第55話:弟子の告白
ヴォルフの証言により、技術的な観点からもリリアナの正当性が完全に証明された議場。
権威を失ったマグヌスが呆然と立ち尽くす中、突然、関係者席から一人の青年が立ち上がった。
フェリクス・ヴァイスハウプト。錬金術師ギルドのエリート青年。これまでマグヌスの忠実な弟子として、リリアナを敵視し続けてきた男である。
「市長」
フェリクスの声が議場に響いた。
「私にも、証言をさせてください」
議場がざわめいた。この期に及んで、マグヌス派の人間が何を言うつもりなのか。
「フェリクス!」
マグヌスが慌てて制止しようとしたが、フェリクスは振り返らなかった。
「お願いします」
彼の声には、揺るぎない決意が込められていた。
「この公聴会で語られるべき、最後の真実があります」
***
市長は困惑したが、やがて頷いた。
「証言を許可いたします。フェリクス・ヴァイスハウプト氏、証言台へ」
フェリクスは関係者席を立ち上がった。その時、彼はリリアナと目を合わせた。
彼女の瞳には、敵意も憎しみもない。ただ、同じ錬金術師への理解と、そして静かな励ましがあった。
それを見た瞬間、フェリクスの心は決まった。
もう、後戻りはできない。
「行ってきます」
フェリクスは小さく呟くと、証言台への道を歩み始めた。
その後ろから、マグヌスの狼狽した声が聞こえてくる。
「待て、フェリクス! 何をするつもりだ!」
しかし、フェリクスは振り返らなかった。
***
証言台に立ったフェリクスは、深く息を吸い込んだ。
議場の数百人が、彼を見つめている。その中には、これまで尊敬してきた師匠もいる。
しかし、もう迷いはなかった。
「市民の皆様」
フェリクスの声は、最初は震えていたが、次第に力強くなっていく。
「私は、フェリクス・ヴァイスハウプト。錬金術師ギルドに所属し、マグヌス・フォン・ヴァイス師の弟子として学んできました」
彼は議場を見回した。
「今日まで、私は師匠の教えに従い、『理の錬金術』こそが至高の学問であると信じてきました」
マグヌスの顔が青ざめた。不吉な予感が胸をよぎる。
「そして、リリアナ・エルンフェルトさんの『情の錬金術』を軽蔑し、彼女を排除しようと努めてきました」
フェリクスの告白に、議場が静まり返った。
「しかし…」
彼の声が震えた。
「しかし、私は間違っていました」
***
「数日前、私はリリアナさんの工房を訪れました」
フェリクスは静かに語り始めた。
「そこで目にしたのは、多くの職人たちが心を一つにして、街のために働く姿でした」
彼の声に、深い感動が込められていた。
「彼らの瞳には、純粋な喜びがありました。技術への愛がありました。そして何より、人々を幸せにしたいという想いがありました」
フェリクスはリリアナを見つめた。
「リリアナさんの錬金術は、私が学んできたものとは全く違っていました。効率や論理よりも、使う人の心を大切にしていました」
「技術の美しさを語り、作る喜びを分かち合い、仲間と共に夢を追いかけていました」
議場の人々が、深く聞き入っている。
「その時、私は気づいたのです。私が学んできた『理の錬金術』には、決定的に欠けているものがあることを」
「それは『心』でした」
***
フェリクスは深呼吸をして、最も重要な告白を始めた。
「しかし、今日お話しするのは、私の心境の変化だけではありません」
彼の声が重くなった。
「マグヌス師と金獅子商会との関係について、証言いたします」
議場が一瞬にして緊張に包まれた。
「フェリクス!」
マグヌスが立ち上がって制止しようとしたが、衛兵に押し留められた。
「私は見ました」
フェリクスは確信を込めて語った。
「マグヌス師がゲルハルト氏と密会している現場を」
議場がざわめいた。
「そこで彼らは、リリアナさんを排除する計画を話し合っていました」
フェリクスは懐から、一枚の紙を取り出した。
「これは、その時のやり取りを記録したものです」
***
フェリクスは紙を読み上げ始めた。
「マグヌス師:『あの小娘の人気は目障りだ。何とかならんのか』」
「ゲルハルト氏:『火災事故を利用しましょう。すべての責任を彼女に押し付けるのです』」
議場から怒りの声が上がった。
「マグヌス師:『うむ。ギルドの権威として、彼女を徹底的に糾弾する』」
「ゲルハルト氏:『模倣品の件は、絶対に隠蔽してください』」
フェリクスの声が震えていた。それは恐怖からではなく、怒りからだった。
「マグヌス師:『もちろんだ。あの小娘さえいなくなれば、街の錬金術市場は我々のものだ』」
議場が騒然となった。
「これが、私の尊敬していた師匠の正体でした」
フェリクスの声に、深い失望が込められていた。
「錬金術の発展のため、学問の追求のためと言いながら、実際には金儲けのことしか考えていなかった」
***
「さらに」
フェリクスは続けた。
「マグヌス師は私に命じました」
彼の次の言葉は、議場に衝撃を与えた。
「『リリアナの設計図を盗んで来い』と」
リリアナが息を呑んだ。
「『彼女の技術を分析し、我々の手でより効率的な製品を作るのだ』と」
フェリクスは頭を下げた。
「私は、実際にリリアナさんの工房に侵入しようとしました」
議場がざわめく中、フェリクスは続けた。
「しかし、できませんでした」
彼は顔を上げ、リリアナを見つめた。
「なぜなら、そこで働く人々の姿を見て、自分がしようとしていることの醜さに気づいたからです」
「技術を盗むことの卑劣さ、人の努力を踏みにじることの残酷さ、師匠の命令の邪悪さ」
フェリクスの瞳に涙が浮かんでいた。
「すべてを理解した時、私は自分が何をしようとしていたのか、愕然としました」
***
フェリクスは議場の人々を見回した。
「私は今日、この場で宣言します」
彼の声は、もはや迷いがなかった。
「マグヌス・フォン・ヴァイスとの師弟関係を、ここに決別いたします」
議場から大きなどよめきが起こった。
「フェリクス! お前は何を…!」
マグヌスが絶叫したが、フェリクスは振り返らなかった。
「私は錬金術師ギルドを辞します」
フェリクスは胸につけていたギルドの徽章を外した。
「そして、リリアナさんに心からお詫びいたします」
彼は証言台から降り、リリアナの前に歩み寄った。
議場の全ての人が、その光景を固唾を飲んで見守っている。
「リリアナさん」
フェリクスはリリアナの前に跪いた。
「私は、あなたを軽蔑し、敵視し、陥れようとしました」
彼は深々と頭を下げた。
「どんな謝罪も、許されることではないと分かっています」
「しかし、どうか教えてください」
フェリクスは顔を上げ、リリアナを見つめた。
「本当の錬金術を。人を幸せにする技術を」
***
議場が完全な静寂に包まれた。
リリアナは困惑した表情を見せていたが、やがて優しく微笑んだ。
「フェリクス」
彼女の声は温かかった。
「あなたはもう気づいているじゃない」
「技術に美しさがあるって、自分で言ったでしょう? それが『情の錬金術』の出発点よ」
フェリクスの瞳に、希望の光が宿った。
一方、議場の後方では、マグヌスが完全に崩れ落ちていた。
弟子からの決定的な裏切り。積み重ねてきた権威の完全な失墜。
彼の錬金術師としての人生は、この瞬間に終わりを告げた。
しかし、同時に新しい物語が始まろうとしていた。
真実の光に照らされた、美しい物語が。
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