第13話:ヴォルフの過去と父親の影

 ローガンが去った後の工房は、重い空気に包まれていた。リリアナは作業台に広げられた素材リストを前に、途方に暮れている。

「雷鳥の羽根だけで金貨三十枚…地竜の鱗に至っては金貨五十枚」

 エルミナが計算しながら呟く。

「全部合わせると金貨二百枚は下らないわね。うちの全財産をはたいても、半分にも届かない」

 リリアナの肩が小さく震えた。せっかく冒険者ギルドという新しい分野への道筋が見えたのに、資金という現実の壁が立ちはだかっている。

「あの…ヴォルフさん」

 リリアナは隣の鍛冶場で作業を続けているヴォルフに声をかけた。彼は黙々と鉄を打っており、規則正しいハンマーの音が工房に響いている。

「何だ」

 ヴォルフは手を止めずに答える。

「もしよろしければ、相談があるのですが」

「手が空いてから聞く」

 そっけない返事だったが、リリアナはヴォルフなりの優しさを感じ取っていた。彼は仕事を中途半端にすることを嫌う職人だった。だからこそ、どんな繊細な要求にも応えてくれるのだ。

 しばらくして、ヴォルフは作業を終えると手拭いで汗を拭い、リリアナの元にやってきた。

「それで、何の相談だ」

 リリアナは素材リストを差し出す。ヴォルフはそれを受け取ると、一つ一つの項目に目を通していく。しかし、リストを読み進むにつれて、彼の表情が次第に険しくなっていった。

「これは…」

 ヴォルフの声が、かすかに震えた。

 *** 

「どうかしましたか?」

 リリアナはヴォルフの様子の変化に気づく。彼の顔色が明らかに悪くなっていた。

「いや、何でもない」

 ヴォルフは素材リストを乱暴に作業台に置く。しかし、その目は宙を見つめており、何か遠い過去を思い返しているようだった。

「雷鳥の羽根…地竜の鱗…」彼が呟く。「懐かしい名前だな」

「ご存知なんですか?」

「知ってるも何も…」ヴォルフは苦笑いを浮かべる。「親父が生前、よく扱っていた素材だからな」

 リリアナは息を呑んだ。ヴォルフの父親についての話は、これまでほとんど聞いたことがなかった。

「お父様も鍛冶師だったのですか?」

「ああ」ヴォルフの声に、複雑な感情が混じる。「それも、この街では知らない奴はいないくらい有名な」

 エルミナが興味深そうに身を乗り出す。

「もしかして、『鋼鉄のガルフ』の息子さん?」

 ヴォルフの表情が一瞬、強張った。

「知ってるのか」

「当然よ!」エルミナが興奮気味に言う。「ガルフ・アイゼンは伝説的な鍛冶師じゃない。王族や英雄たちが使う武器を数多く手がけて、『千人斬りの剣』を作ったとか、『竜殺しの槍』を鍛えたとか…」

「やめろ」

 ヴォルフの低い声が、エルミナの言葉を遮った。

「すみません…」エルミナが慌てて謝る。

 工房に気まずい沈黙が流れた。リリアナは、ヴォルフの表情に深い影が差しているのを見て、胸が痛んだ。

 *** 

「親父は確かに偉大な鍛冶師だった」

 ヴォルフは重い口を開いた。

「俺が物心ついた頃から、工房には貴族や冒険者たちが頻繁に出入りしていた。みんな、ガルフ・アイゼンの作る武器を求めてやってきた」

 彼の視線は遠くを見つめている。

「親父の作る剣は、まるで生きているかのようだった。手に取っただけで、その武器の『心』が分かる。どんな戦いを経験し、どんな想いを込められたか。それが伝わってくるんだ」

 リリアナは、ヴォルフの言葉に聞き入った。それは、彼女が錬金術で感じている『素材の声』と似ているように思えた。

「でも、俺には無理だった」ヴォルフの拳が、ぎゅっと握られる。「同じように鉄を打っても、同じ技術を使っても、親父のような『魂のこもった』武器は作れなかった」

「そんなことは…」

「ないことはない」ヴォルフは自嘲気味に笑う。「親父が亡くなってから、『ガルフの息子』として期待されることが多くなった。でも、俺の作る武器は、どれも『普通』だった。技術的には問題ない。でも、親父のような『特別さ』がなかった」

 リリアナは、ヴォルフの苦しみが手に取るように分かった。偉大な人の子として生まれることの重圧。常に比較され、期待され、そして失望される辛さ。

「それで、親父が好んで使っていた高級素材は、極力避けるようになった」ヴォルフが続ける。「雷鳥の羽根や地竜の鱗を見ると、親父の作品を思い出してしまう。そして、自分の未熟さを突きつけられるような気がして…」

 ヴォルフは素材リストをもう一度手に取る。

「だから、これらの素材の調達は無理だ。知り合いの商人はいるが、俺にはそれを頼む資格がない」

 *** 

 リリアナは、師匠の教えを思い出した。

『まず相手の心を聞く』

 ヴォルフが本当に苦しんでいるのは、素材を扱えないことではない。父親を超えられない自分への失望と、その影から逃れられない現実だった。

「ヴォルフさん」リリアナは静かに言う。「私、あなたの作る部品をいつも見ていますが、とても美しいと思います」

「は?」ヴォルフが眉をひそめる。

「繊細で、正確で、でも温かみがある。私が設計した通りに作ってくださるだけでなく、いつも『もう少し』改良してくださいますよね」

 確かに、ヴォルフが加工した部品は、リリアナの期待を上回ることが多かった。微妙な重量バランスの調整や、手触りの改善など、彼なりの配慮が随所に見られた。

「それは…単に職人として当然のことをしているだけだ」

「でも、お父様とは違う『特別さ』があります」リリアナは続ける。「戦いのための武器ではなく、人の暮らしを豊かにするための道具を作る『特別さ』が」

 ヴォルフの表情が微妙に変わった。

「お前の変な道具を作っていると…」彼が呟く。「時々、親父のことを思い出すんだ」

「え?」

「親父は戦いの道具ばかり作っていたが、たまに俺のために玩具を作ってくれた。木馬とか、小さな剣とか。それを作っている時の親父は、いつもとは違う顔をしていた」

 ヴォルフの瞳に、遠い記憶の光が宿る。

「優しくて、楽しそうで…そういう表情をしていた」

 彼は立ち上がると、工房の奥へと向かった。

「ちょっと待ってろ」

 *** 

 しばらくして、ヴォルフは埃をかぶった木箱を抱えて戻ってきた。

「親父の遺品だ」

 箱を開けると、中から様々な素材が現れた。美しく輝く羽根、虹色に光る鱗、透き通った石の粉末。それはまさに、素材リストに書かれていたものたちだった。

「親父が生前、特別な依頼のために取り寄せていた素材だ。結局使わずに終わったものもある」

 リリアナは息を呑んだ。目の前にあるのは、金貨数百枚に相当する貴重な素材だった。

「でも、これは…」

「貸しにしとけよ」ヴォルフは照れたように頭を掻く。「どうせ、俺が持っていても宝の持ち腐れだ。お前なら、きっと親父も喜ぶような使い方をしてくれるだろう」

 リリアナの目に涙が浮かんだ。

「ありがとうございます…本当に」

「礼なんていらん」ヴォルフは素っ気なく言うが、その横顔は少しだけ晴れやかだった。「ただし、条件がある」

「はい、何でも」

「俺にも、その『絆のコンパス』とやらを作らせろ。部品だけじゃなく、最後まで関わらせてくれ」

 リリアナは嬉しそうに頷いた。

「お父様も、きっと見守ってくださっています」

「そうだな…」ヴォルフは素材の入った箱を見つめる。「親父を超えることはできないかもしれないが、少なくとも親父とは違う道を歩むことはできる」

 夕日が工房を染める中、三人は新たな挑戦への決意を新たにしていた。ヴォルフが父親の影から一歩踏み出すための、重要な決断が下された瞬間だった。

 そして、リリアナは改めて実感していた。一人ではできないことも、仲間と力を合わせれば必ず道は開ける。師匠の教える『共に豊かになる道』が、また一つ形になろうとしていた。

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