雫6粒 偽善を越えて

「何してるの?こんな所で。」

 

 間仕切りの扉が開く音を聞いて、月島が扉の方を見て問いかけてきた。

 

 その表情は笑っていた。けれど、目の奥は凍ったままだ。

 その温度差に、喉が自然と固まる。

 

「何って、僕はその、謝りたくて……。」

 

 すると月島の張り付いていた笑顔は消えて、どこかうんざりした表情を見せた。

 

「いらない!」

 

 刺す様な視線。押し潰す様な雰囲気。ぴしゃりと告げられた言葉に僕は動けなかった。

 

「今更何?私は真剣に相談してた。なのに、ちゃんと向き合ってくれなかったのは、あなたじゃない!」

 

「だから、それを……。」

 

「いらないって言ってるでしょ!」

 

 どうすればいい……。どうすればいい……。

 僕の足は勝手に月島へ一歩を踏み出した。

 

「来ないで!」

 

 拒絶を示す月島。僕は一体どうすれば。

 

「もう遅いの!お父さんもお母さんも喧嘩ばっかりで!どれだけ頑張っても我慢しても、全然会話もしてくれなくて!あなたが相談しろって言うから、相談したのに適当にあしらわれて!もううんざりなの!」

 

 ひとつひとつの言葉が、骨の奥まで響く鈍い衝撃になって襲ってくる。


「私はただ、普通の家族をしたいだけなのに、どうしてこんなに苦しまないといけないの!どうしてこんなに両親の罵り合いを聞かないといけないの!」

 

 月島の必死の叫びに僕は動けなかった。

 

「私が何したって言うの。私がいなければいいの?私がいなければ、コンナことニ、ならないナラ!」

 

『マズいの!操られ始めておる!』

 

 操るってどうして。

 

「私が相談する時、アナタは“仕方ないな”って大きなため息を吐いた。そんなに感謝がホシイの?」

 

 気付かれていた……。

 

「あなたは!特別な何かにナッタから、何か変えてくれんじゃないかって、寄り添ってくれるんじゃないかって期待シテいたのに!」

 

 ……。

 

「そんな偽善に!そんな適当な心に!助けてなんて、ほしくない!」

 

 そう叫ぶと途端に月島は窓に向かって走り出した。

 

 飛び降りようとしているのがわかった。

 

 足の裏が床に貼りついたように動かない。時間の進みが遅く感じる。心臓の音だけが耳の奥でやけに大きい。

 

 あれは妖異に操られて出た言葉なのか、それとも月島の本心だったのか。

 

 どうすれば良かったんだ。どうすれば……。

 僕が“守り人”にならなければ、こんな事にならなかった。僕が月島に相談をさせなれば、こんな事にならなかった。僕がいなれば……。


 僕は……。僕は……。

 

 ——最低の人間だ。

 

『ハル!』

 

 ハッとした。

 

『お主のせいで誰かが死ぬのなら!お主も共に死んでみせよ!』

 

 エリム……。

 

『カッコ悪いのならカッコ悪いなりに、貫き通せ!』

 

 弾かれるように足が考えるよりも先に動いていた。

 エリムの言う通りだ。

 僕のせいで誰かが死ぬのなら、その誰かを僕は一人じゃ死なせない。死なせたくない。

 

 窓に足をかけて外に飛び出そうとしている月島。次の瞬間、身を外に投げ出した。僕もその後を躊躇う事なく——飛び出した。

 

「月島ああああ!」

 

「え?」

 

 目を見開く月島。この一瞬が永遠のように感じた。

 体のコントロールがうまく効かない。しかし必死に手繰り寄せ、僕は月島を抱き抱えた。

 

 どうする。どうする。どうする!

 

 どんどんと近づく地面。

 

 何か手は。何か!何か!

 

 しかし次の瞬間、僕の思考は止まった。

 

 ——あ、死ぬ。

 

『ダッサいのお。』

 

 ニヤリと笑うエリム。途端に背中が熱くなるのを感じると、地面に叩きつけられる直前。

 

 ——バサッ!

 

 背中で熱が弾け、次の瞬間、鱗のきらめく翼が破裂するように広がった。

 空気が裂ける音と共に、僕らは宙をなぞるように地面へと降りた。

  

「なんで?」

 

 僕は呆気に取られた。

 

 それよりも月島は?!

 

 僕の腕の中で目を見開いていた。

 するとボロボロと涙を溢し始める。

 無言のままヨロヨロと立ち上がってどこかへ行こうとする月島の手を僕は掴んだ。

 

「離して。」

 

「ダメだ。」

 

「離して!」

 

「……。」

 

「離してやるのだ。」

 

 エリムの落ち着いた声が響いた途端、僕は手を緩めた。エリムにまでそう言われたら僕は……。

 

 ……あれ?今、外から声が聞こえたような。

 

 僕は顔を上げた。

 

 月島は腕を解かれても、その場に留まったまま前を見ていた。

 

 視線の先には、腕を組んでニヤリと笑っている、赤い髪のツインテール少女が仁王立ちしていた。

 

「お前、何してんの?!」

 

 ◇◇◇

「あなたは……誰?」

 

 どこか普通ではない雰囲気の子供に月島は恐る恐る聞いた。

 

「私か?私はエリム・インフィリア・レガオーガ。まあ、簡単に言うと妖異だの。」

 

 その言葉に月島の顔に恐怖が張り付いた。

 

「なら、あなたが私に?」

 

「違う違う。私が取り憑いておるのは、あの男だ。」

 

 そう言うと、エリムは僕を指差した。

 釣られるように月島も振り返る。

 

「宮坂君に?なんで?」

 

「まあ、なんだ、腐れ縁みたいものかの。」

 

 僕は苦笑した。冗談にも笑えない。

 

「月島。エリムはいいんだ。」

 

 そう言うと、月島は怪訝そうな顔で僕とエリムを見た。

 

「私はな、倒れていた所をその男に助けられたのだ。そのせいでその男は死にかけたがの。」

 

 エリムはそう言って笑った。

 

「でもそれは、感謝が欲しくてでしょ!」

 

「違うのう。“守り人”に任命される前の事よ。」

 

「……え?」


「その男は何の見返りもないのに、私に手を伸ばした。挙げ句の果てに、弱いくせして私を守ろうとまでした。なぜかのう?」


 月島は振り返って僕を見が、僕はどこか照れくさくて、視線を逸らした。

 

「その男は最初から優しいのだ。今は使命とやらに自分を見失っておるが、私が昨日、ガツンと言っておいた。だから……少しは信じてやってくれんかの。」

 

 そう言うとエリムは月島の脇を通り過ぎ、僕の前まで来ると、全く、世話が焼けるのと言って、ぽうっと赤く光ると僕の中に消えて行った。

 

 なんだか、心が温かくなる思いだった。

 

 二人だけになった空間で、沈黙だけが流れる。

 

「今の話、本当なの?」

 

 すると月島がぽつりと聞いてきた。

 

「僕からは何を言っても、信用出来ないだろ……?」

 

「じゃあ、どうして助けたの?」

 

「わからない。でも放っておかなかったんだ。一人で誰かが悲しんでいるのが嫌だった。だから、ただの自己満足かもしれない。」

 

 それだけ言うと、また静寂が訪れた。

 

「わかった!」

 

 月島へそう言うと僕に再び向き合った。

 

「あの子に免じて信じる事にする!」

 

 どこか強がって聞こえるその言葉に、僕の胸はきゅっと締めつれけられる思いだった。

 

「じゃあ、改めて相談するけど、どうすればいいかな?」

 

「そりゃ……本音で話すしかないんじゃないか?僕と月島みたいに。」

 

「だよね。私もそう思った。」

 

 月島はイタズラの様に笑って見せた。

 その顔は目元まで可愛らしい笑顔だった。

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