第53話:金獅子の終焉

 セレナ川の奇跡的な浄化を目撃した議場は、まだ感動の余韻に包まれていた。

 しかし、この公聴会の目的は、リリアナの技術を証明することだけではない。火災事故の真の責任を明らかにすることも、重要な議題だった。

 「続いて、商人ギルド代表、エルミナ・ヴァルメル氏の証言を聞くことといたします」

 市長ハインリッヒの声が響くと、議場の注目が一人の赤毛の女性に向けられた。

 エルミナ・ヴァルメル。クローバー工房の商業パートナーとして、この一週間、火災事故の真相を調べ続けていた若き商人である。

 「行ってくるわ」

 エルミナはリリアナに向かって微笑みかけると、證言台へ向かった。その足取りは軽やかだったが、手に握られた文書の束には、重大な秘密が隠されていた。

 ***

 証言台に立ったエルミナは、議場を見回した。

 その眼差しは、普段の明るい商人のものとは異なり、鋭く、確信に満ちていた。

 「市民の皆様」

 エルミナの声が議場に響いた。

 「私は商人です。商売において最も大切なことは、信頼です」

 彼女は文書の束を掲げた。

 「しかし、その信頼を悪用し、不正な利益を得ようとする者がいます。今日は、その真実をお話しいたします」

 議場の後方で、ゲルハルトの顔色が変わった。

 「火災事故の原因となった粗悪な模倣品は、誰が作り、誰が販売したのか。その黒幕の正体を明らかにいたします」

 エルミナの宣言に、議場がざわめいた。

 ***

 「まず、こちらをご覧ください」

 エルミナは最初の文書を掲げた。

 「金獅子商会の輸送記録です。過去三ヶ月間、この会社が何を、どこから仕入れ、どこに運んでいたかの詳細な記録」

 ゲルハルトが席で身を乗り出した。その記録は機密扱いのはずだった。

 「冒険者ギルドのローガン・グリム様のご協力により、正式な手続きを経て入手いたしました」

 エルミナの声に迷いはない。

 「この記録によると、金獅子商会は先月だけで、『生活魔道具』という名目で大量の商品を仕入れ、各地の市場に流通させています」

 彼女は記録の一部を読み上げた。

 「『自動調理鍋』五百個、『温度調整器』三百個、『便利椅子』二百個…」

 これらは全て、リリアナが開発した魔道具の模倣品だった。

 「しかし、興味深いことに、この『仕入れ先』が記載されていません」

 エルミナの指摘に、議場がざわめいた。

 「なぜでしょうか? 答えは簡単です。正規の工房から仕入れたものではないからです」

 ***

 エルミナは二枚目の文書を取り出した。

 「こちらは、金獅子商会の内部文書です」

 ゲルハルトの顔が青ざめた。

 「『クローバー工房の製品を分析し、安価な材料で模倣品を製造せよ』『品質は問わない。外見が似ていれば十分』『利益率を最優先とする』」

 エルミナが読み上げる文書の内容に、議場から怒りの声が上がった。

 「さらに、こちらです」

 三枚目の文書が掲げられた。

 「『もし事故が発生した場合、すべての責任をオリジナル製作者に転嫁せよ』『我が社の関与は一切認めない』」

 議場が騒然となった。これは明らかに、計画的な責任逃れの証拠だった。

 「つまり、金獅子商会は最初から、事故が起こることを想定していたのです」

 エルミナの声が厳しくなった。

 「それでも、利益のために粗悪品を販売し続けた。そして事故が起きたら、すべてをリリアナちゃんのせいにする計画だったのです」

 ***

 「しかし、これで終わりではありません」

 エルミナは更なる文書を取り出した。

 「金獅子商会の不正は、模倣品の販売だけではありません」

 彼女の次の言葉は、議場に衝撃を与えた。

 「上流鉱山からの汚染隠蔽にも関与していたのです」

 ゲルハルトが立ち上がろうとしたが、足がすくんで座り込んだ。

 「こちらは、金獅子商会の会計記録です。『上流鉱山産業廃水処理費』という名目で、毎月莫大な金額が支払われています」

 エルミナが金額を読み上げると、議場から驚きの声が上がった。

 「しかし、実際には廃水処理は行われていませんでした。この金額は、汚染の事実を隠蔽するための口止め料だったのです」

 真実が明らかになるにつれ、議場の空気が険悪になっていく。

 「つまり、金獅子商会は二重の罪を犯していたのです。セレナ川の汚染を隠蔽し、その汚染された環境で作られた粗悪品を市民に売りつけていた」

 ***

 エルミナは最後の文書を取り出した。

 「そして、これが決定的な証拠です」

 それは、ゲルハルト自身の筆跡で書かれた指示書だった。

 「『火災事故を利用し、生活魔道具全般への不信を煽れ』『我が社が市場を独占するチャンスだ』『リリアナ・エルンフェルトを完全に排除せよ』」

 議場が怒りに震えた。

 「ゲルハルト支店長」

 エルミナは議場の後方を見据えた。

 「あなたは火災事故を『チャンス』と呼びました。多くの人が家を失い、街の平和が乱れたことを、商機と見なしたのです」

 すべての視線がゲルハルトに向けられた。彼はもはや反論する言葉もなく、ただ震えているだけだった。

 「これが、火災事故の真の黒幕です」

 エルミナは確信を込めて宣言した。

 「利益のためなら手段を選ばない、悪質な商人です」

 ***

 議場の後方で、ゲルハルトがついに立ち上がった。

 「ちょ、ちょっと待て!」

 彼の声は裏返り、冷静さを完全に失っていた。

 「それは…それは偽造された文書だ! 私は知らない!」

 しかし、その狼狽ぶりが、逆に有罪を証明していた。

 「金獅子商会は正当な商売をしている! あの火災は、やはりリリアナ・エルンフェルトの責任だ!」

 見苦しい言い訳を並び立てるゲルハルトに、議場から非難の声が上がった。

 「証拠を見ろ!」

 「言い逃れは聞き苦しいぞ!」

 「責任を他人に押し付けるな!」

 市民たちの怒りが、ゲルハルトに向けられた。

 「私は…私は…」

 ゲルハルトの言葉が詰まった。もはや、反論の余地はなかった。

 ***

 エルミナは冷静に続けた。

 「ゲルハルト氏、あなたにはこれまでの不正を認め、市民の皆様に謝罪していただきたい」

 商人としての彼女の厳しさが、この瞬間に現れていた。

 「そして、火災の被害者への賠償と、セレナ川汚染の責任を取っていただきたい」

 エルミナの要求は正当で、議場の多くの人が頷いた。

 ゲルハルトは完全に追い詰められた。逃げ場はもうない。

 「…認める」

 ついに、彼は観念した。

 「すべて…私がやった…」

 その瞬間、議場から大きなどよめきが起こった。

 真犯人の自白。長く続いた疑惑に、ついに決着がついたのだ。

 ***

 エルミナは証言台から議場を見回した。

 「これで明らかになりました」

 彼女の声は、勝利の凱歌のように響いた。

 「リリアナちゃんの錬金術は何も間違っていません。火災の責任は、金獅子商会の不正にあります」

 議場から拍手が起こった。それは、真実が明らかになったことへの安堵と、エルミナの見事な証明への称賛だった。

 「真の商人とは、利益だけを追求する者ではありません」

 エルミナは最後に語った。

 「人々の信頼に応え、社会に貢献することこそが、商人の使命です」

 彼女は議場の人々に深々と頭を下げた。

 「今後、このような不正が二度と起こらないよう、商人ギルドとしても厳正に対処いたします」

 金獅子の権威は、音を立てて崩れ落ちた。

 そして、真実の光が、すべての闇を払ったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る