第2話『GAME 1:ブラインド・ドクター(盲目の医者)』
『――さあ、あなたの幸福を、私に見せなさい』
呪いのような祝福の言葉が、まだ脳内で反響している。
無限の白。
どこまで歩いても壁にぶつかることのない無機質な空間に、俺――新田アラタは、ただ一人立ち尽くしていた。
――その時。
俺を囲むように、突然、三つの光の柱が立った。思わず、叫びそうになり、息をぐっと飲み込む。
光が収まると、三人の男女が現れた。
一人は、仕立ての良いスーツを着こなした、冷たい目つきの中年男。だが、その完璧に着こなされた服装とは裏腹に、ネクタイの結び目を何度も指先で確認し、スーツの肩についた僅かな埃を払い落とす神経質な印象だ。
一人は、今にも泣き出しそうな顔で震えている、ジャージ姿の若い女。その瞳は、絶望的な恐怖に濡れたかと思えば、次の瞬間には怒りで燃え上がり、感情の揺れ動きが激しそうだ。
そして、もう一人。性別すら判然としない中性的な顔立ちで、気だるそうに髪をかき上げる学生服の子供。中学生くらいだろうか。他の二人が恐怖や混乱に囚われている中、この子供だけが好奇心に満ちた目で空間を観察している。
互いに言葉を交わす暇さえ与えられずに、再び、合成音声が直接、脳内に響いた。
『――参加者のエントリーを確認。これより、第一ゲームを開始します』
淡白な声と同時に、俺たち四人の目の前の床が静かにせり上がり、純白の台座を形成した。その上には、スポットライトに照らされたかのように、四つの物体が置かれている。
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『GAME1:
ブラインド・ドクター(盲目の医者)』
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台座の上の四つのアイテムを、俺は食い入るように見つめた。それぞれ、ポップに簡単な解説が付いている。
Ⅰ:未来的なデザインの一本のオートメス(自動執刀器)
Ⅱ:アンプルに封入された、酵素安定剤と記された液体
Ⅲ:手のひらに収まるサイズの、黒く滑らかな生体スキャナー
Ⅳ:ごく普通に見える、水の入った2リットルのペットボトル
エデン・プロジェクトの歪んだ善意が、静かに告げられる。
『あなた方、四人の中に、①未発見の大動脈瘤を抱える者、②治療を要する特殊な代謝異常を持つ者が、それぞれ一名ずつ存在します。本ゲームの爆弾は、元の世界から持ち込まれた未診断の疾患です。放置すれば、いずれも元の世界で確実に死に至ります』
エデンからの、一方的な説明が続く。
『制限時間は二時間。これらのアイテムを適切に使用し、二名を救いなさい。なお、アイテムの使用は一度、限りです。適切に使用した場合、都度、ゲーム攻略のヒントを差し上げます。それでは、GAMEスタート』
一方的な宣告が終わると、空間は再び静寂に包まれた。台座の上のデジタル時計がカウントを始める。刻一刻と秒が減り、時間が滝のように流れ出した。
沈黙を破ったのは、若い女の短い悲鳴だった。
「いやっ……! 何これ、なんなの?!」
学生服の子供が、女の腕をさっと掴む。
「騒ぐなよ、オバさん。まずは状況把握でしょ。全員、名乗って。ゲームをクリアしたいんなら協力しなきゃ」
「なんで、あなたはそんなに冷静なの?」
「だって、つまんない授業をサボって校内をふらついてたら、急にこんな神展開があるんだもん。これが夢なら、覚めて欲しくないし」
スーツの男が、やれやれと両手を広げた。
「状況整理に賛成だ。まずは、あんた。一人だけ真っ白な検査着で、いかにも手術前の患者の様相だが。名前と年齢、簡単な自己紹介を頼む」
指名された俺は、素直にうなずいた。
「新田アラタ。教師……いや、元教師かな。ある事情で死を覚悟していたら、ここに連れてこられたんです。神を名乗るAIに、幸福を探究するシステムがどうとか。正直、理解が追いついていなくて」
スーツの男が、自己紹介を引き継ぐ。
「OK。俺は
若い女が眉根を寄せた。
「私は
「最後はボクだね。
ソウが笑みをこぼす。
自己紹介が終わったが、誰もが互いを値踏みするように視線を交わすだけだ。
桐島が議論の口火を切った。
「問題を整理すると、突然この異空間に連れてこられた我々の中に、現実世界で死に至る可能性のある者が二名、存在する。その上で、四つの道具を利用して、患者を素人が救うゲーム……。『盲目の医者』とは、未診断の患者を素人が勘で見立てる無理ゲーを皮肉っているのか?」
ミオが桐島を睨みつけた。
「ちょっと、待ってって! 何で、そんなに冷静に分析できるの? この狂った状況を受け入れてるわけ? みんなでさっさと出口を探すべきでしょ!」
「出口、ねえ」
ソウが、面白そうに無限の白を見渡す。
「どこにあるんだろうね、そんなもの。そもそもさ、本当にこのゲーム、患者を当てるのかな? 裏をかいて、何もせずに2時間を過ごすとクリアって可能性も捨て切れないでしょ」
ソウの悪魔的な提案に、ミオの顔が青ざめる。
桐島が、鼻で笑う。
「リスク管理の基本だ。我々に与えられた選択肢は二つ。①不確かな情報の中で、万に一つの成功確率に賭けて行動する。②何もしない。後者の場合、もしこのアナウンスが真実なら、我々は二名の死を座して待つことになる。失敗確率100%の選択肢を、合理的な人間は選ばない」
「合理的、ね」
ソウがつまらなそうに呟いた。
俺は静観した。この意味不明な状況の中で信じられるのは自分だけだ。まずは観察。他の三人がどんな人物か掴まなければ、不用意に発言などできない。
ミオが片手で腹をさすった。
「じゃあ、どうする? 私、最近ずっと体調が悪くて……。もしかしたら、私が病気なのかもしれない」
「ほう。具体的にどんな症状だ?」
「なんとなく、体がだるくて、めまいが……」
「そんなものは病気のうちに入らん、そもそも大動脈瘤は自覚症状がないのが普通だ。代謝異常とやらも、専門家でなければ判断できん。つまり、自己申告に意味はない」
その通りだ。
このゲームの残酷さは、そこにある。自覚症状がないからこそ、誰もが「自分は健康だ」と思いたい。そして「他人が病気なのではないか」と疑ってしまう。逆もまた然りだ。少しの体調不良が、死の宣告に聞こえてしまう。
信じられるものがない。だから、誰もが一歩を踏み出せないでいる。
俺は台座に近寄った。
アイテムを冷静に眺めてみる。
◉オートメス(自動執刀器)
台座に横たわるそれは、白く滑らかな流線形のボディを持ち、まるで未来的な電気シェーバーのようにも見えた。しかし、その先端部分に、この道具の持つ特性が集約されていた。メスというよりは、複数の極細アームやレーザー照射口が格納されていそうな、円形の射出口。起動ボタンらしきものは、本体に描かれた円形のアイコンが一つだけ。おそらく、指で軽く触れるだけで起動する静電式なのだろう。全体から発せられるのは、一切の無駄を排した機能美と、それ故の冷徹さだ。
◉生体スキャナー
手のひらにすっぽりと収まる、黒曜石のように滑らかで冷たいカード型のデバイス。厚みは数ミリほどしかない。驚くべきことに、その表面にはボタンも、レンズも、画面すらない。ただ、漆黒のボディの中央にだけ、銀色の細いラインが一本、静かに走っている。
◉酵素安定剤
アンプルは、よくある円筒形のガラスではない。水晶を寸分の狂いなく削り出したかのような、透明度の高い、美しい六角形の筒。中に満たされた液体は、水のように無色透明でありながら、白い空間の光を受けると、ほんのりと虹色の光沢を放ち、その液体がただの物質ではないことを雄弁に物語っている。アンプルと一体化した投与装置は、注射針が見当たらない。おそらく、高圧空気か何かで、皮膚に直接薬剤を撃ち込む、未来的なハイポスプレー方式なのだろう。
◉二リットルの水
何の特徴もない透明なペットボトルに入れられている。
俺は一点に視線を定めた。
「……やはり、鍵はこのスキャナーだな」
桐島が隣に並ぶ。
「一回しか使えない、究極の診断装置だな。これを誰に使うかで、運命は決まる」
桐島は、一度、俺を見て、それからヒナタとミオに視線を移した。
「統計的に言えば、大動脈瘤のリスクが最も高いのは、この中で最年長の俺だ。代謝異常は若年層に多いから……スキャナーはソウに使うべきか」
桐島の手が、ゆっくりとスキャナーに向かって伸びていく。その指先が、黒いカードに触れるか触れないかの、その瞬間。
俺は、無意識に、その手を遮った。
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