第14話『それぞれの決着、そして再会』-真一side-
告白を決意した翌日。出勤するとすぐに、小野が僕に声をかけてきた。
「今日、桐島さんに会うんだろ? 頑張れよ」
「ああ、でもその前にやらなきゃいけないことがある」
「やらなきゃいけないこと? なんだよ、それ」
僕は視線を落とし、胸の奥に溜まった迷いを押し込むように答えた
「……ケリをつけなきゃダメなんだ。でないと、また桐島さんを傷つけることになる」
小野は、僕の意図を理解してくれたようだった。
「……なるほどな。気合い入れていけよ」
「ああ」
小野の言葉に力強く頷き、迷いを振り切るように席についた。
***
昼休み。田中さんが懲りずにやって来た。僕のデスクの前で、彼女はわずかに
「……お話を聞いてもらいたくて来ました。お時間もらえないでしょうか」
僕は静かに立ち上がった。
「ええ。僕もあなたにお話したいことがあります」
休憩時間で人通りの少ない応接室前の廊下に並んで歩いた。昼休みの
「お話があるんですよね。田中さんからどうぞ」
田中さんが、おずおずと口を開く。
「ここ数日……
僕は無言で田中さんを見つめた。多分、その言葉に嘘はないのだろう。途中から引っ込みがつかなくなっただけで、悪意を持って僕を困らせようとしたわけではないのだろう、と。
けれど、だからといって許されるものでもない。僕はただ黙って見つめるしかなかった。
僕が何も言わないでいると、彼女はそのまま言葉を続けた。
「私は本当に本気で、相原さんのことが好きなんです。入社してからずっと……ずっと、あなただけを見つめてきました。相原さんの隣にいてもおかしくないよう、美容や振る舞いにも気を配ってきたんです。それもこれも、相原さんのことが好きだから……だから、私……」
そこまで言うと、震える唇をグッと噛み締め、潤んだ瞳で必死に訴えるその視線を、僕は正面から受け止めた。
「……ありがとうございます。けれど、そこまで僕を想ってくださっていたとは、今初めて知りました」
僕の言葉を聞いて、田中さんは期待に満ち溢れた瞳になった。晴れやかな顔で言葉を落とす。
「じゃあ……!」
彼女が何かを言いかけたが、僕はその言葉に被せて自分の気持ちを告げた。
「でも僕が、あなたの気持ちに応えることはありません」
キッパリと言い放つ。
「……え?」
「ろくに話したこともない僕のことを、長年想ってくださったことには感謝いたします。でも僕は田中さんに対して恋愛感情は一切持ってませんし、この先も、そうなることは決してありません」
本当は桐島さんが好きなことも伝えようかと思ったが、僕がその言葉を真っ先に告げたいのは田中さんじゃない。大切な言葉だからこそ、誰より先に桐島さん本人に伝えたかった。そう考え、田中さんにはそのことを言わないことにした。なのに——
「……桐島さんのことが、お好きなんですか?」
「あなたには関係ないでしょう。話はこれで終わりです。失礼します」
背を向け、歩き出した僕の耳に、田中さんの泣き叫ぶ声が突き刺さった。
「あんな子のどこがいいんですか! ……あんな子供っぽくてオタク感丸出しの子、相原さんには似合いません!」
田中さんの言葉に、胸の奥がかっと熱くなったが、僕は深呼吸して気持ちを抑えた。カッとなってはいけない。
「似合う、似合わないはあなたが決めることではありません」
「……っ! ……どうして、分かってくれないんですか? 彼女は相原さんには相応しくないんです! 昨日だって、金髪のガラの悪そうな子と手を繋いでたんですよ!?」
その言葉に胸の奥がズキッとした。だが、それはほんの一瞬で、すぐに冷静さを取り戻した。
「だから、何なんですか。桐島さんが誰と出かけようと、誰と手を繋いでいようと、僕の気持ちは変わりません」
「なんで、そこまでして……あの子じゃないとダメなんですか! 他の男の人と二人で出かけるような子なんかより、私の方が相原さんのことを好きです! どうして……私じゃ、ダメなんですか……」
震える声で訴えてくる。しかし、その言葉が僕の心を動かすことはなかった。
「……彼女といると、ホッとするんです」
ぽつりと告げる。
「桐島さんには裏表がない、いつも自分の気持ちに正直で素直なんです。誰に馬鹿にされようが関係ない、自分の好きな物は好きと言える人です」
表情をコロコロと変え、好きな物に熱中してる彼女が好きだ。
「人にどう思われようと、自分の好きな物は瞳を輝かせて話す彼女を、僕はずっと見ていたいと思ってます」
時々顔を赤らめながらも、大好きな推しを語る彼女を、この先も見続けたい。
「誰かに依存することなく、自分の好きを大事にできる人だからこそ、僕は傍にいたいと思うんです」
彼女の隣にいれば、僕はようやく過去の呪いから解き放たれる気がする。
振り返って、田中さんを見据えて言った。
「——間違っても、人の心を策略で思い通りにしようとする人ではありません」
唇を震わせながら、田中さんが問う。
「……それだけ好きでいてくれてるとは、思ってもらえないんですか?」
「思えません。それに『好き』を理由に何をしてもいいと思うのは、暴力と同じだと思いますけど」
「ひどい……! 私はただ純粋に……」
まだ何かを言おうとする田中さんの言葉を遮り、宣言する。
「もう一度言います。僕があなたと付き合うことはありません」
そう告げると、一人泣き崩れる田中さんをその場に残し、僕は事務室へと戻って行った。
***
午後の業務中、総務の女性数名がデスクにやって来た。
「相原さん、ちょっといいですか?」
「何でしょうか? 忙しいので、この場でお願いします」
別室へ連れて行こうとする彼女たちを無視して、仕事を続ける。今日の約束に遅れるわけにはいかない。そのためにも、やるべきことは時間内に済ませておきたい。
もちろん、彼女たちがそんな事情を知るはずもない。一瞬ぽかんとしていたが、僕が動かないと悟るや否や、その場で一斉に
「……あなた、幸枝に何言ったんですか?」
「幸枝? 誰ですか、それ」
その返答が逆に彼女たちを怒らせたらしい。机をバンッと叩き、声を荒げる。
「総務の田中幸枝です! 知らないふりしないでください!」
田中さんは幸枝というのか。今初めて知った。知らなかった僕も悪いのかもしれない。でも、仕事でたまに関わる程度の相手のフルネームを覚えていると思う方がどうかしている。
そんな僕の心情も知らず、彼女たちは喚き続ける。
「お昼に相原さんと話してくると言っていたのに、戻ってきてからずっと泣き続けてるんですよ!?」
「あんなに泣いて、幸枝が可哀想!」
「仕事もできないくらい泣いてるんですよ? 何とも思わないんですか!?」
忙しい中、業務をこなしている横で騒ぎ立てられ、怒りのあまり怒鳴りそうになる自分を必死で抑え込んだ。
(……落ち着け、ここで怒鳴っては相手の思うツボだ)
心の中で言い聞かせ、仕事に集中しようとする。
そんな僕の姿を見て、無視されてると感じたのだろう。一人がまた叫び出した。
「人の心を傷つけて、何とも思わないんですか!」
その言葉に反応したのは、僕ではなく小野だった。
「相原の心を傷つけてきたのは、彼女の方だろう!」
ツカツカと彼女たちの前まで来ると、小野は言葉を続けた。
「相原の気持ちを無視して、つきまとって、まるで自分が彼女かのように振る舞って……そんな身勝手な行動に、こいつがどれだけ辛い思いしてきたと思ってるんだ!」
小野に怒鳴られ、一瞬怯んだ彼女たちだったが、負けじと小野に言い返す。
「あなたには関係ないでしょう!!」
「関係ないのは、お前らも同じだろう!」
正論に言葉を
「そうだそうだ! 小野の言う通り!」
「仕事の邪魔だから出ていけ!」
「お前らも業務中なんだから仕事しろよ!」
「責めるなら、業務中に泣き続けてる人を責めたらどうなの?」
次々と声が上がり、形勢は逆転した。分が悪いと悟ったのか、彼女たちは渋々と去っていった。
(まさか、部署のみんなが味方してくれるなんて……)
驚きを隠せない僕に、佐々木が前に出てきた。
「あの……すみません! 俺、ずっと田中さんと付き合ってるんだと思い込んでました。相原さんが迷惑してるなんて、全然考えもしなくて……」
佐々木に続いて、他のメンバーも口々に言う。
「相原さんと付き合ってるって聞いてたから応援してたけど、付き合ってないなら彼女の行動はおかしいよね」
「なんかまた騒ぎ出すかも知れないが、俺たちは相原のことを信じるよ」
「みんな……」
普段、業務以外では最低限の関わりしか持ってこなかった自分のことを、こんなに分かろうとしてくれるなんて……。
(僕は、馬鹿だな……)
過去の一件以来、人との関わりを避けてきた。でも小野や佐々木だけじゃない。こんなふうに、みんなからも信頼されてたなんて。
思わず頬が緩んだ。けれど、わざわざお礼を言うのも気恥ずかしい。
「……仕事、するか」
その一言で、十分伝わったらしい。各々が何事もなかったかのように業務へ戻っていく。
(ありがとう……)
仕事をしながら、心の中で静かに感謝を告げた。
***
終業後。約束の店へ向かおうとすると、後ろから小野が追いかけてきた。
「今から行くんだろ?」
「ああ……」
「今度こそ、ちゃんと自分の気持ち、伝えろよ」
温かな言葉に、口元が思わず
そのまま何も言わず、軽く手を振った。
指定されたのは、新宿にある半個室のカフェだった。
(桐島さんは……まだ来てないようだな)
席へ案内されると、緊張で手が小刻みに震え出す。
(武者震いか……それとも……)
理由なんてどうでもいい。今度こそ、自分の気持ちを伝えるんだ。
震える手をグッと握りしめ、自分に言い聞かせる。
その時——
「お連れ様がいらっしゃいました」
顔を上げると、そこにいたのは驚きに目を丸くしている桐島さんだった。
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