第16話:広がる評判と黒い影

 絆のコンパスの成功から一週間が過ぎた。クローバー工房は、これまでにない活気に満ち溢れていた。

 朝早くから、工房の前には依頼者の列ができている。冒険者ギルドでの評判が街中に広まり、様々な職業の人々がリリアナの魔道具を求めてやってくるようになったのだ。

「次の方、どうぞ」

 エルミナが受付業務を取り仕切っている。商人としての経験を活かし、お客様一人一人の要望を丁寧に聞き取り、適切な依頼として整理していた。

「毎日の薬の分量を間違えないような道具を作ってもらえませんか」

 老いた薬草師が相談を持ちかける。

「畑の土の状態が一目で分かるような魔道具はできるでしょうか」

 農夫が真剣な表情で尋ねる。

 リリアナは一つ一つの依頼に丁寧に耳を傾けながら、師匠の教えを実践していた。『まず相手の心を聞く』。お客様の本当の悩みや願いを理解し、それに応える魔道具を提案する。

「リリアナちゃん、すっかり有名人ね」

 隣のパン屋のミーナが、焼きたてのパンを差し入れに来る。

「おかげで、うちのパンも『魔道具のパン屋』として評判になってるのよ。ありがとう」

 ハンスも嬉しそうに頭を下げる。

「そんな…私の方こそ、最初に信頼してくださって」

 リリアナは照れながら答える。この街に来た当初の人見知りの少女は、もうそこにはいなかった。

 *** 

 工房の向かいにある鍛冶場では、ヴォルフが大忙しだった。リリアナの魔道具の金属部品を製作するだけでなく、彼自身の評判も上がり、独自の注文が増えていたのだ。

「ヴォルフの技術も、随分と繊細になったな」

 テオが感心したように呟く。

「リリアナの魔道具を作るうちに、細かい作業のコツを覚えたんでしょうね」

 エルミナが微笑む。

 確かに、最近のヴォルフの作品には、以前とは違う『温かみ』があった。父親の影に怯えることなく、自分らしい道を歩み始めているのが分かる。

「俺たち、良いチームになったな」

 ヴォルフが汗を拭いながら言う。

「ええ」リリアナが嬉しそうに頷く。「一人では絶対にできなかったことも、みんなで力を合わせれば…」

「第六の指針の実践ですな」テオが穏やかに微笑む。「『力を合わせ、新たな価値を生む』。君たちは見事にそれを体現している」

 工房に和やかな空気が流れた。

 しかし、その平和な午後に、暗い影が忍び寄っていることを、まだ誰も知らなかった。

 *** 

 錬金術師ギルドの最上階にある豪華な執務室で、マグヌス・フォン・ヴァイスは苛立ちを隠せずにいた。

「野良犬が、我々の庭を荒らしているようだ」

 彼は窓から街を見下ろしながら呟く。貴族出身の彼にとって、正式な教育を受けずに錬金術を行うリリアナの存在は、許しがたいものだった。

「師匠」

 フェリクスが部屋に入ってくる。

「例の件、調べてまいりました」

「ほう」マグヌスが振り返る。「何か分かったか」

「リリアナ・エルンフェルトの評判が、想像以上に高まっています」フェリクスが報告書を差し出す。「冒険者ギルドからの大量発注に加え、一般市民からの依頼も急増している模様です」

 マグヌスの眉が険しくなった。

「しかも」フェリクスが続ける。「彼女の作る魔道具は、我々の『理の錬金術』とは根本的に異なるアプローチで作られているようです」

「どういうことだ」

「感情や意図といった、数値化できない要素を錬成に組み込んでいるのです。まさに、古い文献にある『情の錬金術』の復活かと」

 マグヌスの顔色が変わった。情の錬金術——それは、彼らが長年に渡って『非科学的』『非効率』として退けてきた古い思想だった。

「そんな古臭い迷信が、我々の正統な錬金術を脅かすというのか」

「市民の反応を見る限り、脅威になる可能性は十分にあります」フェリクスは慎重に言葉を選ぶ。「特に、生活に密着した魔道具の分野では」

 マグヌスは拳を握り締めた。

「秩序を乱す者は、相応の報いを受けねばならん」

 彼の瞳に、冷たい決意の光が宿った。

 *** 

 その頃、商業地区の一角にある『金獅子商会』リーフェンブルク支店では、支店長のゲルハルト・クラインが興味深そうに報告書を読んでいた。

「面白い玩具が流行っているな」

 彼の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。

「支店長」部下の一人が尋ねる。「この『クローバー工房』の件、どう対処いたしましょうか」

「対処?」ゲルハルトが笑い声を上げる。「逆だ。大いに利用させてもらおう」

 彼は報告書をパラパラと捲りながら続ける。

「この小娘の作る魔道具、なかなか良いアイディアが詰まっているではないか。特に、この『絆のコンパス』とやら。軍事的な応用も考えられる」

「まさか…」

「そうだ」ゲルハルトの目が輝く。「構造を分析し、我々の技術で量産化するのだ。もちろん、コストを大幅に削減してな」

 部下の表情が困惑に変わった。

「しかし、それは模倣では…」

「模倣?」ゲルハルトが鼻で笑う。「商売の世界に、そんな甘い考えは通用しない。良いアイディアは誰のものでもない。それを効率的に実現し、市場に送り出した者の勝利だ」

 彼は立ち上がると、窓から賑やかな商業地区を見渡した。

「心など不要。重要なのは、安く、大量に作れることだ。消費者が求めているのは、手頃な価格で手に入る便利な道具だからな」

 ゲルハルトは部下に指示を出す。

「早速、クローバー工房の製品を買い集めろ。構造を詳細に分析するのだ。そして、我々の工房で量産版の設計を始めろ」

「かしこまりました」

 部下が退室すると、ゲルハルトは一人、薄笑いを浮かべた。

「小さな工房の小娘風情が、金獅子商会に挑もうとは片腹痛い。ビジネスの現実というものを、思い知らせてやろう」

 夕日が商会の建物を赤く染める中、新たな脅威の準備が着々と進められていた。

 *** 

 その夜、クローバー工房では、一日の作業を終えた四人が夕食を共にしていた。

「今日だけで十件も新規の依頼が入ったのよ」エルミナが嬉しそうに報告する。「このペースが続けば、年内には街で一番の魔道具工房になれるかも」

「でも、忙しくなりすぎても困りますね」リリアナが少し心配そうに言う。「一つ一つ丁寧に作らないと、お客様に失礼ですから」

「そうだな」ヴォルフが頷く。「質を下げてまで量を追うのは、職人のやることじゃない」

 テオは黙って三人の会話を聞いていたが、やがて口を開いた。

「成功は素晴らしいことです。しかし、同時に新たな責任も生まれる」

 師匠の言葉に、三人が顔を上げる。

「これまでは小さな工房でしたが、これからは街の多くの人々が君たちを見ています。期待もするし、嫉妬もする。中には、君たちの成功を快く思わない者もいるでしょう」

 リリアナの表情が少し曇った。

「でも、怖がることはありません」テオが微笑む。「君たちには、真の技術と、仲間との絆がある。それがあれば、どんな困難も乗り越えられるはずです」

 その時、工房の扉を叩く音が響いた。

「こんな時間に?」

 エルミナが不思議そうに扉を開けると、そこには見覚えのない男性が立っていた。上質な服を着た中年の男性で、どこか威圧的な雰囲気を纏っている。

「失礼いたします。私、錬金術師ギルドの使いで参りました」

 男性は丁寧に頭を下げる。

「リリアナ・エルンフェルト様はいらっしゃいますでしょうか。ギルドマスターのマグヌス様が、お目にかかりたいとのことです」

 工房の空気が、一瞬で張り詰めた。

 テオの表情が険しくなり、リリアナは緊張で身体を強張らせる。ついに、避けて通れない時が来たのかもしれない。

 平和な日々の終わりを告げる使者が、工房の扉口に立っていた。

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