第3話 繁殖指導員の日常
この世界に転生してから、かれこれ二十年近くが経つ。1年の長さは元の世界よりも少し短いようだけど、成人として扱われる年齢だ。職業もちゃんと持っている。とはいえ、派手なものではない。雇い主の先生と一緒に、主に家畜の繁殖を手伝う仕事だ。言ってみれば、獣医の助手みたいなものだが、この世界では「繁殖指導員補佐」というもっともらしい肩書きがついている。
朝一番、出勤早々に先生から言われた。
「今日も頼むぞ。北の放牧地で発情の兆候があるらしい」
「はいはい。それじゃあさっそくのぞき見しますか」
僕は父親から就職祝いにもらった望遠鏡で、広大な放牧地を監視する。地平線がはるかに霞むこの世界は、どこまでも平らだ。空の色さえ、地球のそれよりちょっと薄く見える。
「先生、向こうの方でおっぱじめてる2頭がいます。これなら何もしないでも繁殖するかも」
放牧地の端で見ていた僕は、やってきた先生に望遠鏡をわたす。牛に似た2頭は、がっつりと交尾中だ。動物の交尾についてはかなり詳しくなってしまったので間違いないだろう。
「君はあいかわらず下品だな。だがちょうどいい。お楽しみのところを邪魔するのは気の毒だが、子種をもらいに行くか」
どっちが下品なんだか。
先生と一緒に放牧地の奥に到着すると、ちょうど2頭がラストスパート中だった。
「そろそろイキそうだ。用意を」
「了解。でも先生も下品ですよね。あ、ちょっと待って、まだ…おっとっと!」
白い液体が勢いよくあふれ出し、僕は慌てて採取用の容器を構える。滑り込みセーフ。手際の良さは、もう一人前といっていい。この匂いからすれば、オス型の体液の可能性が高い。
「よしよし、これをメス型にぶちこんでやれば……」
「だから先生、下品ですってば」
「いや、獣医は時に直言が必要なんだ。遠回しに言ってたらタイミング逃すだろう」
僕は苦笑いしながら、仕事の詳しい内容は家族には話せないなと思った。。
僕たちは採取した体液をラベル付けし、候補の個体の元へ向かう。すでに一度出産経験がある個体を選ぶのが基本だ。そういう個体は再び出産できる確率が高い、というのが先生の経験則。もっとも、科学的な裏付けは乏しい。まだまだこの世界では「繁殖学」は未成熟な学問なのだ。
僕と先生は、出産経験のある個体を「メス型」と呼んでいる。これは魚類のオスメスから用語を借りている。ちなみに母乳が出るかどうかだと、出産しない個体も出すことがあるので判別に適さない。「オス型」については明確な判別法は確立されていない。経験によって体液の匂いである程度の推定ができる程度だ。
とはいえ、繁殖率を少しでも上げるためには、現場での泥臭い試行錯誤が欠かせない。人間もそうだけど、出産率の低下はこの世界全体で深刻な課題となっている。
僕たちは今日も、ひとつひとつ命の火を灯す手助けをしていく。
独特のにおいのある白い液体が、明日の希望になるなら――。
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