第54話:砕け散る権威
ゲルハルトの自白により、火災事故の真相が明らかになった議場。しかし、公聴会はまだ終わっていなかった。
「続いて、職人ギルド連合代表、ヴォルフ・アイゼン氏の証言を聞くことといたします」
市長の声が響くと、議場の注目が一人の黒髪の男性に向けられた。
ヴォルフ・アイゼン。職人地区で最も腕の良い鍛冶師として知られ、リリアナの最初のパートナーとなった男である。
「行ってくる」
ヴォルフは短く呟くと、重い足音を響かせながら証言台へ向かった。普段は工房で黙々と鉄を打つ彼が、数百人の前で話をする。その緊張は隠しようもなかったが、瞳には確固たる決意が宿っていた。
議場の一角では、職人協同組合のメンバーたちが固唾を飲んで見守っている。革細工師のオルガ、織物職人のゲルト、木工師のフリッツ。皆、ヴォルフの言葉を待っていた。
***
証言台に立ったヴォルフは、しばらく議場を見回した。
話すのは得意ではない。しかし、今日だけは違った。仲間のため、そして真実のために、彼は口を開く。
「俺は職人だ」
ヴォルフの第一声は、飾り気のない、しかし力強いものだった。
「鍛冶一筋、二十年やってきた。親父も、その親父も鍛冶師だった」
彼は作業で鍛えられた太い腕を組んだ。
「職人ってのは、嘘をつけない商売だ。手を抜けば、すぐにバレる。ごまかせば、必ず後で問題になる」
議場の職人たちが、深く頷いた。
「だから、俺たちは技術に嘘をつかない。材料に嘘をつかない。そして、お客さんにも嘘をつかない」
ヴォルフの言葉には、職人としての誇りが込められていた。
「今日は、その職人の目で見た真実を話させてもらう」
***
ヴォルフは懐から、二つの小さな部品を取り出した。
一つは金属製の調整器、もう一つは同じような外見の装置。しかし、よく見ると微妙な違いがある。
「これは、リリアナが設計した温度調整器の部品だ」
彼は右手の部品を掲げた。
「そして、こっちが金獅子商会の模倣品の部品だ」
左手の部品を示す。
「見た目は似てる。素人が見れば、同じものに見えるかもしれん」
ヴォルフは二つの部品を議場に向けて掲げた。
「だが、職人が見れば一目瞭然だ。全く違う代物だ」
彼は本物の部品を詳しく説明し始めた。
「まず、材料。リリアナの部品は、純度99.8%の精錬された青銅を使ってる。しかも、マナの伝導を良くするために、銀の微粉を混ぜ込んである」
技術的な詳細に、議場の人々は聞き入った。
「対して、模倣品は安物の合金だ。純度は70%そこそこ。不純物だらけで、マナがまともに流れるわけがない」
***
ヴォルフは次に、加工技術の違いを説明した。
「リリアナの部品は、一つ一つ手作業で仕上げてある。表面の滑らかさ、角の面取り、接続部の精度。すべてが完璧だ」
彼は部品を光にかざして見せた。
「この精度を出すには、最低でも三日はかかる。俺でも、これだけ精密な部品を作るのは骨が折れる」
ヴォルフの声に、職人としての敬意が込められていた。
「だが、模倣品は違う。大量生産のプレス加工だ。表面はざらざら、角は欠けてる、接続部は歪んでる」
彼は模倣品を議場に向けて振った。
「こんなもんで、まともに動くわけがない。事故が起きるのは当然だ」
議場から怒りの声が上がった。職人たちの技術を愚弄する粗悪品への憤りだった。
「つまり、火災の原因は技術の問題じゃない。手抜きと利益優先の問題だ」
ヴォルフの断言に、議場が静まり返った。
***
「だが、それだけじゃない」
ヴォルフは更に続けた。
「一番の違いは、作る人間の『心』だ」
彼はリリアナを見つめた。
「あいつは、俺の工房に毎日通ってきた。部品の一つ一つについて、『この角度で良いでしょうか』『この材料で大丈夫でしょうか』って、何度も何度も確認してきた」
ヴォルフの声に、思い出が込められていた。
「最初は面倒だと思った。でも、だんだん分かってきた。あいつは、使う人のことを真剣に考えてるんだ」
議場の人々が、興味深そうに聞き入っている。
「『パン屋のハンスさんが、毎日安心してパンを焼けるように』『宿屋のクララさんの旦那の腰が、少しでも楽になるように』」
ヴォルフは一つ一つの例を挙げた。
「あいつの部品には、全部そういう想いが込められてる。だから、精密で、丈夫で、長持ちする」
彼は模倣品を見下した。
「こんな粗悪品とは、根本的に違うんだ」
***
ヴォルフは議場を見回した。特に、錬金術師ギルドの席にいるマグヌスを見据えた。
「マグヌス・フォン・ヴァイス」
彼の名前を呼ばれ、マグヌスが身を乗り出した。
「あんたは『理の錬金術』が最高だと言った。効率と論理が全てだと言った」
ヴォルフの声に、怒りが込められていた。
「だが、あんたの錬金術で、誰が幸せになった?」
議場が静まり返った。
「あんたの作った完璧な賢者の石で、街の人は笑顔になったか?」
「あんたの高純度の錬成で、誰かの悩みが解決したか?」
ヴォルフの問いかけに、マグヌスは答えられない。
「技術ってのは、人のためにあるもんだ。人を幸せにするためにあるもんだ」
彼は職人協同組合のメンバーたちを見回した。
「俺たちは皆、そのために仕事をしてる。リリアナも同じだ」
***
ヴォルフは最後に、力強く宣言した。
「職人ギルド連合として、正式に表明する」
議場の全ての視線が彼に向けられた。
「リリアナ・エルンフェルトは、俺たちの誇りだ」
職人協同組合のメンバーたちが立ち上がった。オルガ、ゲルト、フリッツ、そして他の職人たち。
「あいつの技術は本物だ。あいつの心も本物だ」
職人たちは一斉に拍手を始めた。
「だから、俺たちはあいつと一緒に仕事をする。これからも、ずっと」
拍手は議場全体に広がった。市民たちも、商人たちも、冒険者たちも、皆が立ち上がってリリアナを讃えた。
「技術に嘘はつけない」
ヴォルフの最後の言葉が、議場に響いた。
「リリアナの錬金術は、嘘偽りのない本物だ」
***
その時、議場の一角で動きがあった。
マグヌス・フォン・ヴァイスが、よろめくように立ち上がったのだ。
彼の顔は青白く、これまでの威厳は完全に失われていた。
「私は…私は…」
マグヌスの声は震えていた。
ヴォルフの言葉が、彼の心の奥深くに突き刺さっていた。
確かに、彼の「理の錬金術」は高度だった。理論的に完璧だった。しかし、それで誰が幸せになったのか。
答えは、なかった。
「私の錬金術は…間違っていたのか…」
マグヌスの呟きが、議場に響いた。
長年築き上げてきた権威が、音を立てて崩れ落ちていく。
技術の真の価値とは何か。錬金術の本当の意味とは何か。
ヴォルフの素朴で真摯な言葉が、すべての虚飾を打ち砕いていた。
権威は砕け散り、真実だけが残った。
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