血の繋がり

 顔合わせのあと、アリスは部屋に戻れるかと思っていたが、父親から別室に移るように促された。おそらくこの後、別室であの二人と顔を合わせることになるのだろう。


 アリスの心境は複雑だった。

 おそらく血縁者であろう二人。自身の血が怖くなった。半分はこの国の皇太子の血が流れている。そして、もう半分はイスブルグ王国の王族の血が入っている。育ての両親が囲って育てる訳だ。いつどこで、この身を攫われて利用されるか分からないのだ。


 アリスの将来がイスブルグ王国にあるのは、ある意味温情と思えた。

 皇太子の落胤であることより、公爵令嬢の子であるほうが王家との繋がりが遠い。ヴィリス帝国にいたのでは、いつ傀儡の女王として担ぎ上げられるか分からない。

 今のヴィリス帝国は比較的安定しているが、それはであって、未来は分からない。国とは常に不穏分子を孕んでいるものなのだ。

 おそらく今回の使節団の一員に2人がいるのは、アリスに逢うのが目的であろう。アリスがイスブルグ王国へ居を移す時、二人はきっと後ろ盾になる。


「アリス、薄々気づいているとは思うが、ベルトラム公爵は、お前の実の母親の父君だ。アリスの祖父にあたるお方だよ」


 同席した義父は、優しい声色でアリスに告げる。アリスを慈しんでくれる存在は変わらず傍らに寄り添ってくれる。そのことが心強かった。


「赤子の時に一度だけ逢わせてもらった。それ以来だ。君は本当に我が娘によく似ている」


 ベルトラム公爵は目を細めてアリスを見る。それは先ほどまでの外交官を担う公爵としての顔ではなく、孫に逢えたことを喜ぶ祖父の顔だった。


「いきなり祖父だと言われても、実感はないだろうな。だが、一つだけ願いを聞いてくれないか。

 赤子の頃に抱いたきりなのだ。この腕に孫を抱きしめたい」


 アリスが小さく頷くと、公爵は一歩アリスに近づき、手を広げた。

 アリスは少し戸惑いを感じて義父を見上げた。優しい笑みを湛えたまま、義父はそっとアリスの背を押した。


 父より一回り大きな体躯がアリスに近づき、その太く長い腕でアリスを囲う。優しく壊れ物を抱くかのような緩やかな抱擁だった。

 イスブルグ王国の正装であろう上着からは、森の香りを思わせる香の匂いがした。


「お爺様」


 アリスの呼びかけに、アリスを囲う大きな体がぴくりと動いた。アリスの耳に、祖父が長く深い呼吸が届く。


「アリス。逢いたかった。君の成長をそばで見ていたかった。国同士で取り決めた8年は思いのほか長かった。お前の母も同じ想いであろう。逢わせてはやれぬが、母の話をすることはできる。そして娘にも君に逢ったことを話すことができる。

 君のこの喜びは伝わるだろうか」


 アリスは、体のこわばりが少し溶けるのを感じて、そっと祖父の胸に自分の額を押し当てた。触れたところから響く祖父の低い声がアリスの体に直接流れ込む。

 その音には、喜びと深い後悔も含まれている。ただ、疎まれてはいないと感じられる祖父の想いに、アリスは安堵する。

 側にいる育ての両親はもちろんアリスを愛し、守り育ててくれた。近くにいるから愛情も直接感じられた。

 だが、アリスを見守って愛してくれたのは彼らだけではないのだ。こうして、遠くからアリスを心から愛し心配してくれる存在がいることにアリスは胸の奥が痛くなった。

 ジワリと滲む涙に、視界がぼやける。目の前の精緻な刺繍が輪郭をなくしていく。


「アリス、君は何も悪くない。大人たちが悪いのだ。君には不自由をさせる。子供らしく、外で遊びたいであろうに、公爵邸から出ることもままならない。大勢の友達を作ることすら叶わない。友達すら選ばれている。

 わが娘の仕出かしたことの始末を君にまで背負わせることになって、本当に申し訳なく思っている」


 アリスには本当の両親の記憶がない。産まれてから半年をもって、クラヴェル公爵家へ引き取られたのだ。それ以来会っていない母の記憶は何処にも残っていない。それでも絞り出すように語る祖父の言葉は、触れた場所からアリスの体に入り込みその温かさを伝えてくる。それだけは信じていいような気がした。


「お爺様、わたくしは、このクラヴェル公爵家で実の子供のように育ててもらいました。8歳になり、本当のことを教えてもらいましたが、それまでは本当に何も知らずに幸せに過ごしてきました。

 両親は時に厳しくも優しい人たちです。兄姉たちもわたくしのことを可愛がってくれました。だから、何もつらくはありませんでしたの。

 だから、心配なさらないで。これからのことは分かりません。でもきっと、この優しい人たちはわたくしの味方で居てくれます。

 お爺様もそうでしょう?」


 祖父の腕は暖かい。その暖かな腕がアリスを丸ごと抱きしめる。少し力が込められた腕にアリスは包まれながら目を閉じる。

 アリスの言葉は、祖父であるベルトラム公爵の後悔も少しは溶かしてくれただろうか。アリスは今のところ誰も恨んだりしていない。それだけは伝えたかった。


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