第15話 作戦決行 前編 side:七瀬華
「オッケー出たので行きましょう」
佐藤さんから声がかかり、私と佐藤さん、鈴木君の三人は旧校舎に向かう。
「ちょっと準備するから、ここで待っていてくれるかしら」
私はグラウンドの女子トイレ前で彼女らに声をかけ、トイレに入る。センサーが反応して、照明が灯った。リュックサックから化粧ポーチを取り出し、クレンジング液と洗顔ジェルを出し化粧を落とす。乳液で肌を整えたあと、虫よけジェルを顔全体と首耳の裏まで丹念に塗り込んだ。手袋をする予定だが念の為、手から手首まで塗り込む。カーディガンを脱ぎ、リュックサックに入れて、反対にリュックから自転車用裾バンドと防虫ネット付きの帽子、セミロングの掃除用ゴム手袋、ウエストポーチを取り出す。虫との接触を避けるための大事な装備だ。ハイソックスをまとめて縛れる位置で裾バンドを両足に付け、防虫ネット付きの帽子をかぶり、ネットの絞り部分をタートルネックの襟に重なるように絞る。セミロングの掃除用手袋を袖の上に重なるように引き上げた。手を開閉してフィット感をみる。サイズはちょうど良さそうだ。ウエストポーチの中を確認する。小型の殺虫剤、懐中電灯、携帯電話そして秘密兵器の吸虫管。吸虫管は手作りで、コルクに穴を開け、赤ちゃん用の鼻水吸い器から取り外したチューブを二本接続している。片方のチューブの根元には、古いストッキングの切れ端を輪ゴムで固定して付けた。これは虫を口に入れないためだ。このコルクを生物準備室から持参した試験管に取り付けて完成だ。リーチは短いが殺虫した虫を吸うのであれば十分だろう。
懐中電灯を取り出し、ウエストポーチを身につける。
リュックサックを持ってトイレの外に出た。
私の格好を見た佐藤さんは
「先生の格好何だか、養蜂家みたいですね」
少し驚いた様子だったが彼女なりのユーモアなのだろう。そう言って微笑んだ。
「それじゃ、準備はいい」
私は観測会の参加者に気づかれないように小声で彼女らに言った。
「はいっ」
二人の声が揃った。二人とも懐中電灯を持っており、佐藤さんは、トランシーバーが入っていると思われる可愛らしいパステルブルーのサコッシュを身につけている。
私達は旧校舎の昇降口に向かい、懐中電灯を点灯させた。
暗い昇降口の闇を懐中電灯の光が切り裂く。
今日はまだ月が出ていないので、いっそう暗さが際立つ。私達は土足からスリッパに履き替えた。
「それじゃ、トランシーバーのテストをしましょう。確か『こちら〇〇』で始めて『オーバー』で終わるというルールだったわね」
私は彼らに確認する。
「そうです。それで応答なく、十秒経った場合は突入しますのでお願いします」
鈴木君が答えてくれる。
佐藤さんからトランシーバーを受け取ると、双方の波長を合わせて、少し離れて通話ボタンを押す。
「こちら七瀬。鈴木君聞こえますか。オーバー」
「こちら鈴木。七瀬先生聞こえます。オーバー」
まずは三メートル程度の距離は問題ないようだ。
そこから、昇降口から六メートル、九メートル、十二メートルと、それぞれの地点で通話テストを行う。特にトラブルなく通話できることを確信した。
さて、いよいよ踊り場だ。階段を一段一段昇っていく。呼吸が少し乱れ、心音が大きく聞こえる。懐中電灯の光が小刻みにチラチラ揺れた。
踊り場に着いた。採光窓からは星空が見える。
ひとまず通話する。
「こちら七瀬。今踊り場に着きました。これから準備に取りかかります。オーバー」
「こちら鈴木。七瀬先生、了解しました。オーバー」
私は懐中電灯の光を頼りにランタンに光を灯す。最大の十段階目であることを確認した。
計画では、ランタンの設定を段階的に落としていくことになっている。これには視認性を確保するのと、昼から夕方の光を再現するという二つの理由がある。
私は十分明るくなったので、懐中電灯を足元に置き、トランシーバーを左手に持ち替えて、右手の届く範囲に捕虫網を持ってくる。
今のところ、踊り場に異常はない。
「こちら七瀬。準備完了。現時点で異常なし。十段階目で観察中。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。異常なし。オーバー」
「こちら鈴木。了解しました。こちらも異常なしです。オーバー」
私はランタンのツマミを回して九段階目にした。
「こちら七瀬。九段階目で観察中。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。異常なし。オーバー」
「こちら鈴木。了解です。こちらも変わらず異常なし。オーバー」
私達は同じようなやり取りをランタンの六段階目の設定まで続けた。人工の光では難しいのだろうか。
私はツマミを五段階目に設定する。
「こちら七瀬。五段階」
じわじわと、踊り場の床と壁の隙間から黒煙があがったと思った刹那、私の視界が漆黒に染まる。右手で捕虫網を探ろうとするが掴めない。まずい。これは虫捕りどころではない。耳鳴りと頭痛がする。
手足の感覚が消えるようだった。
はっと、目を覚ますと、小川のほとりにいて、草むらの上で寝ていたようだ。タンポポがそこら中に咲いていて、春風が心地よい。
隣にはほほ笑みをたたえた祖母がいた。
「はなちゃん、元気していた。」
私にははっきりと、祖母の姿が見え、声が聞こえた。私は再会が嬉しいのか頬に涙が伝う。これが現実なのかと思うほど肌で感じられる。
「おばあちゃん。元気に、していたよ」
私は込み上げてくる感情から、これ以上言葉が出てこない。
「そう。それはよかった。こうやってまた、はなちゃんとお散歩できて嬉しいわ。」
祖母は嬉しそうに微笑んだ。
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