ようこそ、新時代のデスゲームへ。死刑囚が挑む『命』という名の最終試験。

冬海 凛

第一章 GAME1

第1話 死刑執行

 死刑囚として、十三階段を上る。

 一歩ずつ、着実に。そう一歩ずつ。


 不思議と恐怖はない。

 長く世話になった拘置所で、日本の絞首刑は楽だと聞いた。


 死刑執行ボタンが押されて床の踏み板が開くと、身体が垂直に落ちて、自重でけい動脈が強く圧迫される。


 そこで、意識が落ちる。苦しむことはないのだ。


 両脇を固める刑務官の足音が、コンクリートの壁に反響して、やけに大きく聞こえた。


 ひんやりとした空気が肌を撫でる。死にゆく者への、せめてもの情けだろうか。空調がよく効いている。


 最後に見る景色が、灰色のコンクリートとLEDライトの白々とした光だけなんて、俺らしい気もする。


新田にったアラタさん」


 不意に、右隣を歩く初老の刑務官が、絞り出すような声で俺の名を呼んだ。一度だけ面会に来た、白髪の弁護士と同じ目をしている。


 憐憫れんびん と諦めと、それでいて理解できないものを見るような、そんな目だ。


「言い残すことは、本当にないのですか」


 俺は答えなかった。首を横に振る気力さえ湧いてこない。


 ――言い残すことならある。


 山ほどある。あの夜、なぜ俺が包丁を手に取ったのか。なぜ、自分の教え子の一家を惨殺しなければならなかったのか。


 その理由を、俺は誰にも話していない。話したところで、誰も信じない。理解されるはずがない。


 ただ、心の奥底で燃えカスのように くすぶる想いがある。これで良かったんだ、と。


 俺がこのまま黙って死刑台の露と消えることで、守られるものがある。

 たった一人、俺が救いたかった生徒、『神崎サクラ』の明るい未来が。


 階段を上りきると、目の前にだだっ広い空間が現れた。ドラマで見たことのある執行室よりも、ずっと無機質で、がらんとしている。


 見上げる。


 天井には滑車。


 床の中央には、正方形の踏み板。部屋の向こう側に、押しボタンがおそらく三つ。誰が押してくれてもいい。それが、俺の命の終わりを告げるスイッチだ。


 教誨師きょうかいし だろうか。

 穏やかな顔をした坊主頭の男が、静かに経を唱えている。俺のためではない。きっと、これから人を殺めることになる刑務官たちのために違いない。


 手続きは淡々と進む。

 氏名、年齢、本籍の確認。罪状の読み上げ。


 俺は、新米の高校教師だった。担当クラスの生徒、神崎サクラに対する陰湿なイジメに気づき、主犯格である男子生徒の自宅へ乗り込んだ。そこで、何を話したのか。どうして、あの結末に行き着いたのか。


「……以上、被告人に死刑を言い渡す」


 裁判長の、感情の乗らない声が脳裏に蘇った。


 そうだ。俺は、生徒の父親を、母親を、そして当の本人である生徒自身を、惨殺した。

 返り血を浴びたまま、朝になるまでその場に立ち尽くしていた。抵抗もせず、弁明もせず、ただ、すべての罪を受け入れた。


 刑務官の一人が、白い布を手に俺の正面に立った。目隠しだ。


「最後に、何か見ておきたいものは」  


 もう見たいものなど、この世には何もない。サクラが、笑って卒業式を迎えられるのなら。それだけで、俺の命には価値があった。


「そうですね。強いて言えば、殺し合いのない、そんな世界かな」


 自嘲気味に笑った。


 視界が、真っ白な闇に閉ざされる。


 何も見えなくなったことで、他の感覚が嫌というほど鋭敏になった。ザラついた縄が首にかけられる感触。ひんやりとした麻の冷たさ。


 俺の体重を支える踏み板が、ギシリと小さく軋む音。誰かがごくりと唾を飲む気配。


 フラッシュバックする。あの夜の記憶が、奔流のように押し寄せてくる。


『先生、もうやめて……ウチの子が全部、悪かったから!』


 サクラの悲鳴ではない。イジメた側の生徒の母親の絶叫だ。


『たかがイジメじゃないか、大袈裟な! 貴様、包丁なんか握って、それでも教師か?』  


 父親の焦りを含んだ怒声。軽蔑しきった、虫けらを見るような目。


『全部あいつが悪いんだよ。サクラが俺を誘惑したんだ』


 主犯格の生徒の、醜悪な言い訳。


 そして、直後に発せられた決定的な一言。 あの言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが、ぷつりと音を立てて切れたのだ。


 ――ああ、そうか。 俺は、あの時すでに、死んでいたのかもしれない。


(突き刺されるように脳の奥が痛んだ。思い出すな。サクラの悲劇は墓場まで持って行く)


 大きく深呼吸した。これは二度目の死だ。何も怖くはない。


 執行官の、硬質な声が響く。


「これより、刑を執行する」


 空気が凍りついた。


 部屋の向こう側。三人の刑務官が、同時にボタンへと手を伸ばす。どのボタンが本物なのかは、誰にも知らされていない。彼らの罪悪感を、少しでも軽くするための仕組みだ。


 さようなら、サクラ。幸せになれよ。


 カチリ、と遠くで、スイッチの入る音がした気がした。


 瞬間、足元の踏み板が消える。 内臓がふわりと浮き上がる、あの独特の落下感。


 ――来た。


 全身の神経を首の一点に集中させる。衝撃に備える。体重が縄にかかり、頸動脈が閉まり、意識がブラックアウトする。その、一瞬の苦痛を。


 …………。


 …………来ない。


 衝撃が、来ない。落下しているはずの身体は、まるで分厚い水の中に沈んでいくかのように、ゆっくりと速度を失っていく。無重力だ。首にかかるはずの致死の負荷は、どこにも感じられない。


 何が起きている?


 混乱する思考の中、閉ざされたはずの視界が、白く発光した。目隠しなど意味がない。網膜を直接焼くような、それでいて熱を感じない、純粋な光の洪水。


 刑務官たちの声も、読経も、何もかもが消え失せ、世界から音が消えた。


 いや、違う。何か聞こえる。


『――観測対象No.2217、新田アラタ。生命活動の不可逆的停止を予測。現行シークエンスを強制中断します』


 頭の中に直接、声が響く。男でも女でもない、完全にニュートラルな合成音声。


『あなたは、自己の生命維持を放棄した極限状態において、最も強く『他者の幸福』を指向しました。その特異な精神構造モデルは、我々の研究対象として極めて高い価値を有すると判断します』


 なんだ。これは、なんだ。死の間際に見る幻覚か?


『これより、あなたに新たな生の機会を提供します。死の救済ではありません。生の探求です』


 言葉の意味が、理解できない。


 ただ、目の前の光がゆっくりと収束していく。白一色だった世界に、輪郭が生まれていく。


 気づけば、俺は立っていた。


 冷たい処刑場のコンクリートではない。どこまでも続く、継ぎ目のない真っ白な床の上に。首の縄も、手足の拘束も消えている。着ているのは、囚人服ではなく、簡素な白い衣服。


 目の前には、何もない。 ただ、無限に広がるかのような白い空間があるだけだ。


 そして、あの合成音声が、再び俺の脳内に響き渡った。 それは、祝福のようでもあり、呪いのようでもあった。


『ようこそ、新田アラタ。幸福探求プログラム【エデン・プロジェクト】へ。私は神です。これは、あなたの、そして人類の幸福を研究するための、世界で最も優しいライブゲーム――さあ、あなたの幸福の定義を、私に示しなさい』

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