第18話:仕組まれた罠
夜が更けた錬金術師ギルドで、フェリクスは一人、師の執務室にいた。机の上には、リリアナの行動を記録した詳細な報告書が広げられている。
「花売りの少女に無償で魔道具を提供…」
フェリクスは冷笑を浮かべる。
「感情に流され、商売の基本すら理解していない愚か者め」
彼の手元には、街で密かに購入したリリアナの作品がいくつか置かれていた。その中でも、宿屋「せせらぎ亭」の亭主のために作られた『心を聞く椅子』に、彼は特に注目していた。
「なるほど、座る者の体格に合わせて形状が変化する仕組みか」
フェリクスは椅子の構造を詳細に分析していく。錬金術師としての彼の技術は確かに優秀で、リリアナの設計思想を読み解くことは難しくなかった。
「しかし、なんと非効率な」
彼の目には、リリアナの錬成法が回りくどく、無駄に複雑に映った。同じ効果を得るなら、もっと洗練された『理の錬金術』の手法があるはずだ。
「これなら、私の技術で改良版を作れる」
フェリクスの脳裏に、ある計画が浮かんだ。リリアナの評判を失墜させる、完璧な策が。
***
翌日の昼下がり、宿屋「せせらぎ亭」に一人の青年が現れた。整った顔立ちで上品な服装、胸には錬金術師ギルドの徽章が光っている。
「いらっしゃいませ」
女将のクララが愛想良く迎える。
「私、錬金術師ギルドのフェリクスと申します」
フェリクスは丁寧に頭を下げる。
「実は、こちらでクローバー工房の魔道具をお使いと伺いまして」
「ああ、リリアナちゃんの椅子のことね」クララが嬉しそうに答える。「おかげで主人の腰痛がずいぶん楽になったのよ」
「それは素晴らしいことです」フェリクスは営業用の笑顔を浮かべる。「実は、我々ギルドでも生活魔道具の研究を進めておりまして、既存の製品をさらに改良できないかと考えているのです」
クララの表情が興味深そうに変わった。
「改良?」
「はい」フェリクスは懐から小さな設計図を取り出す。「例えば、現在の椅子の効果をそのままに、価格を半分以下に抑えることも可能です」
クララの目が輝いた。商売人としての本能が反応したのだ。
「それは本当ですか?」
「ええ。『理の錬金術』の効率的な手法を用いれば、無駄な工程を大幅に削減できます」
フェリクスは説明を続ける。
「リリアナさんの技術は確かに優秀ですが、まだ発展途上の部分があります。我々が培ってきた伝統的な技法で補完すれば、より完璧な製品が作れるのです」
クララは迷った。リリアナには恩があるし、あの娘の一生懸命な姿を見ていると、裏切るような真似はしたくない。
しかし、商売のことを考えると…
「でも、リリアナちゃんには悪いし…」
「もちろん、彼女の功績を否定するつもりはありません」フェリクスは巧みに説得する。「むしろ、彼女のアイディアをより多くの人に届けるお手伝いをしたいのです」
そして、決定的な一言を付け加えた。
「費用は一切いただきません。試作品として、無償で提供させていただきます」
***
三日後の夕方、フェリクスは約束通り新しい椅子を持参した。外見は元の『心を聞く椅子』とほとんど同じだったが、内部構造は大きく異なっていた。
「リリアナさんの設計を基に、最新の理論で最適化しました」
フェリクスが自信たっぷりに説明する。
「座り心地も向上しているはずです。ぜひ、ご主人にお試しいただければ」
クララの夫であるハルトマンは、新しい椅子に恐る恐る腰を下ろした。
「おお…確かに、形が変わるな」
椅子は彼の体型に合わせて変化する。しかし、リリアナの作った椅子とは何かが違っていた。
「少し硬い気もするが…まあ、慣れれば大丈夫だろう」
ハルトマンは特に問題を感じなかった。少なくとも、最初の数時間は。
「素晴らしい出来栄えです」フェリクスが満足そうに頷く。「一週間ほどお使いいただいて、何か問題があればすぐにご連絡ください」
彼はそう言い残して宿屋を後にした。唇の端に、ほくそ笑むような表情を浮かべながら。
***
一週間後の朝、クローバー工房に一本の手紙が届いた。差出人は「せせらぎ亭」のクララだった。
「何でしょうね」
エルミナが手紙を受け取りながら首をかしげる。
「いつもなら直接来てくださるのに」
リリアナは嫌な予感を覚えながら、手紙を開封した。しかし、その内容を読んだ瞬間、彼女の顔は真っ青になった。
『リリアナさんへ
いつもお世話になっております。実は、あなたに作っていただいた椅子の件でお話があります。
主人が椅子を使い続けた結果、かえって腰痛が悪化してしまいました。今朝は起き上がることもできないほどです。
医者に診てもらったところ、椅子の形状調整に問題があるとのことでした。長時間使用することで、腰椎に負担がかかってしまったようです。
大変申し上げにくいのですが、椅子に欠陥があったのではないでしょうか。製作者として、責任を取っていただけないでしょうか。
せせらぎ亭 クララ』
リリアナの手から手紙がひらりと落ちた。
「リリアナ?どうしたの?」
エルミナが心配そうに駆け寄る。
「私の…私の魔道具で、人が…」
リリアナの声は震えていた。これまで、自分の作った道具で誰かを傷つけるなど、考えたこともなかった。
「きっと何かの間違いよ」エルミナが慰める。「あなたの技術に問題があるはずない」
しかし、リリアナの心は既に深い絶望に支配されていた。
***
その頃、フェリクスは錬金術師ギルドで同僚たちに得意げに話していた。
「やはり、素人の作った道具は信用できませんね」
彼は偽りの心配を装いながら言う。
「クローバー工房の椅子を使った客が腰を痛めたそうです。設計に根本的な欠陥があったのでしょう」
「それは大変だ」
「我々が心配していた通りですね」
同僚たちの間で、リリアナへの批判的な声が上がり始めた。
フェリクスは内心でほくそ笑んでいた。自分が作った『改良版』の椅子には、意図的に欠陥を仕込んでおいたのだ。使用者の体型を読み取る機能は確かに動作するが、長時間使用すると逆に身体に負担をかける設計になっている。
そして、責任はすべてリリアナの『欠陥設計』になすりつけられる。完璧な計画だった。
「師匠にも報告しておきましょう」
フェリクスは立ち上がる。マグヌスがこの報告を聞いたら、さぞ満足することだろう。
彼の頭の中には、リリアナが失墜していく様子が鮮明に浮かんでいた。そして、自分こそが真の錬金術師として認められる未来を夢見ていた。
***
工房では、リリアナが椅子の設計図を何度も見直していた。
「どこが間違っていたんでしょう…」
彼女の目に涙が浮かんでいる。
「どこに欠陥があったのか、全然分からない」
ヴォルフとエルミナは、何と言葉をかけてよいのか分からずにいた。
その時、テオが静かに口を開いた。
「リリアナ」
「はい…」
「君は、君の作った椅子を信じるかね?」
師匠の問いかけに、リリアナは戸惑った。
「でも、現実に人が傷ついて…」
「それは分かっている」テオは穏やかに続ける。「しかし、君がその椅子を作る時、どんな想いを込めたか。どれほど丁寧に、相手のことを考えて設計したか。それを思い出してごらんなさい」
リリアナは椅子を作った時のことを思い返した。クララの夫の体型を細かく分析し、最も楽になる角度を何度も計算し直し、温かな想いを込めて錬成した…。
「私は…信じています」
リリアナの声に、かすかな力が戻った。
「私の椅子は、間違っていません」
初めての、揺るぎない自己肯定の言葉だった。
しかし、その確信を証明するための戦いは、これから始まろうとしていた。
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