理は純粋であるほど、冷たい。
温もりを求めるならば、自らの意志を絶やしてはなりません。」
ラグナは息を呑み、しばらく言葉を失った。
夜風が水面を渡り、理光がわずかに震える。
遠くで鈴の音のような微音が響いた――
それは風とも、幻聴ともつかない淡い響き。
セラフィナはその音を聞き取り、目を閉じた。
「……幽応、ですね。」
「さっきの観環室でも同じ波を感じた。」
「ええ。理が共鳴を始めています。
あなたの中に眠る“もう一つの理”が、呼び覚まされているのかもしれません。」
ラグナは水盤を見つめた。
月光が波に砕け、無数の光片が散る。
それはまるで、無数の記憶が夜の空に漂っているようだった。
――この光の奥に、誰かがいる。
その確信が胸を熱くする。
「確かめたい。」
ラグナの声は低く、しかし揺るぎなかった。
「この理が導こうとしているものが何なのか……
俺自身の手で、確かめる。」
セラフィナは灯火の炎を見つめ、微かに頷いた。
「ならば私は祈ります。
主様が迷わぬよう、理があなたの手に届くように。」
風が庭を抜け、灯火の火が一瞬だけ揺らめいた。
その光が二人の間を照らし、淡く消える。
夜空には雲ひとつなく、星々が理の粒のように瞬いていた。
ラグナは空を仰ぎ、静かに息を吐く。
――夜が、理の奥で呼吸している。
彼の胸の中にもまた、同じ鼓動があった。
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