第6話『すれ違いは、誰のせいでもなくて』-真一side-

小野に言われて、はっとした。


「なんか今日、浮かれてねーか?」


気のせいだ、と軽く返したものの、自分でも気づかないうちに顔が緩んでいたのかもしれない。

今日は、仕事帰りに桐島さんと一緒に帰れる。そのうえ、彼女の“好きなもの”について、少しだけ踏み込んで話ができる――そう思うと、どこか浮き足立っていたのだろう。


気を引き締めていつも通りに仕事をこなす。いや、周囲から見れば「いつも以上」だったかもしれない。それでも手を抜いたつもりはなかった。


「お先に失礼します」


時間ぴったりに会社を出る。今日は桐島さんを待たせずに済みそうだ。そう思いながら駅に向かっていると、角を曲がったところで、不意に背後から声をかけられた。


「あの、相原さん。急いでるところすみません。少しだけ、お時間いいですか?」


振り返ると、そこにいたのは見覚えのある女性社員だった。確か、総務にいたような……名前までは思い出せないが、社内では何度か見かけたことがある。


「なんでしょうか?」


「あの……」


もじもじと視線を揺らす彼女に導かれるように、道の脇にある人目を避けられる場所まで移動する。早く駅に向かいたいのだが、そう急かすわけにもいかない。


女性が小さな声で何かを言ったような気がしたが、焦っていたせいか、肝心の言葉が耳に入ってこなかった。


「すみません、もう一度――」


聞き返そうとしたその瞬間。


「付き合ってくれませんか?」


一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


(付き合う? 何かの付き添いか?)


仕事で関係するどこかに行ってほしい、ということだろうか。自分にできるかどうかはわからないけれど、困っている様子だったし、断る理由もない。


「ええ、いいですよ」


その瞬間、女性は信じられないほど嬉しそうに目を見開き、わずかに飛び跳ねるような動作をした。そして――


カタリ、と後方で何かが倒れるような音がした。猫でもいたのだろうか?


気のせいかもしれないと思い直し、目の前の女性に改めて尋ねる。


「それで、僕はいつどこに付き合えばいいのでしょうか?」


「……え?」


なぜか、女性の顔が一気に曇る。困惑というより、失望にも似た表情だった。


「? 僕はどこかにご一緒すればいいんですよね? 場所は――」


重ねて尋ねると、彼女は悲しげに目を伏せた。


「……いえ、やっぱり結構です」


それだけ言って、踵を返し、立ち去っていった。


……一体なんだったのだろう。少なくとも、仕事の依頼ではなかったようだ。考えても分からない。今は桐島さんのもとへ向かわなければ。


足早に駅へと向かうと、すでに彼女は駅前に立っていた。昨日に引き続き、またも待たせてしまったらしい。申し訳なさが込み上げる。


「お待たせしました」


そう声をかけると、彼女はうつむいたまま、小さく「いえ……」と返しただけで、こちらを見ようとしなかった。


……怒っているのだろうか。二日連続で、時間に遅れてしまった。以前、妹に「女性を待たせるなんて最低!」と叱られたことを思い出す。


謝ろうとしたその瞬間、彼女のほうから言葉が飛び出した。


「……体調が悪くて、今日は帰らせてもらってもいいですか?」


顔は赤く、どこか力のない声だった。確かに、彼女は普段から頬を紅潮させていることが多い。もしかしたら、本当に熱があるのかもしれない。


「大丈夫ですか? ご迷惑でなければ、ご自宅までお送りいたしますよ?」


申し出たが、彼女はすぐに「友達が迎えに来てくれるので」と断った。


しつこくしても仕方ない。そう思い、その場で別れた。


……帰り道、彼女のことが頭から離れなかった。スマートフォンさえあれば、あとで様子をうかがうこともできたのに。修理中で連絡が取れないことが、これほど悔やまれるとは思わなかった。


明日には、元気になっているだろうか。また笑顔で会えるだろうか。そう願いながら、布団に入った。




だが、その日を境に──

彼女が、いつもの電車に乗ってくることはなくなった。

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