第2話 世界で最もイかれた種

「『鎧装』…?」

「という方の為ッ、ワタクシ、オニヤンマが解説しましょうッ!!!」

「『鎧装』とはッ! 我々が本来持っている多様な虫の力…それらを全開にし、人の姿も捨てッ…外骨格を纏い戦うッ…」

「つまり、巨大な虫の姿への変身なのですッッッ!!!」


(なんか上の方でレフェリーがめっちゃ喋ってるけど、体の構造上もう真上が見えない。なんせ今の自分の目は顔面の真横に付いている。目に入るのは…目の前の黒い怪物だけ。)


 ここで、今更ながらギラファの対戦相手たる「コーカサス・オオカブト」について説明しよう。

それは、艶やかな黒色を全身に纏わせたカブトムシ。三本のツノは前方の敵を簡単に捕らえられるように、中心に向かって婉曲している。下部の一本のツノは上下に稼働し、上部の二本のツノと挟み込み…場合によっては相手を握り殺してしまうのだ。

この種の性質を一言で表すとするなら「世界一凶暴なカブトムシ」である。他の種が、あくまで縄張り争い、防御、雌の奪い合いなどで闘うのに対し、コーカサスは明らかにそれらの目的以上の過剰な攻撃を行う。

ただ触れられただけでブリーダーの手に攻撃を仕掛けたり、気に入らないメスも攻撃対象にしたり…極端な例を挙げれば、もう既に死亡している相手に対して執拗にツノで攻撃し、バラバラにしてしまうということもある。もし彼ら昆虫のサイズが人間台に拡大されるとして…最も人を殺す甲虫はコーカサスオオカブトになる可能性もあり得る話だ。


自身も変身を果たしたギラファの体は薄べったく、2m弱の大顎を前方に突き出している。黒く平たい彼女の体は変身前よりは無論格段に防御力が上がっているが…怪物じみたコーカサスに比べて少々頼りなくも見えるものである。


『ああああ…やっぱこの形態は危ないわ。本能を理性が抑えきれなくなる感覚』


彼女は体全体を上下にカチカチと動かしている。ギラファはそれを見てさらに警戒を強めた。何故ならその動きは…コーカサス特有の闘争前の威嚇を示す動きであったからだ。


まず初めに動き出したのは…もはや闘争心が抑えきれないコーカサス。そしてそれに反応し、これ以上相手に試合をリードされたくないギラファも駆け出す。

ほぼ同時に両雌が動き、そして程なく衝突した。その瞬間、金床にハンマーを撃ち下ろしたような…破裂音とも呼べる衝撃音がなった。観客たちは思わず耳を覆い、レフェリーは腕で顔を覆った。


「ま……まるで神話の怪物がこの世界に飛び出して来たかのようなッッ……このインパクトッ!!!」

「これが! 予選決勝に勝ち上がった二頭の本気ですッッッ!」


三本のツノと二本の顎が交差し、ガチガチという擦れる音を鳴らしながら、それぞれが相手の優位に立とうと体勢を微妙に変えつつ、攻め続ける。それでも試合をリードしたのは、やはりコーカサスであった。彼女の利点は下部の一本のツノ、それがギラファの腹部をダイレクトに攻撃できた。それを思い切り振り上げて、彼女をまたも放り投げようと何度も頭部を上下に激しく動かした。ギラファの体も何度か持ち上がりそうになりつつ、体の中心を相手のツノのサイドに回して、それを何とかやり過ごす。

だが…


(それでも振り回される…!変身して私のパワーも上昇したはずなのに…さっきよりも力の差が引き離されているっ…!)


ガリガリガリッッッ…!と石畳が抉れ上がる。小石が跳ね上がって黒い外骨格にぶつかる。

ギラファが踏ん張るために強く足の爪を地面に食い込ませていたため、持ち上げられた体に引っ張られて床が破壊されたのだ。


(ちょっ…! 床ぶっ壊れるのは踏ん張れなくなるからダメでしょ! 運営もっと硬い地面用意しとけよ!)


『オラオラオラッ!!!』

『泣いても止めんぞッ! このままかっ飛ばしたるッ!!!』


ますます激しさを増すコーカサスの暴走。

…しかし、ギラファは冷静に彼女の動きを観察していた。何故なら、敵の動きを正確に見切ることが勝利に直結していたためである。



———————————————2ページ



ギラファ・ノコギリクワガタは…ハマった時には誰も手がつけられない種である。なぜなら、もし成功すれば“絶対必勝”となる闘いの型があるからだ。それは“対カブトムシ”の時にのみ起こり、さらに限られた条件を突破してから可能となる。


相手がカブトムシであり…

特に巨大な頭角を持つ種であり…

更に、相手がこちらに激しく攻撃している時…


即ち、巨大で小回りの効かない頭角を上下に振り回すような相手にのみ有効な技。


(激しく動く頭角…そして、それと胴体の隙間!)

(大きくそこが開く瞬間!)


コーカサスが一際大きく力を込めて角を突き上げた…瞬間であった。



ザ ジ ュ ッ ! ! !



『ッ…!? な…何を…!』


コーカサスは頭角を持ち上げたまま、静止する。観客は目を疑った。なんと、コーカサスの首関節に大顎の先端が突き刺さっているのである。


「ギラファッ…決まりましたッッッッ!!!   彼女の必殺技ッ…『鬼刺股』ですッ!」

「ついに上がった反撃の狼煙ッッ!」


上擦ったレフェリーの声が響く。観客も立ち上がり、さらなる白熱を起こした。彼らは皆わかっているのだ…この形に入った時点で、もう勝負がついていることに。


ここでギラファ・ノコギリクワガタ最大の特徴に触れよう。この種の最も重要な特質、それは『クワガタ界最大の顎の長さ』である。つまり、カブトムシを含めた殆どの対抗者に対して、ギラファは基本的に“必ず先手を取ること”と、“一方的なアウトレンジ攻撃”が可能なのである。


それにより引き起こされるのが、掛けられた側は攻撃・前進が“一切不可能”となる、この状態。例えるならば、筋骨隆々の人間が、一般人の脇の下に棘の生えた刺股を差し込むようなものだ。力でも敵わず、もがくほど傷が深くなり、さらに相手の武器は自身の急所を的確に抑えている…この状態では一切の反撃は叶わない。


(な…何故だ…! 全く動けないッ!)


『センパイ…さっきまで退屈させちゃってゴメン。やっと俺もテンション上がってきたとこッス』

『ここからが…私のホンバン!』


一層顎の力を強く絞り、足の力を連動させてグリグリと前進する。


『ウオォッ!?』


コーカサスはその体勢のまま大きく後方へと押しやられていく。


(コーカサスの馬力を持ってしても、この状態では私のパワーを押し返すことは出来ない。真っ向から押し返す時には…自分の首元に大顎の棘が突き刺さるからね。)

(そしたら、致命傷になりかねない。試合にはドクターストップがかかって私のTKO勝利になる。これはあくまで予選だから…特に死に関わるダメージをレフェリーが見逃すことはない)


すでにステージ中央を通り越して、反対側の崖へと無理くりにコーカサスを押し出していく。彼女の足の爪がガリガリと石畳をひっぺがしながらも、その勢いは止まらない。


「一転ッ! 戦局が一転しましたッッッ!」

「今や追い詰められているのはコーカサスだッッ!」


どんどん奥へ奥へと力ずくで押し込んで行く。それはもう崖の直前まで進んだ…その時であった。全ての計画を破壊したある出来事が起こる。



『いっ…!』



突如、ギラファの足に強い痛みが走ったのだ。そして彼女は目の当たりにする、コーカサスの尋常でない一手を。



『うっ…嘘だ! 私の…必勝が…』

『そんな技が…!』



私の足を…コーカサスの“前足”が握り潰していた。


(そんなバカな…! 私の大顎と同じくらい…いや! それよりもこの人の前足が長い!)


コーカサス・オオカブトのパワーの根源は何か? 

それは全カブトムシ中トップクラスの脚の長さによるものだ。実はコーカサス自体の力…すなわち体重は、ヘビー級とは程遠いものである。他の大型カブトムシに比べ、この種の平均的な体重はなんと、その半分程度! 

この体重差さえも覆したのが、なっっっっっがい前足とその爪なのである。


ミキミキミキィッ…とギラファの前足の節を握りつぶし始める。


『いっ…くあッ…!』


細身な、華奢にも見える足が力づくで折り曲げられていく…強力なコーカサスの馬力を支えていたあの爪による全力の圧迫…決して耐えることは出来ない。


(これ…ヤバい…!!)

(ミスったッ!)


激痛から足を後退させたことにより、大顎を押し込む力が緩み…その一瞬で鬼刺股が解けた。つまり、再び始まる…コーカサスオオカブトの暴走が!


『オラァッッッ! 跳ね殺すッッッ!!!』


『くそっ…!』


ガツッ、ガツッ!と直接ツノを使ってギラファを下から突きまくる。先ほどとは異なる、打撃による衝撃…そして足を潰されたダメージが重なり、もはや勝ち目はない…はずだった。


『…なんだ?』


違和感に気づいたのはコーカサスだけであった。ギラファが先程から…攻撃を受け流している。攻撃を受ける時、わざと足を地面から離して衝撃を後方に逃す。また、正面からの突進攻撃には、先んじて大顎でこちらの脚を挟み動きを邪魔してくる。


(今までよりも遥かに巧みな技術でこちらの動きの邪魔をしている…だが、なんだ? コイツの動きは何故こんな進化を?)


コーカサスの困惑をよそに、ギラファは必死に攻撃を捌き続けるが…もう遅かった。ある時、彼女の怪我をした前足の反対側に、ザザッとツノが差し込まれた。彼女は急いで飛びのこうとするが、そうはさせない。コーカサスは前足で上から彼女を押さえ、無理やりツノの上に固定する。


『大人気なく狡いワザ使ってごめんな。お前はよ〜く頑張ったけど…』

『“相手が悪かった”な。』


足元が浮かび上がる感覚…気付けば彼女は空中へと放り出されていた。


(あっ…これダメだ。闘技場が…遠い。)


ドシャッッ!


闘技場の遥か外側…外堀の奥底へと墜落した。程なく変身も解けて、冷たくて硬い地面に背中がぴったりと着いて離れない。体が起き上がらない敗北感。



「…チクショウ。」



「決まりました…勝者…コーカサス…」

「KOK出場は…コーカサスです…」



光の届かぬ暗闇の中で、朧げに声が聞こえてくる。彼女は起き上がることはなく、ただ疲労と痛みに体を委ねて眠りについた。

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