第12話:冒険者ギルドの依頼
王都への出張から戻ったテオを迎えた工房は、いつにも増して活気に満ちていた。薬草商からの依頼も無事に完了し、エリオットから得た知識のおかげで、関節痛を和らげる軟膏が効果的に作れる魔道具が完成したのだ。
「お帰りなさい、師匠」
リリアナは嬉しそうに微笑む。テオの不在中に起きた出来事——図書館での出会いや古代工房の話——を報告しようと口を開きかけた時、工房の扉を勢いよく叩く音が響いた。
「おい、クローバー工房とやら、いるか!」
野太い声と共に扉が開かれ、がっしりとした体格の男が現れる。身長は人間の平均よりもやや低いが、その存在感は圧倒的だった。顔には古い戦傷が刻まれ、黒い髭は丁寧に手入れされている。典型的なドワーフ族の風貌だが、その鋭い眼光には、数多の修羅場をくぐり抜けてきた者だけが持つ威圧感があった。
「あ、あの…」
リリアナは緊張で声が上ずる。
「俺はローガン・グリム。冒険者ギルドのマスターをやっている」
男は無遠慮に工房を見回しながら自己紹介する。その視線は値踏みするように鋭く、リリアナが作った魔道具の一つ一つを品定めしているようだった。
「冒険者ギルド…」
リリアナは息を呑む。冒険者ギルドといえば、この街の最も実力主義的な組織の一つだった。魔物討伐から護衛任務まで、危険と隣り合わせの仕事を請け負う彼らは、命を預けられる道具以外には見向きもしないと聞く。
「お前がリリアナ・エルンフェルトか」ローガンの視線がリリアナに向けられる。「噂は聞いているぞ。パン屋の温度調整器だの、腰痛持ちの椅子だの、随分と生ぬるい商売をしているらしいな」
その言葉に、リリアナの頬がかっと熱くなる。確かに彼女の作る魔道具は、生活を便利にするものばかりで、生死に関わるような緊迫した場面で使われるものではなかった。
「でも、それがいけないことでしょうか」
思わず口をついて出た言葉に、ローガンの眉が上がる。
「ほう?」
「私は…私の錬金術は、人々の日常を少しでも幸せにしたくて」
「幸せ、か」ローガンは鼻で笑う。「綺麗事だな。だが、俺の仲間たちの命がかかった時に、その『幸せ』とやらが何の役に立つ?」
リリアナは反論の言葉を見つけられずにいた。
***
「まあまあ、ローガンさん」
エルミナが間に入る。彼女はローガンの厳しい物言いにも臆することなく、商人らしい愛想の良い笑顔を浮かべていた。
「お客様を立ったままお話しするのも何ですし、まずはお茶でもいかがですか?」
「茶はいらん」ローガンは手を振る。「時間は貴重だ。単刀直入に用件を話そう」
彼はふところから一枚の紙を取り出し、作業台の上に広げた。それは森の地図で、所々に印がつけられている。
「これは街の北西にあるヴォルフスハイム森の地図だ。最近、この一帯で魔物の活動が活発になっている」
ローガンの指が地図上を滑る。
「俺たちは定期的に斥候を派遣して情報収集をしているのだが、問題がある。森が深く、視界が悪いため、三人一組のチームがはぐれてしまうことが度々起きるのだ」
「はぐれてしまうと…」
「最悪の場合、死ぬ」ローガンの声は淡々としていたが、その重みは十分すぎるほど伝わってきた。「迷子になれば魔物の餌食だし、仲間を探して音を立てれば逆に魔物を呼び寄せる。かといって、大声で呼び合うわけにもいかん」
リリアナは地図を見つめながら、森で道に迷った冒険者たちの心境を想像した。仲間の安否も分からず、暗い森の中で一人きり。その恐怖はいかばかりだろう。
「それで、お互いの位置を知ることのできる道具が必要だと考えた」ローガンは続ける。「だが、光るものは魔物に発見される。音を出すものも同様だ。さりとて、魔法の類いでは範囲が限られる」
「なるほど…」
リリアナの頭の中で、様々な可能性が駆け巡る。確かに難しい条件だった。目立たず、しかし確実に仲間の位置を把握できる方法。
「で、お前の『生ぬるい』錬金術で、何か作れるのか?」
ローガンの挑戦的な視線が、リリアナを射抜く。しかし、その言葉に込められた意味を、リリアナはようやく理解し始めていた。これは単なる侮辱ではない。彼なりの試練なのだ。
***
リリアナは深く息を吸い込み、師匠の教えを思い出した。
『まず相手の心を聞く。相手の言葉の裏にある、本当の願いや悩みを深く理解しようと努めること』
ローガンが本当に求めているのは何だろうか。確かに実用的な道具も必要だが、それ以上に大切なものがあるのではないか。
「ローガンさん」リリアナは顔を上げる。「冒険者の方々にとって、一番大切なものは何でしょうか」
「は?」ローガンが眉をひそめる。「そんなこと、決まってるだろう。命だ」
「でも、命を支えているのは?」
「…何が言いたい」
「仲間ですよね」リリアナの声に、確信が宿る。「一人では生き延びられない状況でも、仲間がいれば希望を持てる。お互いを信じ合い、支え合うからこそ、危険な任務を遂行できる」
ローガンの表情が変わった。
「つまり、必要なのは単に位置を知らせる道具ではありません」リリアナは続ける。「仲間との『絆』を感じられる道具です」
「絆?」
「はい」リリアナは作業台の上にある素材を手に取る。「お互いが持つ道具が、微かに共鳴する。心臓の鼓動のように、静かに、でも確実に。それによって、『仲間がそこにいる』ということを実感できる」
リリアナの頭の中で、設計図が形作られていく。
「そして、本当に危険な時——例えば、魔物に襲われた時や、崖から落ちそうになった時——その時だけ、道具がより強く光り、音を発する。仲間に助けを求める合図として」
「ほう…」ローガンの瞳に、興味の色が浮かんだ。
「平常時は心地よい共鳴で安心感を与え、緊急時は明確な救難信号を送る。名前は…『絆のコンパス』はいかがでしょうか」
工房に静寂が訪れた。ローガンは腕組みをして、リリアナの提案を吟味している。エルミナとヴォルフも、固唾を飲んで見守っていた。
やがて、ローガンの口角がわずかに上がった。
「面白い」
その一言に、リリアナの心臓が跳ね上がる。
「単なる位置把握装置ではなく、『絆』を形にする道具、か。確かに、そういう発想は俺たちにはなかった」
ローガンは地図を巻き取りながら続ける。
「冒険者どもは、どいつもこいつも一匹狼気取りで、『仲間』だの『絆』だのという言葉を嫌がる。だが、本当に危険な場面で頼りになるのは、やはり信頼できる仲間だ」
彼の声に、経験に裏打ちされた重みがあった。
「よし、その『絆のコンパス』とやら、作ってもらおう」
リリアナの顔が輝く。
「だが」ローガンは懐から別の紙を取り出す。「素材はこちらで指定させてもらう」
***
リリアナが受け取った紙を見た瞬間、その表情が凍り付いた。そこには見たことのない素材名がずらりと並んでいる。
『雷鳥の羽根』『地竜の鱗』『月光石の粉末』『古代樹の樹液』
どれも魔物から採取される希少な素材ばかりで、その価値は…
「これは…」エルミナが紙を覗き込んで絶句する。「全部合わせたら、うちの工房の一年分の売上を軽く超えるわね」
「当然だ」ローガンは当たり前のように言う。「冒険者の命を預ける道具だぞ。材料をケチってもらっては困る」
リリアナの心が沈む。確かにローガンの言うことは正しい。命に関わる道具に、安価な素材を使うわけにはいかない。しかし、これらの素材を揃える資金など、今の彼女にはとてもない。
「あの…分割払いとか」
「駄目だ」ローガンは首を横に振る。「前金で全額だ。それが冒険者ギルドのやり方だ」
リリアナは項垂れる。せっかく良いアイディアが浮かんだのに、資金不足でそれを実現できないなんて。
「ただし」ローガンが付け加える。「素材の調達方法については、こちらは関知しない。借金しようが、どこかから援助を受けようが、それはお前の問題だ」
その時、テオが静かに口を開いた。
「ローガン殿」
「おお、テオ爺さんじゃないか」ローガンの態度が少し柔らかくなる。「元気そうで何よりだ」
「この依頼、興味深いですな」テオの瞳に、深い光が宿る。「リリアナの提案した『絆のコンパス』、なかなか面白い発想です」
「お前もそう思うか」
「ええ。そして、素材の件ですが…」
テオはリリアナを見つめる。
「これも良い勉強になるでしょう。君自身の力で、解決策を見つけてごらんなさい」
リリアナは師匠の言葉に込められた意味を考えた。きっと何か方法があるはずだ。一人では無理でも…。
彼女は、最近仲良くなったヴォルフの顔を思い浮かべた。そして、街で出会った職人たちのことも。もしかすると、今こそ「力を合わせ、新たな価値を生む」時なのかもしれない。
リリアナは決意を新たに、ローガンを見上げた。
「分かりました。必ず素材を揃えて見せます」
ローガンは満足そうに頷く。
「期待しているぞ、お嬢さん。冒険者たちの命を、お前の『絆』に託そう」
工房を出ていくローガンの背中を見送りながら、リリアナは新たな挑戦への決意を胸に抱いていた。今度の依頼は、これまでとは全く違う重みを持っている。人の命がかかっているのだ。
そして同時に、自分の錬金術が新たな分野で試される機会でもあった。生活の便利さだけでなく、生死を分ける局面で人々を支える道具を作ること。それは、一流の錬金術師への重要な一歩となるはずだった。
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