芥 Ⅴ ー フェアリーテール編 ー
青山 翠雲
第1話:お伽話
お伽話と一口に言っても、いろいろある。そもそも伽とは、人の退屈を慰めるため語り合う話という意であり、 転じて、子供に語って聞かせるための「桃太郎」や「かちかち山」などの昔話や童話の類となり、ひいては、現実離れした空想的な話という意味合いをも持つように至った。「キミの意見提言はそりゃ、お伽話だな」などと一蹴されるような時に用いられる。また「今宵の伽を申し付ける」などの言葉からも察せられるようにピロートークの意味合いまで持つ。天下人というのは、余程、暇を持て余していたのか、それとも、諸国の話を熱心に聞き入ったのか、室町時代後期の戦乱の世の大名たちの間でお伽衆という役どころがもてはやされるようになり、通常、戦国大名には3~10名程度のお伽衆が侍ることが多かったようであるが、太閤秀吉にあっては、お伽衆なる身分・扶持持ちがなんと800人もいたというのだから凄い。先にも、述べたように、伽には人の退屈や慰めの相手を務めるとの意から転じて、閨房の相手をするという意味にも派生しており、そういった意味では、江戸時代にできた「大奥」などは、「巨大お伽話部屋」と言い換えても過言ではなかろう。家康などの時代にあっては、ラジオやテレビもインターネットもないわけだから、夜は長い。本田正信のように、諸国の事情に通じた参謀との謀議を謀ることもあったと思うが、江戸時代後期にあっては、将軍は完全にお世継ぎ生産マシーンとしての機能しか求められなくなったがために、田沼意次や松平定信、井伊直弼などの大老が政の実務の執政を司るというようになる。
本『芥シリーズ』も本作で5作目となるが、そもそも、本作の筆を執った理由は、各国の思惑渦巻く「ウクライナへのロシアによる侵略戦争の平和解決」を願い、また世間を騒がす痴話噺、量子力学や相対性理論から生まれた核による抑止論に支えられた世界、主食である米騒動を盛り込みながら、物語を紡いできた。時に国際情勢や物理学の解説で小難しくなりそうな時に、エロスの要素を盛り込むことで、みなさんが離脱しないよう努めてきた本作であるが、時に品を損ねる作風になってしまったこともあり、本作をもってグランドフィナーレとしたい。
というのも、この『シリーズ化』というのも読者を限定してしまう側面があるということも大きな要因であるが、昨今の核を巡るお伽話が、言うにも程があろうというほど、「現実離れした空想的な話」になってきてしまったからという一面も大いに影響している。
令和7年8月1日の朝日新聞を読んでいて、こんな記事に行き当たった。一つは天声人語には、こうあった。
<天声人語>
仏教には、時間や数をあらわす独特の単位がある。縦・横・高さがそれぞれ7キロもある巨大なお城があった。その中をケシ粒でいっぱいにして、100年に1度、1粒だけ持ち去る▼それを繰り返して、全ての粒を取り出すよりも長い時間。これを劫(こう)という。未来永劫(えいごう)の「劫」だ。さて、こちらの取り出しには、いったいどれほどの時間がかかるのか。メルトダウンした福島第一原発の燃料デブリである▼もともとは、2021年には取り出しが始まっているはずだった。作業の難しさから、昨年ようやく着手。3号機で本格化するのは、37年度以降にずれこむと東京電力が先日、発表した。1、2号機については時期も決まっていない▼計880トンもあるデブリのうち、これまでに取り出せたのは0.9グラム。事故発生からの時間で単純計算すれば、あと136億年かかる。あまりに大ざっぱ過ぎるという指摘はごもっとも。ならば、いつと考えるのが現実的か。もはや無理だと分かっているはずなのに、国や東電が「51年までの廃炉完了」という目標をそのままにするのは、国民への目くらましであろう▼この国は、福島での廃炉もままならないのに、原発の「最大限活用」に舵(かじ)を切った。関西電力は新しく原発をつくろうとしている。東日本大震災からたった14年で、こうも変わるのか、変われるものなのか▼常識では考えられないこと、異様なこと、という意味を持つ言葉がある。不可思議。これも、数をあらわす仏教用語である。
また、経済面にはこんな記事もあった。
<経済面記事>
【東電、特別損失9030億円 デブリ取り出し準備費を計上 4~6月期決算】
東京電力ホールディングス(HD)は31日、福島第一原発の廃炉にかかる費用として、2025年4~6月期決算で新たに9030億円の特別損失を計上したと発表した。溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の本格取り出しに向けた準備作業の大枠が固まったため。廃炉全体の支出は予定も含めると5兆円に迫り、想定の8兆円を超える可能性が高まっている。(中略)
ここに1、2号機のデブリの取り出しの設備費が加わる。3号機と同じ水準で行う場合は計2兆円になる計算だ。1~3号機のデブリの取り出しが本格化すれば、その作業費もかかる。そうすると、全体で8兆円を超える可能性がある。
東電HDの山口副社長は「今後新たな事象が発生すれば、その都度、合理的な見積もりをする。当面は8兆円の枠組みの中でお金のやりくりはできると思う」と語った。
とはいえ、8兆円は対象がかなり限定された数字だ。デブリの取り出し後に想定される建屋解体や放射性廃棄物の処分にかかる費用は含まれていない。これらを含めれば8兆円を大きく超えることは確実だ。推計880トンというデブリの回収は世界でも例がない作業で、51年の完了を疑問視する声も多い。
「合理的」とはなにか?この世に仏はいるのか?と思わず自問したくなる。計算ができないのか、はたまた計算できない振りをするのが余程上手いのか?仏教用語ではないが、摩訶不思議としかいいようがない。
さらには、原子力委員会・元委員長代理を務められた鈴木達治郎さんへのインタビュー記事には次のような論説が掲載されていた。
<核燃サイクル、破綻は明白>
資源小国日本にとって「核燃料サイクル」は、金看板でした。
原発から出る使用済み燃料を全て再処理してプルトニウムを取り出し、再び燃料に使う。「夢の原子炉」高速増殖炉で、使った以上の燃料を生み出す。こうしてエネルギーの自主独立が成る――。でも、この永久運動かのような「輪っか」は、もう途切れています。
国費1兆円以上を投じた高速増殖原型炉もんじゅは廃炉作業中。政府はフランスとの共同開発に望みをつなぎますが、マクロン政権は次世代炉の開発を停止しています。中核である青森県六ケ所村の再処理工場は1997年に完成するはずが、たび重なるトラブルで27回も延期され、まだ本格稼働していません。再処理を海外に頼ったまま、使えずにたまり続けたプルトニウムは現在44.5トン。長崎型原爆7400発分に相当し、国際社会の疑念を呼んでいます。
経済産業省は、再処理の効果として廃棄物量や有毒度が減ると説明していますが、高速炉が実現しない現状では根拠は希薄。むしろ経済性と安全リスク、核不拡散の面で不利だと、原子力委員会も結論づけています。米国や英国、ドイツでも、直接処分する方法が選ばれています。
それでも国がサイクルを掲げるのは、輪が切れた途端、原発を維持する基盤が崩れるからです。使用済み燃料は「資産」ではなくなり、青森県から持ち帰るよう各電力会社は迫られる。でも原発立地自治体との約束上、それは難しい。最終処分場もまだ存在しないので、持って行き場はない。破綻(はたん)が明白なサイクルが続いているかのように取り繕わなければ、原発を続けられないのです。
独立した第三者機関による総合的評価を行い、サイクル政策を全面的に見直す時です。少なくとも全量再処理を続ける合理的理由はない。六ケ所村再処理工場の総事業費は15兆6千億円。私たちの電気料金で賄われています。タブーなき議論をしなければ、犠牲になるのは国民と国際社会です。
みなさん、お分かりだろうか?ここに、強烈な<お伽話>が現在進行形で我々の日々の日常に横たわっていることが。。。しかも、この破綻している「現実離れした空想的な話」は、政府もグルになっているため、東電に注入されるお金も六ケ所村再処理工場につぎ込まれているお金もすべては、我々の電気料金や税金から賄われているわけである。
芥Ⅲでも示したように、人類の叡知は遂には物質から莫大なエネルギーを取り出す技術を発見した。それ自体は素晴らしいことなのである。ただ、我が国日本は、内閣府が発表している防災白書によれば、地震、火山活動が活発な環太平洋変動帯に位置しており、国土面積は世界の0.25%という大きさながら、マグニチュード6以上の地震の発生回数は、世界の20.8%が起こっている地震大国なのである。その国土の上に、どうして安全な原子力発電所など建設できようか?
ましてや、世界の平和や安全は再び著しく不安定な状況に陥りつつある。一度、戦禍に見舞われれば、ウクライナへの侵略戦争でなんどもザポリージャ原発が爆発&放射能漏れの危機にさらされたように、恰好の攻撃目標となってしまう。
原子力発電所の2025年8月17日現在の運転状況は以下のとおりである。
<北海道電力 泊発電所>
1号機:停止中(定期事業者検査中)
2号機:停止中(定期事業者検査中)
3号機:停止中(定期事業者検査中)
<東北電力 東通原子力発電所>
1号機:停止中(定期事業者検査中)
<東北電力 女川原子力発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:運転中
3号機:停止中(定期事業者検査中)
<東京電力ホールディングス社 柏崎刈羽原子力発電所>
1号機:停止中(定期事業者検査中)
2号機:停止中(定期事業者検査中)
3号機:停止中(定期事業者検査中)
4号機:停止中(定期事業者検査中)
5号機:停止中(定期事業者検査中)
6号機:停止中(定期事業者検査中)
7号機:停止中(定期事業者検査中)
<東京電力ホールディングス 福島第一原子力発電所>
1号機:廃止
2号機:廃止
3号機:廃止
4号機:廃止
5号機:廃止
6号機:廃止
<東京電力ホールディングス 福島第二原子力発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:廃止措置中
3号機:廃止措置中
4号機:廃止措置中
<日本原子力発電株式会社 東海第二発電所>
停止中(定期事業者検査中)
<日本原子力発電株式会社 東海発電所>
廃止措置中
<中部電力株式会社 浜岡原子力発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:廃止措置中
3号機:停止中(定期事業者検査中)
4号機:停止中(定期事業者検査中)
5号機:停止中(定期事業者検査中)
<北陸電力株式会社 志賀原子力発電所>
1号機:停止中(定期事業者検査中)
2号機:停止中(定期事業者検査中)
<日本原子力発電株式会社 敦賀発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:停止中(定期事業者検査中)
<日本原子力研究開発機構 高速増殖原型炉もんじゅ>
廃止措置中
<日本原子力研究開発機構 新型転換炉原型炉ふげん>
廃止措置中
<関西電力株式会社 美浜発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:廃止措置中
3号機:運転中
<関西電力株式会社 大飯発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:廃止措置中
3号機:停止中(定期事業者検査中)
4号機:運転中
<関西電力株式会社 高浜発電所>
1号機:運転中
2号機:運転中
3号機:運転中
4号機:停止中(定期事業者検査中)
<中国電力株式会社 島根原子力発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:運転中
<四国電力株式会社 伊方発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:廃止措置中
3号機:運転中
<九州電力株式会社 玄海原子力発電所>
1号機:廃止措置中
2号機:廃止措置中
3号機:運転中
4号機:停止中(定期事業者検査中)
<九州電力株式会社 川内原子力発電所>
1号機:運転中
2号機:運転中
以上のような稼動状況をご覧になってどう思うだろうか?そう、ほとんど稼動していないのである。稼動していない発電所でも多くの人たちが働いている。コストが発生している。そのコストを我々が負担しているのである。
原発は安全だという。しかし、東京電力は、その安全な原子力発電所を遠く福島県に建設し、<壮大なる伝送ロス>を生みながら東京へと送っているのである。そんなに安全なのであれば、首相官邸の地下にでも作れば、電力伝送ロスもなくなり、最も合理的なのである。だが、決してそんなことはしない。安全ではないからだ。一度、臨界事故が起きれば、人の手では制御できなくなる。そう、この「制御できなくなる」というものを果たして使い続けて良いのか?
東日本大震災の後、日本の全ての原子力発電所は暫くの間、全て停止した。資源のない国、日本では原子力発電は必要不可欠、とされてきたにもかかわらず、原発抜きでなんとか電力を賄えたのである。もちろん、その間、コストの高い火力発電依存度が上がり、輸入コストは増加した。だが、果たして、原子力発電が、これまで示してきた数値を見て、本当に安上がりのエネルギーと言えるのだろうか?
我々は日々、こうして、パソコンやスマホを使い、分からないことがあれば、すぐに検索をする。その検索をするたびに、20年前には世の中になかったデータセンターで計算をし、エネルギー保存法則から計算結果と共に熱を生み出す。そしてデータセンターで発生する膨大な熱を冷却するために膨大な量の真水を使う。データセンターからは常にもうもうたる水蒸気が発生している。そして、これからは生成AIの時代となり、これまでの通常検索の6倍の電力が必要になるとの試算もある。ちょうど20年前ぐらいから、気候変動が起きて、各地で集中豪雨による洪水や山火事が起きているのは偶然の一致だろうか?偏西風を蛇行させる何かがあるのではないか?それこそ、生成AI時代に対応するため、原子力発電所直結のデータセンターを構築しようという構想まであるほどだ。ちなみに、筆者は、更新こそしなかったが、データセンターの資格では最高ランクのデータセンター・エキスパート資格(CDCE)を保持していたのである。まぁ、ついぞデータセンター内に一度も足を踏み入れることなく資格有効期限が来てしまい、更新はしなかったが(笑)。なお、こちらの資格試験、英語の記述試験もあり、採点はすべてオランダに運ばれて行われるというなかなかにハードなものである。蛇足が過ぎたが、まぁ、ずぶの素人がわーわー騒いでいるわけではない、ということがお分かりいただけたらそれで良い。従って、我々も、日々、PCやスマホの利便性を享受しているのであるから、一方的に原発は良くない、廃絶すべし、と叫ぶのではなく、電力消費を抑えた次世代コンピューティングと通信手段を推進していくべきであろう。その鍵は、第6世代通信であるIOWNや量子コンピューティング技術が握っていると思える。もはや、スマホを手放せなくなってしまった現代人の飽くなき要求に応えつつ、地球が気候変動でどうにかなってしまう前に、この技術を確立していくかどうかが人類生き残りのための<ノアの方舟>となるか、自分で自縄自縛の絞首刑台を作ることになるのかの分水嶺と言えよう。
すべては、「絶対に安全である」という<お伽話>の上に、立脚した話ではなかろうか?そういう意味では、日本の原子力政策や電力会社が囁いてきたピロートークは、多くの国民をうっとりとさせるだけの実に<甘いささやき>であったことがお分かりいただけるだろう。
しかし、夢のような話となってしまっている核の再処理施設が一向に稼動しない以上、国土の狭い日本では間違いなく破綻がくる。上記の原発の稼動状況を見ていただいても分かるとおり、関西電力管轄の原子力発電所は稼動しているものが多い。そして、稼動するということは核のゴミが発生し続けるということでもある。
8月14日と15日の朝日新聞に特集が組まれていた記事を引用しておこう。
<関電:エース級18人、「本命」へ投入>
関西電力は2024年7月、社内で「エース級」と言われる18人をここへ送り込んだ。遠く離れた青森の施設に関電が入れ込むのは、再処理工場を目標である26年度中に稼働させたいから。1997年に完成するはずだった再処理工場は、延期を27回も繰り返している。
さらなる延期となれば、原発を根幹に置く関電の経営を左右しかねない。「ここが動かないと、一番困るのはうちだから。『自社の工場と思って対応する』と言われている」(関電社員)
関電は福井県内に美浜、大飯、高浜の3原発を持つ。核燃料を保管する3原発の燃料プールは、25年3月末時点で88%が埋まる。このままため続けた場合、28年度末ごろには燃料プールが満杯になる計算だ。
地元の福井県からは、使用済み核燃料を県外に運び出すように求められている。関電の現在の計画では搬出先は3カ所あり、このうち本命は六ケ所村だ。28年度から再処理工場に運び出し、30年度までに198トンを出すとする。(中略)
仮に動いたとしても、関電が新たに運び込める使用済み核燃料は年54~78トン。原発から毎年出る105~130トンほどには計算上、及ばない。
なんと28年度中には満杯になる計算であり、間尺に合わない計算であるにもかかわらず、ここにもお伽話が登場する。
みなさん、ご存知だろうか?東日本大震災で福島第一原発が<爆発的事象(これがお伽話である最たる表現!)>が起きた際、アメリカ政府は在日米国人に出国、もしくは少なくとも関西以西に移動するように通達を出していたことを。外資系の企業の方々は一斉にあの時、移動していた。それは、あまり報道されていないことだが、激しく<爆発的事象>の映像が流れた1~3号機ではなく、4号機は定期検査中(平成22年11月30日から定期検査開始)であったため、原子炉内の全ての燃料(548体)は、使用済燃料プールに取り出されており、原子炉内には燃料は存在していなかったが、一方で、使用済燃料プールには、ほぼ満杯に近い1,535体(使用済燃料1,331体+新燃料204体/貯蔵可能体数1,590体)が貯蔵されていた。冷却電源が喪失し、温度が上昇を始めており、これが爆発していたら、福島県はおろか東日本全体が吹っ飛んでいただろう、とNHKの番組でも技師たちが回顧していた。
したがって、上にも述べたように、既に使えずにたまり続けたプルトニウムは現在44.5トンもあり、長崎型原爆7400発分に相当し、国際社会の疑念を呼んでいるところなのである。
どうであろう?酷暑が続く日本であるが、みなさん、核という「お伽話」を読んで背筋がすーっと寒くなったのではないだろうか?なかでも、最もコワイ話なのは、これをコワイ話とさせない大人の先延ばし話術なのである。
結論を出さない、計算しないということほど、恐ろしい話はない。
世の中には、毒にも薬にもなるものが存在する。例えば、ケシから生成される麻酔薬は手術には欠かせないが、使用法を違えば、アヘンやコカインなどの麻薬として人格や国家を滅ぼしかねない甚大な被害を与えかねない。しかし、厳格な管理の元、人類は長きに亘ってこれを取り締まってきており、完全に撲滅こそできていないものの、なんとか、制御できているように思う。しかし、原子力のもつ臨界エネルギーは制御できている、もしくは、ひとたび事故がおきた際に本当に制御できると言えるのだろうか?本書は、この人類にとって本当に制御可能なのか甚だ疑わしい「核」と「AI」がもたらすSF(Science Fiction)のストーリーである。
フィクションということでは、印象深い言葉がこれまた最近あった。8月6日に行われた広島平和記念式典での湯崎英彦広島県知事による挨拶の言葉である。
<湯崎英彦広島県知事あいさつ(抜粋)>
このような世の中だからこそ、核抑止が益々重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。
自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以て示しています。
実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続きの意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻寸前だった事例も歴史に記録されています。
国破れて山河あり。
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。
国守りて山河なし。
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。
抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。
核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這い進み、最後は抜け出して生を掴んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。
そう、フィクションなのである。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『NEXUS』の著者で知られる現代の知の巨人ユバル・ノア・ハラリ氏によれば、人類がこの地球という惑星の覇者になったのは、フィクション(虚構)を司る力に唯一秀でた生き物であったがために、神という誰も見たこともない存在を創り出し、貨幣という紙切れや単なる金属片に多大なる万能の交換価値を注ぎ込み、ストーリーを作り出すことで、会ったことも名前も顔も知らない多数の人々との共同作業を可能ならしめた点にあると述べている。そう、我々はフィクションを作り出す天才集団なのである。薬にもなれば毒にもなるものをも、人類はまたフィクションから作り出すことができるのである。神一つとってみても、それで心の安寧を得る方々もいれば、神の名の元に幾多の戦争が起き、尊い命が奪われてきたことか?
私に言わせれば、フィクションには、E=mc² 級の途轍もないエネルギーを生み出す力があると思っている。理系の方々の才能も大したものであるが、文系の天才たちも捨てたものではないのである。本書でこれからmaybe(もしかすると/ことによると) × certain ² (必然の/きっと)が紡ぐフィクション(虚構)という物語がみなさんのEmotion(感情)をどれだけ揺さぶれるかというところである。アルベルト・アインシュタインの相対性理論のE=mc² を青山翠雲なりに記述すれば、すなわち、こうなる。
Emotion = maybe × certain ²
想像力を働かせれば、「ひょっとして」×「きっと ²」⇔「感情」と等価であり、それは、人類、とりわけ、文学好きな人間であればこそ、莫大な感情エネルギーを生み出すことが出来ると思っている。
そんな状況のなか、地球のミラーリング惑星とも言える惑星“エーアデ”で遂にその時を迎えてしまった。。。
いよいよ、「カクヨム住民」に捧げる「物語(フィクション/虚構)」の始まりである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます