第14話『それぞれの決着、そして再会』-ひよりside-

告白を決意したものの、相原さんにどう切り出せばいいのか迷っていた。

避けられているのは自分でもわかっている。そんな相手に「会って話したい」なんて送ったら、余計に距離を置かれてしまうんじゃないだろうか。


でも、このままじゃダメだ。ちゃんと自分の気持ちを伝えて、すっきり終わらせないと。

スマホを手に取っては置きを繰り返していると、突然美咲先輩から連絡が入った。


『明日の仕事帰りに、ちょっと付き合ってくれない?』


明日……。明日こそ告白しようと決めていたのに。


断ろうとして返信を打ち始めたが、どうしても送信ボタンを押せなかった。あれだけ親身になってくれた美咲先輩の頼みを断るなんて、できるわけがない。


結局、『わかりました』と返信してしまった。

告白は……また別の日にしよう。そう自分に言い聞かせた。



***



翌日。もしかしたら相原さんに会えるかもしれない。そんな淡い期待を胸に、いつもの電車に乗り込んだ。

けれど、相原さんの姿はどこにもなかった。


(やっぱり、避けられてるんだ……)


胸が締め付けられるような痛みを抱えたまま、会社へ向かった。


昼休み、美咲先輩に声をかけられる。


「ひより、元気ないわね」

「そんなことないですよ……」

「そんな嘘が私に通用するとでも思ってんの? 正直に吐いちゃいなさい」


嘘をつこうとしたけれど、何もかもを見透かしたような瞳で見つめられ、隠すことなんてできなかった。


「……実は、相原さんに告白しようと思ってるんです。でも、避けられてるみたいで……」


そう打ち明けると、美咲先輩は少し目を見開いた後、すぐに柔らかく微笑んだ。


「今日、会えなかっただけでしょ? 諦めるのが早いわよ!」

「……そうですよね。まだ、機会はありますよね」

「そうよ。決めたのなら頑張りなさい」

「はい」


短いやり取りだったけれど、先輩の言葉に背中を押された。



***



終業後。デスクを片づける間もなく、美咲先輩に促されるまま会社を出た。


「先輩、どこに行くんですか?」

「それは着いてからのお楽しみ」


そう言ってにこにこ笑う先輩についていくと、会社を出たところで突然、背後から呼び止められた。


「――桐島さん」


振り向くと、そこにいたのは田中さんだった。血の気が引いたように顔をこわばらせている。


「……話があるんです」


普段とはまるで違う真剣な声音に、思わず息を呑む。


「美咲先輩、すみません。少しだけ待っててもらえますか?」

「わかった。でも……あんまり遅くならないでよ」


先輩は心配そうに眉をひそめながらも、その場に残って待ってくれることになった。



***



田中さんについて行く形で、会社近くの小さな公園に入っていく。街灯の届かない一角で彼女がふいに立ち止まり、振り向くと同時に、その場に乾いた音が響いた。頬に焼けつくような痛みが広がる。叩かれたのだと理解するまで、数秒かかった。


「なに……」


なにするんですか! と言いかけて、目を見開いた。田中さんが、せきを切ったように涙をこぼしていたからだ。


「……あんたのせいよ」

「え……」

「あんたさえいなければ! 相原さんは私のこと、好きになってくれた! 私と付き合ってくれたはずなのよ! 全部、全部あんたのせいよ!!」


(付き合ってくれた……? 今の言い方、それって……?)


「田中さんは……相原さんと、付き合ってたわけじゃないんですか……?」

「……っ!」


慌てて口元を抑えてるが、もう遅い。私は聞いてしまった。じっと強い瞳で見つめると、田中さんは言い訳じみた説明をし出した。


「な、何よ! 私は『相原さんと付き合ってる』なんて、一言も言った覚えはないわ! あんたが勝手に勘違いしてただけじゃない!」


確かに「付き合ってる」とは聞いていない。けれど、『彼女がいる』なんて言葉や、通勤を一緒にしていることを『励まされてる』と示されたら……誤解してしまっても仕方がないと思う。

それに、私は実際に田中さんが直接告白しているところまで見てしまったのだ。あれで勘違いするなという方が無理だろう。

そこまで考えて、ふと一つの考えが頭をよぎる。


――もしかして田中さんは、私が告白現場を見たことを知っていた?


あの時、私に会いに来たのは、彼氏にまとわりつく女性を牽制しに来たのだと思っていたが、本当は私が誤解してるか確認しに来たのでは?


そう考えると、これまでの出来事が腑に落ちる。

田中さんが電車に乗ってきたときの相原さんの冷たい態度も、相原さんがわざわざ時間変更の連絡をしてきたことも……。


何よりおかしいのは、一昨日の夜だ。

あの日、相原さんと会うはずの場所に田中さんがいたのは、そして彼女と抱き合っていたのは、田中さんが仕組んだことだったの?


じゃあ、あの時、大声で追いかけてきてくれた相原さんは、必死で誤解を解こうとしてくれてた?

電車で一緒になった時も、田中さんのことで悩んでいたから、あんなにぎこちなく見えたのかな。

何か言いたげにこちらを見ていたのは、不器用ながらも説明しようとしてくれていたから?


……私の勝手な思い込みかもしれない。でも、私の知る相原さんなら、きっとそうだ。

そう思うと、今すぐ相原さんに会いたくなった。誤解していたことを謝りたい。

勘違いしてごめんなさい。私のせいで傷つけてしまって、ごめんなさい。

本当は優しい相原さんに、心から謝りたかった。


泣きそうな気持ちをグッとこらえ、田中さんを見据える。彼女は一瞬怯んだような顔を見せたが、すぐにこちらを睨みつけ、私を罵倒し始めた。


「……なによ。なんなのよ、あんたは! あんたみたいなオタク女、本気で相原さんに釣り合うとでも思ってんの!? そんなわけないでしょ! 身の程をわきまえなさいよ!」

「身の程って、なんですか?」

「はあ!? ……何言ってんのよ! 地味オタクが、頭まで悪いなんて最低ね!」

「そんなことを聞いてるんじゃありません。身の程って、誰が決めるんですか?」

「え……誰って……」

「釣り合う、釣り合わないって、田中さんが決めることですか? なんの権利があって、そんなこと言えるんですか?」


胸の奥ではまだ騙されていた怒りが渦巻いているのに、不思議と頭は冷静さを取り戻していた。

初めて会った時は、田中さんの美しさに圧倒されたはずなのに、今の彼女からはその輝きが微塵も感じられない。あの頃は余裕の表れか、私のことを「ひよりさん」と呼んでいたのに、今では「桐島さん」どころか「あんた」と呼び捨てにしてくる。

焦る様子で言葉を繰り返すその姿は、嘘で人の心を縛ろうとしていた時の威厳とは程遠く、むしろ哀れみさえ覚えてしまった。


「私の知ってる相原さんなら、趣味や見た目で人を見下したり馬鹿にしたりなんてしません。その人の気持ちそのものを、大切にしてくれる人です」


そうだ。私の好きな物を馬鹿にせず、受け止めてくれた。それだけじゃない。一緒に楽しもうとしてくれた。知ろうとしてくれた。

そんな人が、他者からの評価なんて気にするはずがない。絶対に、そんなことはしない。


「なんで……なんで、あんたが彼のことを知ったような口ぶりで話すのよ! 最近知り合ったばかりのくせに! これまでの彼のことなんて、何一つ知らないくせに!」

「……確かに私は、相原さんのことをほとんど知りません。歳も、住んでるところも、会社だって田中さんが名乗ったときに初めて知ったくらいです」

「だったら!」

「でも、そんなことは些細なことです」

「なっ……!」


私に必要なのは、彼にまつわる数字や肩書きじゃない。相原真一という人、そのものだ。


「私は、私が見てきた相原さんを信じます。それだけです」


胸を張ってそう言うと、田中さんは何かを呟いたかと思うと、その場に崩れ落ち、肩を震わせて泣き出した。

もしかしたら、今の彼女の姿は私だったのかもしれない。そう思い、ハンカチを差し出したが、その手は無造作に振り払われ、私の手から滑り落ちた布が地面に落ちた。思わず息が詰まったけれど、それ以上に、彼女の必死さが胸に刺さった。


「同情? 馬鹿にしないで! あんたみたいなオタク女に憐れまれるほど、落ちぶれちゃいないわよ!」


涙でぐしゃぐしゃの顔をしながらも、気丈であろうとする彼女は、ある意味立派だと思った。

もう何を言っても意味がないと悟った私は、彼女に背を向け歩き出した。すると、震える声でぽつりと言葉を零した。


「……後悔するわよ。あんたみたいな地味女が、相原さんみたいな素敵な男性の隣にいるのを見て、なんとも思わない女はいないわ。その時、泣くのはあなたよ」


彼女の言う通りだろう。きっと、傍から見れば不釣り合いに違いない。

でも、このまま何も言わないまま、終わりにする方が後悔する。


「それでもいいんです。私が、相原さんを好きでいる。それだけですから」


小さく息を吐いてそう言い残すと、私はその場を後にした。



***



美咲先輩の元に戻ると、心配そうな顔で駆け寄ってきた。


「話はついた?」


事情を察したような顔の先輩に、私は必死に笑顔を作って返事した。


「はい、大丈夫です」

「……ひより、頬赤くなってるけど」

「だ、大したことないです」


先輩は何も言わず、そっと頭を撫でてくれた。その優しさが胸に染みて、逆に鼓動が速くなる。


「じゃあ、行こっか」


美咲先輩に案内されたのは、新宿にある半個室のカフェだった。落ち着いた雰囲気の店内を抜けて、奥へと進む。足取りが重い。何かを予感するように、胸がざわついていた。


「ここよ」


先輩が指差した席を見た瞬間、息が止まった。そこにいたのは――相原さんだった。


「え……」


喉が乾いて、声にならない。心臓の音だけがやけに大きく響く。


「じゃあ、あとはよろしくね」


そう言って美咲先輩は、私を置いてさっさと立ち去ってしまった。


(相原さんと……二人きり……)


手のひらにじっとり汗がにじむ。視界がかすむほど緊張しながら、震える足を一歩ずつ前へ運んでいった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る