第17話:花売りの少女リリー
秋の陽射しが心地よい午後、リリアナは材料の買い出しのため街の中央広場を歩いていた。錬金術師ギルドからの使者の件は気になっていたが、今日はまず、積み重なった依頼をこなすことに集中しようと決めていた。
広場の噴水の近くで、美しい花の香りが鼻をくすぐった。振り返ると、色とりどりの花を並べた小さな花屋の屋台がある。そこで一人の少女が、車椅子に座りながら花の世話をしていた。
「いらっしゃいませ」
少女が明るい声で挨拶する。年の頃は十四、五歳だろうか。栗色の髪を三つ編みにした愛らしい顔立ちで、澄んだ瞳には屈託のない笑顔が宿っていた。
「とても綺麗な花ですね」
リリアナは屋台に近づく。確かに、どの花も丁寧に手入れされており、生き生きとした美しさを放っていた。
「ありがとうございます。私、リリーって言います」
少女は嬉しそうに微笑む。
「私はリリアナです。お花が本当にお上手ですね。どれも元気で美しくて」
「お花は私の友達なんです」リリーの表情が一層輝く。「毎日お世話をしていると、お花たちが喜んでいるのが分かるんです」
リリアナは彼女の言葉に、深い共感を覚えた。それは、自分が錬金術で素材の『声』を聞く感覚と似ていた。
***
「あの…」
リリアナが何か購入しようと花を見回していると、リリーが困ったような表情を見せた。
「どうかしましたか?」
「実は、あそこの高い棚の花たちの世話ができなくて困ってるんです」
リリーが指差した方向を見ると、屋台の奥に背の高い花台が設置されている。そこには美しい蘭や小さな観葉植物が並んでいたが、確かに車椅子からでは手が届かない高さだった。
「水やりや枯れた葉を取り除いたりしたいんですけど、手が届かなくて…」
リリーの声に、少しだけ寂しさが混じった。
「家族の方に手伝ってもらうことはできないのですか?」
「お父さんもお母さんも、別の仕事で忙しくて。それに、私一人でできるようになりたいんです」
リリーの瞳に、強い意志の光が宿った。
リリアナは師匠の教えを思い出した。『まず相手の心を聞く』。リリーが本当に望んでいるのは、単に高い場所の花に手が届くことではない。自分の力で、愛する花たちの全てを世話したいという想いなのだ。
「もしよろしければ、お手伝いできることがあるかもしれません」
リリアナが提案すると、リリーの目が輝いた。
「本当ですか?でも、お金はそんなに…」
「いえいえ」リリアナは慌てて手を振る。「お代は結構です。同じ花を愛する者同士、助け合うのは当然ですから」
その時、リリアナの頭の中で、ある魔道具のアイディアが形を成し始めていた。
***
翌日の夕方、リリアナは完成したばかりの魔道具を手に、再び中央広場を訪れた。
「リリアナさん!」
リリーが嬉しそうに手を振る。
「お約束通り、持ってきました」
リリアナが差し出したのは、美しい装飾が施された細長い器具だった。長さは一メートルほどで、先端には小さなハサミや散水器、柔らかなブラシなどが付いている。
「これは…」
「『妖精のマジックハンド』です」リリアナが説明する。「持ち手の部分に手を添えて、お花を思い浮かべてください。そうすると、まるで本当の手のように、繊細な作業ができるはずです」
リリーが恐る恐る器具を受け取ると、それは微かな光を放った。
「試してみましょうか」
リリーは高い棚の蘭に向けて器具を伸ばした。最初はぎこちなかったが、すぐにコツを掴んだようで、器具の先端が滑らかに動き始める。
「すごい…本当に自分の手みたい」
リリーの声に感動が込められている。器具の先端のハサミが、枯れた葉を丁寧に切り取り、小さなブラシが葉の汚れを優しく払っていく。
「水やりもできるんですか?」
「はい。この部分を軽く押してください」
リリーが指示通りにすると、先端の散水器から霧状の水が出てきた。それは本物の手で水やりをするよりもむしろ繊細で、花にとって理想的な水分を与えていく。
「ありがとう…ありがとうございます」
リリーの目に涙が浮かんだ。
「これで、私もちゃんと全部のお花のお世話ができる」
***
「どうしてこんなに優しくしてくださるんですか?」
リリーがマジックハンドを大切そうに抱きながら尋ねる。
「私も、人に支えられて今があるからです」リリアナは穏やかに答える。「師匠や仲間たちがいなければ、今の私はありません。だから、私も誰かの支えになりたいんです」
リリーは静かに頷いた。
「リリアナさんの作る道具には、心が込められているんですね」
「心…ですか?」
「はい」リリーが微笑む。「このマジックハンドを触っていると、リリアナさんの優しさが伝わってくるんです。きっと、お花たちにも分かると思います」
リリアナは胸が熱くなった。自分の錬金術が、確実に人の心に届いている。それが何よりも嬉しかった。
二人が話していると、広場の向こうから一人の青年が近づいてくるのが見えた。金髪で整った顔立ち、錬金術師ギルドの徽章を胸に付けている。
フェリクスだった。
彼はリリアナとリリーの様子を、少し離れた場所から冷ややかな眼差しで観察していた。
***
フェリクスは心の中で冷笑していた。
「偽善的な茶番だ」
彼にとって、リリアナの行為は売名行為にしか見えなかった。無償で魔道具を提供するなど、マグヌス師の教える『効率性』からは程遠い愚行だった。
「師匠の予想通り、感情に流されやすい小娘だ」
フェリクスは今日の出来事を師に報告する内容を頭の中でまとめている。リリアナの『情の錬金術』がいかに非効率で、感情的で、結果として社会の秩序を乱すものであるかを証明する材料として。
しかし、リリーがマジックハンドを使って花の世話をしている光景を見ていると、何故か胸の奥で小さなざわめきを感じた。
少女の表情は、心からの喜びに満ち溢れている。その笑顔は、作り物ではない本物の幸福の表れだった。
「あれも演技なのか?」
フェリクスは首を振る。そんなはずはない。しかし、なぜか足がその場から動かなかった。
リリアナとリリーが互いに微笑み合っている様子は、確かに美しく、純粋で、そして…
「くだらん」
フェリクスは自分の感傷を振り払い、その場を立ち去った。しかし、歩きながらも、彼の心には小さな疑問の種が植え付けられていた。
本当に、あれは『くだらない』ことなのだろうか。
***
夜が深くなり、リリーは一人で花屋の片付けをしていた。新しいマジックハンドのおかげで、これまで手の届かなかった花たちも完璧に世話することができた。
「お花たち、今日は特に綺麗ね」
リリーが花に語りかけると、微風が吹いて花々が優しく揺れた。まるで答えているかのように。
マジックハンドを丁寧に拭いて箱にしまいながら、リリーは今日一日のことを思い返していた。
リリアナという人は、本当に不思議だった。初対面の自分に、これほど親身になってくれる理由がよく分からない。でも、その優しさは本物だった。嘘偽りのない、心からの想いが伝わってきた。
「私も、いつかリリアナさんみたいになりたいな」
リリーは夜空の星を見上げた。自分も誰かの役に立てる人間になりたい。困っている人を助けられる人になりたい。
その想いを胸に、リリーは家路についた。新しいマジックハンドと共に、新しい希望を抱いて。
中央広場には、花の甘い香りと、温かな想いの余韻だけが残されていた。
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