第23話:共に豊かになる道
工房に重苦しい沈黙が流れていた。
作業台の上には、昨日まで山積みになっていた注文書が、まるで色あせた花のように散らばっている。素材が尽きた今、それらはただの紙切れでしかなかった。
リリアナは窓辺の椅子に座り、膝を抱えるようにして外を眺めていた。いつもなら活気に満ちた職人地区の通りも、今日の彼女の目には灰色に見える。
「私のせいだ……」
小さく呟いた声が、静まり返った工房に響いた。
「私が、身の程知らずなことをしたから。ギルドの秩序を乱したから……」
自責の念が、胸の奥で黒い塊となって渦巻いている。これまで支えてくれた人々に迷惑をかけ、期待してくれた依頼者たちを失望させることになるのだと思うと、息をするのも苦しかった。
「リリー、そんな風に考えちゃダメよ」
エルミナが隣に座り、優しく肩に手を置いた。しかし、その声にもいつもの明るさはない。
「でも、現実は変わりません」
リリアナは顔を上げることなく答えた。
「素材がなければ、何も作れない。人を幸せにすることもできない。私は……無力です」
その時、工房の扉が静かに開いた。現れたのは師匠テオ。いつものようにパイプをくわえているが、その表情は普段の穏やかさとは異なる、何か深い思索に沈んでいるようだった。
「師匠……」
リリアナがようやく顔を上げた。
「すみません。弟子として、不甲斐なくて……」
「ふむ」
テオは近くの椅子に腰を下ろし、しばらくパイプの煙を眺めていた。
「リリアナ、君は今、誰と戦っているつもりなのかね?」
「え?」
予想外の質問に、リリアナは戸惑った。
「マグヌス師と……でしょうか」
「そうだな。では、君の目標は何だ?」
「彼に勝つこと……?」
リリアナの声に、確信がこもっていない。
「違うな」
テオは首を振った。
「君の本当の目標は、人々を幸せにする道具を作り続けることだろう? マグヌス師を打ち負かすことではない」
師匠の言葉に、リリアナの胸がどきりとした。
***
「第四の指針を教えよう」
テオはパイプを置き、リリアナの目をまっすぐに見つめた。
「『共に豊かになる道を探す』。これが、真に賢い者の歩む道だ」
「共に……豊かになる?」
「そうだ。敵を打ち負かすのではなく、自分も相手も利益を得るような関係を築くこと。それが、持続可能な解決をもたらす」
エルミナが身を乗り出した。
「でも、相手はアタシたちを潰そうとしてるのよ? どうやって協力なんて……」
「君たちは、マグヌス師が『なぜ』君たちを敵視するか、考えたことがあるかね?」
テオの問いかけに、二人は顔を見合わせた。
「単純に意地悪だから……というわけではないのですか?」
リリアナが恐る恐る尋ねる。
「確かに、彼は傲慢で頑固な男だ。しかし、それだけではあるまい」
テオは立ち上がり、工房の古い本棚に歩み寄った。
「彼は『理の錬金術』の守護者として、長年ギルドを支えてきた。その彼にとって、君の『情の錬金術』は、自分の存在意義を脅かす異端に見えるのかもしれんな」
「存在意義……」
「そうだ。もし君が、彼の価値を否定するのではなく、認めた上で新しい可能性を示すことができたら?」
テオの言葉に、リリアナの心に小さな光が差し込んだ。
***
「それに」
テオが振り返る。
「君を困らせているのはマグヌス師だが、彼と同じように、ギルドのやり方に苦しんでいる者もいるのではないかね?」
その言葉に、リリアナの目が大きく見開かれた。
「ギルドのやり方に……苦しんでいる?」
「考えてみるがよい。『ギルド認定工房』以外は素材を購入できない。では、認定を受けていない小さな工房はどうなる? 彼らもまた、君と同じ困難に直面しているのではないか?」
エルミナが勢いよく立ち上がった。
「そうよ! なんで気づかなかったのかしら」
彼女の瞳に、いつもの輝きが戻ってきた。
「この街には、ギルドに属さない職人さんたちがたくさんいる。革細工師、織物職人、木工師……彼らも、素材の調達に困っているかもしれない」
「そして、彼らもまた、君と同じように『人々の暮らしを豊かにしたい』という想いを持っているはずだ」
テオの言葉に、リリアナの心臓が高鳴った。
「つまり……」
「君が一人で戦うのではなく、同じ困難を抱える者たちと手を組む。そうすれば、一人では立ち向かえない大きな力も、みんなで力を合わせれば……」
「対抗できるかもしれない」
リリアナが立ち上がった。絶望に沈んでいた瞳に、希望の光が宿っている。
「でも、どうやって? 私は人見知りだし、急に他の職人さんのところに行って『協力してください』なんて……」
「それなら、アタシがいるじゃない」
エルミナが胸を張った。
「商人の仕事は、人と人を繋ぐことよ。リリーの想いを、きちんと伝えてみせるわ」
***
「では、明日から街の小さな工房を回ってみよう」
リリアナの声に、以前の確信が戻ってきていた。
「ただし、お願いするのではなく、『共に豊かになる』方法を考えるんです」
「具体的には?」
エルミナが首をかしげる。
「彼らの仕事を楽にする道具を作る代わりに、素材の調達や情報交換で協力していただく。そんな関係が築けたら……」
テオが満足そうに頷いた。
「そうだ。それこそが『Win-Win』の関係。誰かを打ち負かすのではなく、みんなが幸せになる道を探すのだ」
工房の空気が、一変していた。
つい先ほどまで絶望に支配されていた空間に、新たな希望と活気が満ちている。
「師匠、ありがとうございます」
リリアナが深く頭を下げた。
「敵を作るのではなく、仲間を増やす。その視点が、私には足りませんでした」
「君は賢い子だ。きっと、素晴らしい仲間たちと出会えるだろう」
テオは再びパイプに火をつけた。その煙が、夕日に照らされて金色に輝いている。
リリアナとエルミナは顔を見合わせ、互いに頷いた。
明日からの新たな挑戦が待っている。
一人では立ち向かえない巨大な壁も、多くの仲間と共になら、きっと乗り越えられる。
師匠の第四の指針が示した道は、困難ではあるが、希望に満ちていた。
***
その夜、錬金術師ギルドの執務室では、マグヌスが市議会への要請書を仕上げていた。
「これで小娘の息の根を止められる」
彼の唇に、冷たい笑みが浮かんでいる。
しかし、マグヌスはまだ知らない。
自分が築こうとしている孤立の壁が、かえってリリアナを多くの仲間たちと結びつける契機となることを。
そして、その新たな絆が、やがて街全体を変える力となることを。
クローバー工房の小さな灯りは、今夜も静かに燃え続けている。
その光は、もはや一人の少女のものではなく、多くの人々の希望を宿した、確かな炎となっていた。
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