王子殿下

 祖父であるベルトラム公爵はしばらくアリスを抱きしめた後、名残惜しそうに腕を解いた。

 その様子を隣にいる第3王子は、一言も発さずにずっと待っていた。久しい親族の対面である。口は挟まないつもりなのだったのだろう。

 アリスがベルトラム公爵から離れたその機を見て、徐にアリスに視線を向けた。


「アリス嬢、将来的に我が国へ来ることはもう知っているね?」


 まだ少年のその声は静かにアリスに語りかけた。13歳とは言え、王族である。静かで穏やかな声色ながら、言葉には芯がある。それは持って生まれた為政者の血が、そして教育が、そうさせているのだろう。


「はい」


「今回、僕がここにいるのは、君との関係性を作るためだよ。君が僕の国に来た時、王家が後ろにいるのだと周りに示すためだ。王家と関わりの深い公爵家の令嬢。だから、我が国に輿入れできる、という筋書きのためだけどね」


 それまで優しげな表情を崩さなかったディートハルトは、少し悪戯っ子のような笑みを乗せてアリスを見た。王子の仮面を脱いだ彼はずいぶんと気安い性分のようだった。

 人懐こい笑みは、アリスがこれまで見たことのある表情ではなかったから、びっくりして目を何度も瞬かせてしまった。

 考えてみれば、アリスの周りは大人ばかりであった。最近友人と呼べるようになったクリスティーナを除けば、一番近いのはシルヴァンで、それでも8歳の年の差があった。

 ディートハルトとも5歳の年の差があるのだが、彼は王家でも末っ子王子である。


「とりあえず、僕らは君が僕らの国に来た時、居心地が悪いようにしたくない。そのために、ぼくはここに来たんだよ。

 君を知るために。そして、君と友達になるためにね」


 アリスの行く末はすでに決まっている。シルヴァンは本当の婚約者ではない。イスブルグ王国に本当の相手はいるという。それが誰なのかは、まだアリスには知らされていない。

 ディートハルトは、そのまだ見ぬ相手との婚姻のため、アリスが不遇な立場にならぬようにベルトラム公爵が用意した後ろ盾なのだろう。

 ベルトラム公爵は、アリスが宿った時、両国に抗議したと聞く。その後の話し合いの際にも、自身の娘への罰はしかと受けるとした上で、生まれてくる子の身の安全は譲らなかったという。

 そうして決められたアリスの処遇に関しては、細かいところまでアリスには伝えられていないだろう。まだ子供のアリスには、政治的なものを多大に含む己の存在についてすべてを知るには重すぎるのだ。


「王子様がお友達なんて素敵だわ」


 アリスは、自身の身を案じる周りの大人に感謝している。なので、たとえ友達は選ばれたものしか近付けられないのだとしても、それを拒否するつもりはなかった。

 王子が友達になるというのであれば、それを両親はじめ周りが認めているのであれば、それは受け取るべきものなのだと。


「なかなかいないと思うよ、他国の王子が友達の公爵令嬢なんて」


 そう軽く揶揄うディートハルトに、


「確かに。わたくしは特別ってことね」


 と、アリスが返す。ぷっと噴出したアリスに、ディートハルトがふわりと笑った。


 ディートハルトの銀髪は顎のあたりで切りそろえられていて、まだ中性的な色が強い年齢も相俟って、男性らしい威厳はまだ感じられなかった。年の近い男の子としてここまで近しい会話をしたことのなかったアリスは、軽妙で親しみを感じるディートハルトの空気に自然と笑顔になった。

 まだ経験の浅いアリスには、それが彼の処世術であることは理解できなかった。末の王子、それも一人だけ側妃の子であるディートハルトは、人心を掴み懐に入るのが上手いのだ。

 ベルトラム公爵が彼を連れてきた理由は甥であるからというだけではない。人と接する機会を極力制限されてきたアリスに、警戒心を抱かせないためであった。


 二人のやり取りを見ていた大人たちは、ディートハルトが上手くアリスの心に近づいたことを見て、一様に安堵した。

 

「アリス、殿下に庭園を案内して差し上げたら? アリスはお花が好きでしょう。花の話ならできるのではなくて?」


 ブリジットの助け舟が出て、アリスは義母を見た。優しく頷かれて、アリスは視線をディートハルトへ戻した。


「殿下はお庭に興味がおありですか」


 遠慮がちにアリスが問うと、ディートハルトはにっこり笑って大きく頷いた。


「もちろん。興味があるのは、君のことだけどね。アリスは庭が好きなんだね。

 では、その庭を案内してくれるかい? 君の好きな場所を教えてくれ。そして君の好きな花を見せてくれないか」


 ディートハルトはアリスにそっと手を差し出す。

 その手にアリスは、自分の手をそっと乗せた。


 公爵家の庭は広い。広いうえに、いくつもに分かれている。

 アリスはどこから案内すべきか頭の中であれこれと考えながら、ディートハルトの手を引いて、応接を後にした。

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