第1話 黄昏れの終わり

 あれから5年が経った。厄災が起きたあの日から、世界が灰色に染まってしまった。



「………バルさん、待っててね。僕が代わりに、この世界を取り返すよ。」



 魔術を使う為には呪録典が必要だ。


 そして、世界に13冊ある呪録典のうちの7つが暴走し、持ち主は英雄から魔王へと変わってしまった。


 暴走の原因は『呪録典 第六章』。



 第六章は、精神干渉の魔術を取り纏めた呪録典で、唯一他の魔術師を暴走させられる力と考えられる。



 そして、第六章の所有者が何者かに暗殺され、呪録典を奪われた。


 他の魔術師も洗脳で無力化された後、悪意ある集団に殺され、呪録典を奪われた可能性が高い。


–––––つまり現在、半分以上の呪録典が悪人の手に渡っている。



 僕はそれを奪い返す為に今、魔王の1人・第八章の持ち主が住む帝国に来ている。



「詠唱 省略、第二章 展開。」



 バルさんが僕にくれた呪録典は、第二章。


 冷気を支配する第八章とは最悪にして最高の相性を誇る、炎を操る呪録典だ。




 足元に炎が広がり、背後に巨大な赤色の円環が浮遊する。


 少し経って足元の火が消えると、円環は小さく縮まって、僕の拳に焼印として貼り付いた。




 僕が呪録典を持っている事は、敵に知られてはいけない。魔王達には、バルが呪録典を持っていると思い込ませたいからだ。


 呪録典を守る為とはいえ、バルを危険に晒す作戦に僕は反対していた。でも、呪録典を守る事は世界を守る事でもある。


 バルだって魔術は使えなくとも、魔法が使える。全くの無防備という訳でもない。



 最初から、僕のやるべき事は分かっていた。



 第二章の所有者である事、魔術の使い手である事は隠す。その上で魔王を倒し、呪録典を奪い返す。それだけだ。



「そう……それだけ。それだけだけど……。」




 腹が減っては戦はできぬ。ちょっとくらい、旅先でご当地のスイーツを食べたってバチは当たらないだろう。


「これがクレープ…。人生初のクレープだ…。」



 駅から出た僕が 1番最初に 足を踏み入れたのは、スイーツ店だった。




 不思議な事に この世界に来てからというもの、生前の症状が綺麗さっぱり消えているのだ。


 そのおかげで、以前は滅多に食べられなかったスイーツをモシャモシャ食べれるようになった。


 だからと言って食べ過ぎてしまえば、前世のような苦しみをもう一度味わう事になるだろう。



「美味しい…。ぁ、目から涙が…。」



 クレープを食べながら歩いていると、何処からか黒猫が飛び出してきた。


 僕のクレープを奪い取り、颯爽と裏路地へ走り去る。


「お腹空いてたのかな…?」



(……いや、猫ってクレープなんか食べないよね。)



「【炎翼の蒼虞そうぐ】。」



 掌の焼印が赤く輝いたのを確認すると、僕も裏路地へと飛び込んだ。


「僕のクレープ返せ!」

「ニャー!?」



 流石の小動物は、逃げ足が恐ろしく速い。魔術無しじゃ追いつけなかっただろう。


 だが、所詮はただの動物。袋小路へ追い詰めるくらい、僕の手に掛かればお茶の子さいさいだ。


 

 前足の両脇から掴み上げて、クレープを咥えた黒猫を見つめる。


「クチャ、クチャ…。」

「食べてる!?」



 持ち上げられて胴体が伸びている猫を、睨もうにも睨めずに見つめてしまう。

 この状況で尚、食べる事をやめない猫。神経が図太過ぎる。


「………。」



 両手からすり抜けようとする猫を、理由もなく逃すまいと押さえる僕。


「フググゥ…。」

「全くもう…。」



 しばらくすると、突然猫から煙が出始めた。全身からモクモクと、白い煙が湧き出てくる。



 煙の中で猫の感触が変化して、体毛が消えていく。どんどんと猫が重くなって、その肌はツルツルになっていく。


「な、何だこの猫……!?」

「へふぉられーよッ!!」

「猫が喋った!?」



 白い煙が消え去った後には、黒髪の少女の姿がそこにあった。猫じゃなくて、女の子。


 女の子はクレープを右手に持つと、口を開いた。


「だから、猫じゃないってば!」

「猫じゃない女の子が、喋った…。」


「ねぇ、いつまでアタシの脇触ってんの?」




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 彼女の話を整理すると、こういう事だ。


 彼女は魔法における《制獣 術式》の使い手らしい。その術式で猫に変身して、通行人から食べ物を奪って暮らしているのだとか。


 そんな生活を送っているのは、言うまでもなく財産と職が無いからだ。



 身の上話を終えた少女は、金色の瞳を潤わせながら 僕にしがみついてくる。



「見逃してよ…。アタシにはこうするしか生きる術が無いの。」

「……もし、僕が他の生き方を教えたら?」


「…え?」

「僕が君に、健全な仕事と生活を与えたら、君は真っ当に生きてくれる?」



 まるで奇跡でも見たかのように、少女は目を見開いた。

 まじまじと僕を見つめて、瞳をキラキラと輝かせる。



「……そ、そんな事、出来るの?」

「出来るよ。でもその代わりに、ルールは守ってもらう。」


「わ、分かったよ。アタシ、真っ当に生きてみたい!」

「契約成立だね。……僕はショウゴ。旅行人だ。」


「…キアロ。」

「宜しく、キアロ。」





 最初にキアロを連れて来たのは、銭湯だ。それはもう湿っぽくて臭かったので。着替えはひとまず、僕の予備を貸す事にした。



「へ、変じゃない…?」

「うん、ちょっと変かな。でも顔が良いから、別に問題ないと思うよ。」


「そ、そう…。」




 キアロは頬を赤らめて、忙しなく両手の指先を絡め合わせている。


(チョロい…。)



「お腹空いてない? 僕、ご飯食べたいんだけど…。良かったら、一緒にどうかな。」

「うん。食べたい。」





 キアロに5年前の自分を重ねた僕には、正直、かなり辟易している。

 それでも恩着せがましい僕の良心は、あの日のバルと同じ事を 僕にさせようとした。



「……ごめんね、こんな傲慢な僕に付き合わせちゃって。」

「何処が…? ショウゴは優しいよ。」



「…そんな風に思ってくれるんだ。キアロの方こそ優しいね。」



 少なくとも僕にとって、僕は『優しい人』とは程遠い。だけど、わざわざ根暗な話をする必要はない。


 否定も肯定もしなくていい。僕を善人だと思ってくれるなら、それでも構わない。



「ねぇショウゴ。さっき言ってたルールって、何なの?」


「話すの忘れてた……。えっと。ルールは3つだけだから、絶対に守ってね。」

「うん。」


「一つ、物を盗まない事。一つ、物を奪わない事。一つ、僕の命令に絶対に従う事。…良いかな?」


「盗まない、奪わない、ショウゴの命令に絶対従う。分かった。」

「よし。」




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 食事を終えた僕とキアロは、ホテルの一室に入った。



「改めて言うけど、僕は旅行人なんだ。足を落ち着かせる事は多くないと思う。

 それに関しては、嫌でも我慢してもらう事になるけど………いいかな?」


「うん、いいよ。アタシも丁度、この町から離れようと思ってたんだ。」

「それは良かった。」



 僕はテーブルの前に立つと、机上に大きな地図を広げた。少し黄色くなった紙の上に、青いインクで幾つかの大陸が記されている。



「術式解放。」



 携帯端末の画面ズームインと同じ要領で、親指と人差し指で地図を拡大する。


「なにそれ!?」

「術式を刻印された地図。手に入れるのには結構苦労したんだよ。」


「すごい…。」

「……それで、ここが僕達が今いる町だ。」



 僕が指をさすと、地図上の町全体が淡い光を放った。続けて、今度は『ロンドレッサ』と記された都市を指す。



「そして、この都市が僕の目指す中継地点。」

「………ここって、まさか。」


「魔王の支配下にある都市だよ。まずはここで、呪録典 第八章を奪う。」



「ちょっと待ってよ!? ショウゴ、頭おかしいんじゃない?」


 人の異常を本気で疑う眼差しで、キアロは僕を凝視した。だが、僕は異常でもなければ狂人でもない。


 それを知る由もないキアロは、まくし立てるように僕の言葉を確認する。



「魔王って、魔術師を殺して呪録典を奪ったっていう最強の……あの魔王に歯向かおうとしてるの!?」



「最強なんかじゃないよ。ただの姑息な犯罪者だ。」



 陰湿な暗殺や奪略の果てに呪録典を手にした所で、そこから魔術を引き出すのは簡単じゃない。


 旧時代の言語で構成された呪録典を 素人が読むのはそもそも不可能だし、内容自体も数学、物理、化学、魔法等などに精通していなければ、術式を理解できない。



 術式を理解する事で初めて『習得した』と言える魔術において、呪録典とは『初心者に教える気が全くない教科書』のような物だ。


 その点で言えば、僕は先代の魔術師から手取り足取り懇切丁寧に魔術について教わっている。


 即ち、僕は魔術師バルの力をある程度継承している。対する『魔王』は、魔術を使えてせいぜい一つか二つ。


 力の差は歴然だろう。











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*呪録典*《遺志抱く少年 編》 へろあろるふ @bkuhn

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